Episode:5 三つのお願い part.1

 日曜の午後二時前、駅から真っ直ぐ伸びる大通りの裏手。少し古びた商店や建物が並ぶ路地を歩く少年少女が六人。真冬の一月中旬ではあるが、南国M県の日照時間のおかげで、上着を脱ごうか迷うくらいには、温かい気温だ。

「おいおいタカよぉ、どうした? もぉ~ひとりでぇ~あるけない~、ってな面してんなぁ」

「あ~。昨日は調子こいて夜中三時までメガテンをだなぁ。隠しボスの人修羅が強ぇのなんのって」

 その中で、一人やる気のなさを醸し出していたのが、最後尾を歩く長身の少年、喬松慧希だ。ほぼ隣を歩いていた眞北和寿はそんな彼を心配するも、あまり通じている様子はない。

「しっかりしてよね。喬松君はバンドの骨格なんだから、準備の段階からしゃんとしてないと困るんだし」

「お~大丈夫。分かってますよ団長」

 そこでリーダーの藤守千里が少し強めの口調で窘めるのだが、彼女に気圧されているのかいないのか、喬松は癖っ毛を掻きながら欠伸をしてみせた。


 M県立MW高等学校の一年生で結成されたバンド、PRAYSEのメンバー六人は、この日、M市内中心部の雑居ビル五階にあるライブハウス『ドラコパワード』を訪れた。

 三月上旬の日曜日に開催される、初心者向けのライブイベント『DAYBREAK,S HELL』への出演を申し込んだPRAYSE。だが、家族親戚の関係で縁のある千里と眞北の二人以外は、そもそもライブハウスに入ったことすらない。このままではメンバーの過半数が、ライブハウスがどんなものかを知らないまま、いきなり出演者として来場することになる。

 先日、千里は主催者とのメールでのやり取りの中で、こうした不安について話していた。すると主催者は、こちらも皆にぜひ一度会っておきたいので、店長に掛け合って一緒に話せる時間を確保すると話してくれた。こうして、会場の下見を兼ねた事前打ち合わせが決まった、というわけだ。


 定員八人のエレベーターは、六人が入ればなかなかの密度だ。

「一応、ライブに出るって親の許可は取れたけど……やっぱり雑居ビルって緊張するね」

「人間が密集する場所には、悪しき者共も存在する。例えば非合法なブツの売人とか。此処はそうではないと信じたいが」

 少しわざとらしそうな緊張の色を浮かべ、香坂優子は隣の美純螢を見やる。彼女に思いを寄せている美純は無表情を装いながらも、話しかけられて明らかに目が泳いでいる。

 そんな二人を微笑ましく見ていた鷺沢絢。ドアに一番近い位置にいた彼女は、ビルの五階に到着するといち早く降り、ライブハウスの入り口はどこかと周囲を見渡すのだが、

「……ぅッ」

その入り口を見つけたのと同時に、強烈な存在が目に飛び込んできてしまった。


 四十代と思しき、ガラの悪そうな風貌の男性が、目的地『ドラコパワード』入り口近くで、煙草を吹かしていた。

 背は百八十センチ前後。長い白銀の髪を襟足で結び、白いTシャツに黒のコートを纏っただけのシンプルな服装ながら、妙な威圧感がある。

 ここでふてぶてしく一服しているところからして、彼はこのライブハウスの客かだれかだろうと思われた。とりあえず前を通るときに軽く一礼だけして、そそくさとハウスに入ってしまうのが一番だ……そう判断し、絢が全員に目配せ。それから全員で足早に入店を試みた、はずだった。


「だ、大魔王様ッッ!」

 突如、眞北和寿君が驚いた様子で、とんでもなく仰々しい言葉をぬかしおった。彼は眼前の男性に真っ直ぐに向かい、驚きの声を放ったのだ。

 何という非常識。何という非礼。眞北以外の全員は、視界の色が反転した。

 とはいえこの眞北、空気は読めないが道徳観はまともだ。他が絶句したことで自分の失礼な行動に気づく程度の良識はあるし、きちんと謝れる程度の礼儀正しさもある。

「あ、あの……いきなりすみませんでした! 俺様……ぼ、僕、昨日の夢で鉄塊みたいな大剣担いだ大魔王に追い回される夢を見て、それがあなたにそっくりな方でして……」

 そして、良識があるかどうかと、謝罪の言葉が常識的かどうかは別問題だ。口調からして嘘は言っていないのだろうが、せめてそこは知り合いに似ていた程度に留めてくれよと、絢や千里は頭を抱えた。


 だが、そんな眞北の非礼に対し、男性はご機嫌な笑顔を浮かべ、咥えていた煙草を灰皿でもみ消し、眞北に歩み寄った。

「くくく……如何にも。貴様の言うとおり、俺は大魔王だ。魔界、天界、そして地上界。世界のすべてを統べる、神をも屠る最強の生物よ」

 渋く、鋭く、よく響く、でもって妙にくすぐったい低音ヴォイスだ。それでいて口にした言葉は、中二病の眞北を遥かに凌ぐハチャメチャぶりだ。当然ながら呆気に取られた六人だが、自称・大魔王は人差し指を縦にし、しぃっ……と口を噤ませるよう求めるジェスチャーをした。

「しかしながら、今は世を忍ぶ仮の姿。貴様等、すまんがどうかライブ以外では、それを踏まえたうえで話しかけてもらいたい。頼んだぞ」

 この男性、やはりこのハウスの常連、それもライブ出演経験者で間違いなさそうだ。大魔王を自称し、不遜な言動をしているのも、キャラ作りの一環なのだろう。

 PRAYSEの好きなアーティストの中には、自身のイメージやキャラクター性を徹底している者も多い。だからこの自称・大魔王のノリも、全員嫌いではなかった。

 そんな中年男性は、左手首に巻いた安物のスマートウォッチを見やり、六人に対してニヤリと笑った。

「さて、ときに貴様等。約束していたPRAYSEの面々だな? 俺が主催の山田だ」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 山田と名乗る中年男性の導きで、小ホール前のフロントに通されると、そこで二人の男性を紹介された。

 一人は、面長で目が細く飄々とした雰囲気の、北島哲也(きたじま てつなり)と名乗る男性。ここ『ドラコパワード』の店長だ。もう一人は、癖毛で垂れ目の顔立ちが親しみやすそうな、南原忠央(なんばら ただひさ)という長身の男性。ライブには欠かせない音響のプロ、この箱のチーフPAである。

 リーダー千里の事前指導もあり、全員がはっきりとした声で挨拶をした。そんな彼女等彼等に、北島も南原もにっこりと応じてくれた。後のことは山田さんに任せているからゆっくり話し合ってね、分からないことがあったら何でも質問してねと、ロビーのテーブル席にメンバーを誘導してくれた。


「では改めて、はじめまして。俺が『DAYBREAK,S HELL』の主催者、山田だ」

 店長がサービスしてくれたコーヒーが全員に行き渡ったところで、山田は六人に名刺を配った。孔雀を象った銀色のシンボルマークが特殊印刷で施されているそれには、山田太郎(やまだ たろう)という、露骨に古風で平凡で、逆に非現実的にも思える名前が刻まれていた。

 当然、PRAYSE六人は一様に怪訝な顔をしたのだが、個人番号カードを見せてやろうかと本人が冗談めかして笑ったことで、逆に誰もツッコめなくなった。

 そんな山田だが、本業はM市内にある中小企業の社長であり、二年ほど前より、市内のライブハウスで趣味の歌や弾き語り等の活動をしているという。特に、此処『ドラコパワード』では、演者としても観客としても、常連のような存在なのだそうだ。


「さて、知ってのとおり今回のイベントは、初心者、あるいは結成後初めてライブに出るバンド向けのイベントだ。そしてそれは、この俺にとっても同じだ」

「どういうことですか?」

「何を隠そう、俺もイベントを主催するのは初めてなのだ。ノリと勢いで企画したはいいが、成功するかどうか毎晩不安でな。夜しか眠れんで困っておる」

 山田曰く、ライブハウス通いが高じてイベント主催に興味を持ち、初心者・未経験者でも気軽に出演できるような、バンド活動の裾野を広げられるような催しを開くため、常連であるこの箱で主催者デビューを決意したという。

「まぁ俺の不眠はさておき、ここの箱とも協力して盛り上がるイベントになるよう、俺としてもいくつか手は打つつもりだ。だから貴様等は本番では存分に、はじめてのライブを楽しんで貰いたい。皆、よろしく頼む」

 そう言って山田は、自身の半分も生きていない若者六人に、深々と頭を下げた。

「いえ、こちらこそ。山田さんや此処の皆さんにもお世話になります。改めて、どうぞよろしくお願いします」

 口調はともかく、誠実さは感じられると、若者たちにも伝わった。千里は山田に、同じく深く頭を下げた。他メンバーもそれに続いた。喬松だけは浮かない表情だったが、少なくともこの流れに従ってはいた。


 さてここからはライブに関する具体的な話し合いの時間。イベントではPRAYSEも含め四組のバンドが出演予定だが、千里を除くメンバーの音楽歴が総じて浅いこともあってか、出番は一組目となる予定だ。

「ときに、貴様等はルナシーをコピーする予定だったな? 演奏する曲は決まっているか?」

「はい! 俺様……僕たちも凄く好きなバンドなんですっ!」

「ほう、嬉しいな。俺も好きなバンドだ」

 ライブ出演が決定して数日後、主催から指定された曲数は、五分程度の曲を三曲だった。

 部室での話し合いの結果、PRAYSEが選んだのは、どれもシングル曲として発表された、知名度も相応にある三曲。音作りはともかく『ただスコア通りに弾くだけならば』、難易度的にも堅実な選曲だ。

 現在、週一の音楽室での合わせ練習でも、この三曲に絞ってブラッシュアップしているところだ。また、その様子を撮影した練習動画も、参考デモとして山田に提出している。

「動画、見せてもらったぞ。しっかり練習して完成度を高めれば、思い出に残る出来になるはずだ。楽しみにしているぞ」

「マジっすか! あざ~っす!」

 褒められた、期待されていると感じた眞北は、素直に喜んだ。

一方で絢と千里は、山田がデモ演奏の評価そのものは口にしていない以上、遠回しにヘタクソだと言っている気がしなくもないと感じたが、そこは言わないでおいた。

 だが、山田には素直な眞北の様子が好印象だったのだろう。自信なさげで卑屈な言動をしないあたり見所あるぞ、そうニヤリと笑った。それから。

「当然ながら貴様等のステージは、貴様等が主役だ。基本的には制限時間内で自由に進行、演奏してもらってよいが、可能であればこちらから三つ、お願いしたいことがある」

「大魔……山田さん、何ですかお願いって?」

「くくく。此処では大魔王様でも閣下でも、呼びやすい方で構わんぞ」


「まず一つ目だが、曲の合間のどこかで、メンバー全員それぞれの自己紹介を入れてもらいたい。タイミングややり方は自由だが、楽器隊は簡単でいいから、何かワンフレーズ奏でてくれると嬉しいぞ」

 山田太郎大魔王閣下からの一つ目のお願い、それは皆一同に、なるほどと頷かせる内容だった。

 大規模な会場で催される超大物アーティストのライブでも行われる、メンバーの自己紹介。必然的にヴォーカルの絢が務めるであろうMCの内容や、紹介の順番、各自どんなフレーズを奏でるかも含め、このコーナーそのものの練習も必要になる。

 同時にこれは、聴衆が各メンバーに、ほぼ確実に注目する時間。個人差こそあれ、バンドをやる以上は相応の自己顕示欲、目立ちたい願望を抱いている学生たち。緊張こそすれ、反対する気持ちなどあろうはずもなかった。


「次に二つ目だ。貴様等のステージだが、実は結構、時間に余裕があってな。その余りそうな時間を使って是非、俺からの要望に応えてもらいたい」

 山田から提示されたPRAYSEの持ち時間は三十五分。指定された曲数は五分前後のものを三曲。セッティングや片付け、それに先ほど出てきた自己紹介を含めても、確かに一曲分以上の時間が余りそうだ。

「要望……閣下、一体何ですかそれはッ?」

「それはな、コレだッ」

 山田が眞北に手渡したのは、不織布カバーに包まれた、一枚のCD―R。真っ白なタイトル面には、油性マジックのヘタクソな走り書きで、ある曲のタイトルが書かれていた。どういうことかと眉を顰めるメンバーに、山田は至極真面目な顔をして説明し始めた。

要約するとそれは、アンコール代わりにとある曲をエアーバンドで演じてほしいというもの。渡されたディスクはその際に流す予定の、山田の知人が作成したというカラオケ音源だった。

 ちなみにその曲だが、PRAYSEがコピー予定のバンドの中でも、おそらく世間的には最高の知名度を誇るライブのド定番。非常に速いテンポに加え、リズムキープが非常に難しく、演奏するには今の六人は力不足といってよいレベルの楽曲だ。

「この要望、受ける受けないは自由だ。もう一曲追加で演奏したいならば、それでもよい。だがしかし、これは単純に俺のワガママなのだが、やはりルナシーならばこの曲で爆上げブンブンしたいものでなぁ。返事はまた後日でも構わんが、考えてくれると嬉しい」

 要するに言葉は悪いが、自分たちの演奏力にはまるで期待されていないということのようだ。これがある程度の音楽経験を持つ者たちなら、ナメられていると憤慨するかもしれない。

 しかしながら山田の提案に対して、PRAYSEは誰も不快感を抱かなかった。

 そもそもヴィジュアル系とされる音楽シーンにおいても、エアーバンドというスタイルを貫き人気を博した音楽集団や、自身の冠番組で並々ならぬリスペクトを以てこの曲を再現したお笑い芸人も存在する。それゆえ、エアーバンドという形式に偏見はなかった。

 何よりこちとらほとんどド素人。ライブに出演させていただく立場。千里の日々の教育がよかったからか、ライブは自分たちだけで創るものではないという自覚は、メンバー全員既にできている。

 そして主催の山田の様子からしても、反感を抱かれるのは覚悟の上で頭を下げている。それで十分だ。

「なぁ藤守?」

「うん。私も正直、やぶさかではない、ってやつだよ」

 眞北の問いかけの冒頭だけですべてを察し、千里は頷いた。

 当然ながら、エアーバンドだからといって手抜きは許されない。音源を聴き込み、ライブ映像で動きを学び、そして生き生きと演じる必要がある。そうした自覚があるかどうかを千里がメンバーに問うと、眞北と絢は二つ返事で答えた。曲中で『重要な役目がある』美純も、優子のがんばってねという後押しに、武者震いをし始めた。喬松は無言だったが、否定せず頷いた以上、同意と取ってよさそうだ。

「山田さん、面白そうなご提案、どうもありがとうございます。やってみようと思います」

「そうか、こちらこそどうもありがとう。手前味噌だが、音源は俺の部下が本家のライブを参考に、いいものを作ってくれた。それに負けないくらい大暴れしてくれ」


「そして三つ目。チケットノルマの件だ」

 最後に言われたのは、かなり現実的な話題。それなりに金銭の大切さを教えられて育ってきたメンバーにとっては、緊張するワードだ。

「特に学生である貴様等には、しっかりノルマを売り捌けるよう、ぜひ努力してもらいたい。あちこちに頭を下げてチケットを売り、ライブに来てもらえるよう頼み込んでくれ。ダメであった時もしっかり気持ちを切り替えて大人の対応でな。趣味の活動とはいえ、バンド活動を通して、これから社会で役立つかもしれん経験を積んでくれると、主催として嬉しいぞ」

 説明をする山田の顔は、今まで以上にシリアスタッチ。かつ、百戦錬磨の人徳溢れる教育者のような佇まいだ。

 PRAYSEのノルマに関しては、メンバーそれぞれの家族にチケット代を出資してもらい、当日観覧してくれる人たちに配るということで、全員が同意している。

 ただしそこから先の状況は六人六色。絢、美純、優子はすでに親との話はつけていたが、眞北はそれをすっかり忘れてしまっていた。それにリーダーの千里は、今なお父親との折り合いが悪く、ライブに出演する話すらできていないため、自身の小遣いから何とかしようとしている。

 とはいえ、ノルマ分の金額を納められないという事態は起きないだろう。このことだけは、千里の口から山田にきちんと伝えておいた。

「では、集客についても皆、頑張ってくれ。間違いなく言えるのは、ライブは観客が多い方が絶対に楽しいぞ!」

 そんな山田の言葉と共に、この話題は一応は終了となった。

 ただPRAYSEの集客見込みだが、状況は芳しくない。絢と千里は、幸いにも旧友を二名確保できたというが、今のところ高確率で来てくれそうなのは、その二名だけ。眞北も興味を持ってくれそうな友人があまりいないようだし、コミュニケーションに自信のない美純や、親しい友人に乏しい優子は、特に不安そうな顔を見せた。


 ところでタカ、お前はノルマの方はどうなんだ————眞北がそう問いかけようとしたとき、突如喬松がすみませんと言いながら席を立ち、ライブハウスの外へと姿を消した。

 結局は一分半で戻ってきたものの、彼はいかにも厄介事がありましたといった顔をして、眞北をはじめ一同に、ちょい、と頭を下げた。

「あ、みんな悪ィ。親から今日は戻ってこいだって」

「マジかタカ。珍しいなぁ」

「家族周りって色々あんのよ。ヤ~な親戚との付き合いとか。じゃあすいません山田さん、お世話になりました」

 そんな感じで喬松は、そそくさとライブハウスを後にした。

「今日の喬松、ちょっと変じゃぁなかったか? 夜遅くまでゲームやってるなんて今に始まったことじゃぁないはずだし。どっか悪いとかか?」

「かもしれないね。だけど体調やお家のことはどうしようもできないし、何事もないように祈るしかないよ」

 対人関係についてのカンが鋭い絢が、此処には戻らないであろう喬松を訝しんだ。とはいえ、ごもっともな千里の返答には、返す言葉もなかった。


 それから。五人はライブ本番当日の流れを、考えられる限り山田と詰めていった。早退した喬松に後で情報を伝達するのは、ご丁寧にここまでメモを取っていた美純の役目となった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 気がつけば、話し合いを始めてから一時間半が経過。そろそろ話題も出尽くしたあたりで、山田が五人に聞いてきた。

「ときに貴様等。この後時間はあるか? 実は今日、俺の友人のバンドが小ホールを貸し切って練習をしているところでな。よかったら、少し覗いていかんか?」

「マジっすか閣下ッ?」

「いいんですか? ご迷惑じゃぁないですか?」

「構わん。店長やバンドの者たちにもすでに話はしておるわ。貴様等も本番で演奏するステージだから、参考になるやもしれんぞ」

 山田曰く、初ライブを前に色々不安がっているバンドがいることを涙ながらに訴えたところ、山田さんのためならと特別に、快く応じてくれたのだそうだ。本来はバンド関係者のみが招待、あるいは配信の観覧を許されたものであるため、当然、練習内容の口外や録音等をしないようにと釘は刺された。それでもPRAYSEにとって、願ってもいない機会だ。


 先頭の眞北が二重の重い扉を開けると、まず飛び込んできたのは、CDやテレビとは全く違う、質量を感じさせる爆音。キャパシティ最大百名程度の小ホール、そのステージ上で荒々しいパフォーマンスをしていたのは、男性四人組のヘヴィメタルバンドだ。

 恐らく洋楽のコピーだろうか、PRAYSEの五人全員、どの曲も耳なじみのないものだった。それでも皆、この貴重な機会を楽しむことにした。

 楽器自体がまだまだ初心者の優子と美純は、目で追えないほど激しい運指やピッキングに圧倒されていた。絢はヴォーカルが放つ高音に言葉を失いながらも、そのステージングの一つひとつを目で追っていた。千里はリズムに身体を同調させつつ、ステージ全体や客席の様子に目を配らせ、この場で把握できる限りの情報を得ようと試みた。そして眞北はフロア前列に足を進め、バンドの身内と思われる数名の聴衆に混じって、頭を振り手を振り上げ喝采を送った。

「ンフフフフフフ……」

 そんな、思い思いにライブ空間を楽しむ彼女等彼等を、山田は古代大国の将軍が如く、フロア後方で腕組みしながら嬉しそうに見つめていた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「山田さん、本日は大変お世話になりました!」

「閣下ッ! 今後ともよろしくオナシャス!」

「なに、礼には及ばん。貴様等だけでなく他の出演者達にも、相応のサポートはするつもりだからな」

 特別な音楽鑑賞の時間を経て、本日の事前打ち合わせが終了。ライブハウス入り口の前で、五人が山田に深々と頭を下げ、最上級の感謝を示した。

 さぁこれからそれぞれ帰宅しようとエレベーターに向かおうとした時。足早にライブハウスに向かう一人の男性とすれ違った。

「あっ、山田さん! お疲れ様です!」

「おお響! 至高天(しこうてん)の響ではないかッ!」

 爽やかでよく通る声の主は、ダークグレーのコートを纏った、長身痩躯の男性。彼は山田に対して親しげに手を差し出し、固く握手を交わした。


 一体誰だろうと気になり、男性の方向を振り返るPRAYSEメンバー。特に目を惹いたのは、彼の優れた容姿だった。芸能界狙えそう。ルックスだけでそれなりに収入が得られそう。雰囲気からして性格も悪くなさそう。何となくだけど一流のモノを見極める格付け勝負に強そう。……PRAYSEの面々がそうした印象を脳内に浮かべていると、男性は何かに気付いた様子でこちらを振り返り、そして近寄ってきた。

「あっ、ひょっとして藤守さん?」

「えっ、あ……はい。あっ、お久しぶりです、響さん」

 彼が声をかけたのはリーダーの千里。最初こそ誰だったっけという顔をしながらも、すぐに彼のことを思い出し、会釈した。

 全く男の影がないあたしのチサトに話しかけるとは誰なんだあんた一体……絢が警戒した様子を見せると、千里はそんな彼女をはじめ、メンバーに説明し始めた。

「乙夜響(いつや ひびき)さん。同じピアノの教室だったの。首都の大学に進学して、バンド組んでかなり活躍してたって聞いてたよ。で、最近M市に帰ってきたみたい」

 先輩ということもあり、彼に挨拶するようメンバーに促した千里。そして響には、この同級生たちとバンドを組み、山田が主催するイベントでライブをすることを手短に話した。

 話の内容を聞いた響は、意味深で、かつうれしそうな表情を浮かべるも、

「それは詳しく聞きたいなぁ。っと、でもごめんね。ちょっと北島さんや南原さんと打ち合わせとかあるから。それじゃ、ライブ楽しみにしているね!」

それだけ言って、急いだ様子でライブハウスに入っていった。


 PRAYSEのライブを楽しみにしている……そんな響の言葉に、絢はいち早く引っ掛かりを覚えた。

「あの、すみません山田さん。あの響さんってもしかして……」

 お別れの挨拶を終えた後ではあるが、山田にそのことを質問すると、彼はよくぞ聞いてくれたといった表情で、煙草を一本口に咥えた。

「ここだけの話、奴も出演するぞ。ヴォーカルだ。貴様等PRAYSEとは対バン相手となるな。実力を見込んだ市内の高校生四人を集めて、色々なV系バンドの曲をコピーするそうだ」

「えっ、エェー?」

「何……だと?」

「何かそんな気がしてたけどそーゆうことかァッー!」

「俺様たちのライバルじゃぁないですかッッ!」

「眞北君? ライバルだなんて烏滸がましいよ。それにしてもまさかあの人が……」

 皆、それぞれの反応で驚きを示した。中でも内心最も驚いていたのは、唯一彼のことを知っていた千里だった。

 ライブイベント『DAYBREAK,S HELL』は、全くの初心者や、ライブに一度も出演したことのないバンドを想定した催し。競争の激しい首都で、インディーズバンドを組んで結構な活躍をしてきたと聞いているが、そんな響は良い意味で、このイベントの趣旨には適さない存在の筈だ。

 だが、響以外の四名はPRAYSEと同じ高校生。いずれも音楽教室で実力を磨いてきた者たちだが、バンドとしてライブハウスで演奏するのは初めて。故に山田は、イベントに参加する権利は大いにあると判断したという。そして。

「何だかんだでライブでは集客が大事だ。店長らにも箱を提供してよかったと思ってもらえるように、持てる人脈は遠慮せず駆使して、後悔のないように手を打ちたかったものでな。響は首都で活躍していた頃からの仲だが、彼奴の実力と集客力を見込んで、イベントのトリとして出演をオファーしたのだ」

 火をつけない咥え煙草の山田の言葉は、彼なりに初めての主催に緊張しながらも、人との縁をありがたく感じているように見えた。


 ふと、少し緊張した様子で、眞北が千里に聞いた。

「なぁ藤守。あの響さんって、上手いのか?」

「……ピアノの大会で何度も優勝してたよ。他にもギターとか何でもやってたし、特に歌が上手かった。バンドとしての活動はよく知らないけど、本来なら私たち初心者バンドが対バンなんてしてもらえないくらい、実力はあるはずだよ」

 先ほど眞北が言い放った、俺様たちのライバルという言葉への嫌味を滲ませたような、千里の返答。対して眞北はそれに不快感を示すでもなく、逆にすぅっ、と息を吸い込み、にやっと笑った。

「そっかぁ~。何かよぉ、ステージで演奏することも当然楽しみだけどよ、演奏終わった後も何か楽しみになってきたなぁ!」

 眞北のその言葉に、他の四人は目を見合わせた。確かにそのとおりだ。自分たちが出演しようとしているのは、出番が終わったらはい帰宅、というイベントではない。むしろ出番が終わってからが長いのだ。

 一番音楽の経験が浅いがゆえに、一番最初の出番ではあるのだろう。だがかえって、他の出演者の演奏を緊張することなく楽しめるチャンスでもありそうだ。ライブ全体が終わるまでは、自分たちの出来不出来であれこれ悩むのは勿体ないかもしれない。そう考えると、前向きな気持ちが湧いてきた。当然、いみじくも山田が言ったとおり、きちんと練習するのが前提だが。


 再び山田に一礼して、PRAYSEの五人は今度こそ、ライブハウスを後にした。彼女等彼等がエレベーターで降りたところで、山田は咥えていただけの煙草に火を点けた。

「眞北と言ったか。あやつめハハハ、俺が伝え忘れたことをぬかしおったわ」

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