Episode:4 C.S.ガール part.9(1.5)

 何者かがこの秘密の喫煙場所に接近する気配を、香坂優子は察知した。すぐさま短くなっていた煙草を消火し、周囲の闇と同化するよう身をぐっと屈めながら、足音の方向を注視した。

 招かれざる客は単体のようだが、一体何者なのか。警察や地域住人の見回りならば、懐中電灯を手にして如何にもといった動きをするはずだが、その可能性は低そうだ。もしかすると、自分と似たような目的でやってきた悪い子だろうか。ならばどうする。すみませんわたし失礼しま~すって感じでいけしゃあしゃあとこの場を離れるか、それとも相手がこちらに気付かず通り過ぎるのを期待するか――――そんな風に逡巡するうちに、接近してきたその相手の眼は、優子を捕捉してしまっていた。

「ぇ、ッッ……、何…………だと……?」

「ッッ……螢、くん…………?」

「…………優子、さん? よもや、よもやこんなところで……」

 こんなとんでもない偶然があるだろうか。

 十二月の第一木曜、夜の十時台。この秘密の場所のひとつに脚を踏み入れ、そして今自分を見下ろしているのが、まさかのバンド仲間であり、片想いの相手だとは。


 さてどうする。彼に何と言葉を述べようか――――優子がそれを考えつくより先に、美純は優子がここで何をしていたか、何となく察したようだ。

「少し、焦げ臭いが……この辺りに火種がないが、まさか……?」

 やんぬるかな。夜の闇のの中、物的証拠を隠せはしても、嗅覚を誤魔化せる手段は存在しない。自分は正に、犯行現場を押さえられたことになる。

「…………うん、バレちゃった、ね…………軽蔑、する?」

 そんな彼女にできることは、ただ、自嘲気味な笑顔を浮かべ、事実を認めることだけだった。

「い、いや、それは…………軽蔑、とかはしない。それに……まぁ少なくとも…………誰かに話したりは、しません、よ……」

 一方で、美純もかなり動揺してはいた。ただ、少なくともこちらに悪感情は抱いていない様子だ。

 そんな美純は、さらに続けた。保護者や教師に通報しようとか、そういう気持ちは一切湧かない。自分が生活している寮だって、寮母や管理者の目を盗んで、それこそ飲酒をしていたり、賭け麻雀をしていたり、女子生徒を連れ込んでいたりなど、隠れてよろしくないことに手を染めている先輩も数人いるのを知っている。現実問題として、自分を貶めている奴等への復讐でない限りは、そうした触法行為にわざわざ目くじらを立てたりはしないのだ、と。

「ははっ……それはありがとうね」

「まぁ、明らかに未成年者喫煙防止法違反ではあるけれども……」

 たどたどしい美純の言葉からは、確かに一切の敵意を感じない。最初から疑う気はもちろんなかったが、本当に誰かにバラす気はゼロなのだろう。

 とはいっても、このことが彼以外にバレれば、停学処分やサークルの活動休止などもありえる。自分がこうした悪習を継続するのは彼にとってもリスクしかないから、やめてほしいと考えていても仕方ないだろう。

 だが、続く美純の言葉は、あまりに意外なものだった。

「それに、…………あの、アリだと、思います」

「え……?」

 うまく言葉の意味が読み込めなかった優子に対して、美純は少し隣によろしいだろうかと、一礼した。

 彼の申し出を断る理由なんて全くない。いいよ、と優子が促すと、彼は約五十センチの位置に腰を下ろした。部室での座席、長机二列を挟んで対面の位置関係より、ずっと近い距離だ。

「えぇっと、何というか……アレだ、そんなに悪い気はしないというか、逆に優子さんの、隠された一面を知ることができて……え~っと、……その、うん…………ちょっとドキドキ」

「⁉ ……そう、なんだね」

「ただ、とはいっても……煙草以上にヤバいことをしてたら、うん、どうしようか迷うけど」

「ありがと。…………大丈夫、といったらおかしいけどね。これ以外は……あとはお酒くらいかな」

「お酒……優子さん…………あ、別に他意は無い、です」

 悪事を告白した自分に対して、その悪事に手を染める自分が好感触であるかのような、美純のこの言動。もしかしてわたし、勘違いしてしまっていいのだろうかと、優子の心は舞い上がってしまった。


 最早、すっかり気を良くした優子は美純に、こういうことに手を出した経緯と、隠してきた本音を話し始めた。

 対して美純も、思うところと称して優子に返した。すべてに共感できるわけではないが、それでも優子さんが常に自身を押し隠し、傷付くのを我慢してきたことは、自分にも理解できる気がしたのだと。更には、俺はこれまで周りの言うとおりに生きてきたし、反抗期もろくに来なかったから、世間ではいい子扱いであったが、高校に入ってからは思っていた以上に無能で考え無しな自分の一面を実感する場面が多く、何もかもが嫌になってしまう時がある、とも。

「だけどわたしは、螢くんにはこのままでいてほしいな……」

「……優子さんも、無理せずありにままがいいと思います」

 会話としては、わずか十五分程度。その中で二人が出した結論のようなものは、似通っていた。


 ふと、美純は、畏まった様子で優子に言った。

「あの…………優子さん、頼みが……」

「……?」

「その分のお金は出す。…………一本、貰えないだろうか?」

「えっ…………エェ~……?」

 美純のあまりに予想外の申し出に、優子は困惑した。物凄く、困惑した。

 最初はダメだよと彼を制した。螢くんには似合わないというか、できるならこういうことは知らないままの螢くんでいてほしいなと、口にはした。

 とはいっても、言葉と気持ちの不一致はままあること。煙草を吸う優子を一部肯定した美純と同じような好奇心、あるいは欲望を、優子もまた抱いていた。

「…………でもね、やっぱり、悪いことする螢くんも、まぁ見てみたくもなくもないとか思っちゃったり……、なんちゃって、ね。………………ねぇ、ちょっと、悪い子になっちゃう?」

「………………なってみる。ありがとう、ございます」

 結局そう言って、優子は一本だけ、美純に差し出した。

 律儀にも財布から小銭を取り出そうとする美純に対し、こういう嗜好品は分けあうものだからと優子は断った。その代わり、二人だけの秘密だからねと小声で、しかし強く念を押した。


 煙草と同時に渡した紫のライターを持つ美純の手は、ガクガクと震えていた。

 その理由は冬の寒さだけではないだろう。周囲に見られてやしないかという不安もあるし、安全性を考慮したライターのスイッチが重いというのもある。何とか点火させたが、わずかな風に邪魔されてなかなか火が安定せず、煙草に着火できない。

 半年前は自分もこうだったなぁと、思わず笑った優子。彼の不器用な挙動が愛おしくあり、そしてじれったくもある。

 残念ながら現時点では、正式に男女のお付き合いという段階には程遠い。キスしたことも、ハグしたことも、それどころか手を繋いだこともない。

だが優子は、このかつてないありえないチャンスに、ある冒険をしてみることを決意した。


「いいよ。わたしが点けてあげるね」

「えっ……エェ~?」

「こっち向いて。咥えたままじっと動かないで。そのまま、すぅ~……って吸い続けていて」

 そう言って優子は、自身も煙草を咥え、先端を美純のそれに接触させた。そして、その接触部に、慣れた様子で火を灯した。

 美純は目を丸くしながらも、言われたとおりに息を吸うと、先端があっさりと着火。口腔内に生暖かく刺激のある気体が流入してきたようだ。少し怪訝な表情を見せながらも、変に噎せて咳き込みそうな様子もない。

「……どう?」

「…………ニガい。煙い。でも思ったほど苦しくはない。あと、メンソールの香りがはっきりしてる、気がする」

「あははっ……まぁ、一ミリだしね」

 優子が初めて喫煙したときと、ほとんど同じ感想。お世辞にも美味しいものではない顔だった。それでも美純は、いただいたモノは十分に満喫せねば無作法とばかりに、二口、三口と、無言で紫煙を吸い込み、これ見よがしに吐き出すことを繰り返した。そうした流れまで、初めてのときの優子と同じだった。

 そんなこんなで二分強が経過。すっかり短くなった煙草をどうしようか迷った様子の美純に、優子は携帯灰皿を差し出し、消火させた。

 口腔内に残る妙な違和感を軽減したかったからか、美純は先程コンビニで購入したという、酸味のあるグミをバッグから取り出した。優子も似たような菓子は持っていたが、その厚意をありがたく受け取った。


 そろそろ優子にとって撤退のタイミングだ。長々と美純を付き合わせるわけにもいかない。するとそれを察してか、美純は立ち上がった。優子もそれに続いた。

「貴重な経験だった。ありがとう。……そして、秘密だね」

「うん…………えぇっとね、螢くん?」

「……?」

「ウチの近くまで、送ってくれないかな?」

 生真面目な美純はここで現地解散するつもりだろう。けれども優子はもう少し同じ時間を共有すべく、彼にワガママを言った。美純はそれに対し、暗闇に紛れて見えない赤面を浮かべながら、こくりと了承した。

 たった十分程度の帰り道。二人はほとんど無言だった。最後はマンションの入り口の前で、かなり控え目にお別れの挨拶をした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 自室に戻った優子だったが、一連の出来事による極度の興奮は、後始末をし、入浴してなお、鎮まらなかった。

 はじめて二人だけの秘密を持ったこと。手を繋いだりキスよりも先に、シガーキスというイレギュラーな展開。ひたすら身悶えが止まらない。ベッドの上でひたすらじたばたし、抱き枕を両腕両脚で抱き締め、顔を埋めることを何度も繰り返した。


 午前三時過ぎ。ようやく疲労を意識しだしたところで、優子は思った。

この夜は、本当の本当に、二人だけの秘密だ。彼が誰にも言わないと約束してくれたのだ。自分もそれに応えなければならない。

 優子が大切に想う存在――――それこそ霧香、絢や千里にさえ、このことは決して口外はしない。それは彼の立場さえ危うくするものだからだ。

 そう考えると、また更に眠りが遠のいていく。結局、意識がふぅっと消えたのは、午前四時を回ったあたりだった。


 翌日金曜。優子は、美純が体調不良で昼から早退したことを、絢から聞いた。

 どうやら彼は、軽い風邪をひいたらしかった。昨日の一件が影響していたのだろうかと、優子は申し訳ない気持ちになった。

それと同時に、進展にはまだまだ時間がかかりそうだとも感じた。


(終)

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