Episode:4 C.S.ガール part.7

 土曜の午前十一時。先週に引き続き、絢と千里は、優子の住むマンションを訪れた。

 事前に霧香はいるかと確認したところ、昨日の夜勤明けの後、久しぶりに訪ねてきた大学時代の友人と連れ立ってドライブに出掛け、帰りは日曜夜の予定だという。

この情報は絢も掴んでいなかったが、場所を移動しなくて済む上、霧香にも不審がられない分、極めて好都合だった。


 いつものように楽しげに迎えてくれた優子。今日は食材があるからペンネグラタンを作ろうかなと話す優子の言葉を遮り、少し威圧するようなトーンで、絢は言った。

「いや……ごめん。今日はご飯はいいや。それよりも、今日はあんたに話しておきたいことがあるんだ」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 優子に向かい合うかたちで、食卓の椅子に座った二人。まず口火を切ったのは、絢だった。

「回りくどく言ってもしょうがないからはっきり言うよ。あたしとチサトは見たんだ。ユーコ、あんたが煙草吸ってるのを」

「………………何のこと?」

 優子は眉を顰め、絢の言葉を否定するような態度を取った。

「勝手に申し訳ないけど、優子、あなたの夜の行動を尾行させてもらったの」

そこで千里が時系列に沿って、自分たちが得てきた情報を述べた。六組の女子、儀舞良の話。絢が水曜の夜に偶然、優子が人通りの少ない道を歩いているのを目撃したこと。そのことが気になり、夜中に千里と張り込みをすると、優子がマンションを出て水門に向かい、煙草を吸い、帰宅するという一連の流れを確認したこと。

「………………」

 最初こそ、見間違いじゃぁないのかなと反論した優子だったが、ひとつひとつ事実を突き付けられる度に、彼女の色白かつ健康的な餅肌が、段階的に蒼冷めていった。

 本当に身に覚えがないならば、もっと落ち着いて余裕のある表情を見せるだろう。だが彼女はそうではなかった。二人に視線を向けることができなくなり、祈るように両手を組んで顔を伏せてしまう。


「優子……やったことは認める、のかな?」

「………………」

 千里からの問い掛けに、優子は何も言わなかった。だがほんの一センチだけ、俯いた頭がガクッと下がり、元の位置に戻った。

「……ユーコ? 何か、言いたいことはある?」

「……ん………………」

「……分かった。じゃあ具体的に聞くよ。まずはいつから、こんなことをしている?」

 続いては、絢からの一問一答。この犯罪行為に手を染めた時期。入手する方法。周囲への対策。あれこれ矢継ぎ早に聞きたい気持ちを抑えながら、どうにかゆっくりゆっくりと心がけ、質問していく。

 それに対し、優子はぼそぼそと答えていく。いつものハイトーンで可愛げのある口調とはまるで異なる、所々聞こえにくい声だ。一応、黙秘はしていないし、誤魔化している様子もなさそうだ。

「おっけ。じゃぁどうして、煙草なんか吸い出したんだ?」

「………………」

 だがそれも悪事の根源、動機となると話は別。事実を淡々と口にすればいい質問ではないからだろう、再度、優子は押し黙ってしまう。


 そこで絢は質問を変えることにした。二択で答えやすく、それでいて間違いなく相手を揺さぶるであろう質問をした。

「キリカ様には、バレてないのか?」

「バレて……ない、はず…………」

 優子が絞り出した答えは、きっとそう来るだろうなという、絢の想定内。同時にその答えは、絢の神経を苛立たせるものでもあった。

「………………ばか。本気で、あんた本気でバレてないって思ってんのかッ?」

「…………え?」

「……あのさぁ、キリカ様は警察だぞ! 怪しい動きに気付いてなんぼの仕事じゃあねぇかッ! そんなキリカ様が何も言ってこないってのならそれはなぁ、悲しんでどうしていいかわかんねぇんだよッ! 娘も同然なあんたが煙草なんか吸ってさぁ! だけど信じてんだ、絶対あんたならこんなバカなこと止めようって気付いてくれるって信じてんだよッ!」

 絢は敢えて、感情を強めに出して攻勢に出た。次から次へと吐き出す言葉は、相手の心に揺さぶりをかける作戦であり、同時に理屈も何もない絢の本心でもあった。

「…………~~~~~~ッ」

 その結果。微かな隙間風のような高温、そして嘔吐くような呻り。とうとう、優子は落涙した。数分間両手で顔を押えた後、何度も鼻水を啜り、目を擦った。

 そしてそこから先は、堰を切ったかのような吐露を始めた。いつもちゃんとしていないと、周りから色々言われて物事が進まない。だから何でもちゃんとし続けていたら、いい子だと言われるようになった。けれどいい子だと言われてもつらいだけだった。誇りなんて持てなかった。自分はそんなに上等な人間じゃぁないから。だからこっそり悪いことをしているときだけは気持ちが楽になれた。霧香ねぇちゃんにもどうしようもないから、自分でどうにかするしかなかったんだ――――


「…………ッッ」

 それが本音かよ……声にならない声を漏らし、絢は歯ぎしりした。正直なところ、それほど同情が湧いてくる話ではなかった。小学中学と、周囲とのトラブルを起こしては教師たちから怒られてきた絢からすれば、優子の苦しみをすべて理解するなど不可能だった。

 とはいっても、それは彼女だからこその悩みであろうことも、絢は理解していた。誰からも羨まれ、敬愛される人間でさえも、道を踏み外し我が身さえ滅ぼしかねない悩みが存在することを、絢は知っている。彼女が好きだった特撮や漫画にも、そういったシーンが出てきたからだ。

「そっかよ…………じゃあさぁ、今この場で認めろよ! 『わたしは霧香ねぇちゃんのまっすぐな笑顔と愛情がうざったくて大ッ嫌いなんです』、ってさぁ! そしたらあんたも少しは楽になれるんじゃぁねぇの? どうなんだ香坂優子! ここまできたら自分に正直になっちまえよ! とことん悪い子になっちまえよ! キリカ様なんて完全に裏切っちゃってさぁ!」

 絢は、目の前で泣きじゃくる友達が、酷く惨めで情けなく思えてきた。だから彼女を非難した。バシバシと机を叩いた。自身が発する怒りの言葉に、心を浸食されていた。


「絢っ! …………少し、落ち着こうか」

「っっ…………ごめん」

 ここで千里の一喝。絢の左肩を、彼女の右手がガシリと押さえ付けた。はっと我に返って謝る絢の呼吸が落ち着いたのを確認し、今度は千里が話し始めた。

「ねぇ優子。あなたのやったことは、私たちにバレた。いや、ギマイラ……儀舞良ごときにすらバレた。だからこのままだと、学校にバレるのも時間の問題。そうなると処分は免れないし、霧香さんだけじゃぁなくて、あなたのご両親にも話が及ぶ。そしてこのバンドだって……部活じゃないサークル活動だから、たぶん簡単に潰される。当然あなたもそのことは理解してるつもりだったんだろうけど、でも心では理解してなかった。危機感を持ってなかった。だからこんなことを続けていた。……そうでしょう?」

 自分の脳内にあった甘さを、こうして他人から明示される痛み。落ち着いた千里のターンではあるが、優子は頭を上げることができない。


 そこで、先ほどの激昂でかなりのエネルギーを消費し、いくらか気分の落ち着いた絢が、千里の代わりに話し出した。

「眞北は絶対、こんなことでバンドが終わりになったら怒り狂うに決まってるし、喬松だっていい顔はしないだろうね。………………ユーコ、顔を上げな」

 まっすぐこちらの目を見て話を聞くよう促す絢に、優子は答えない。ならば仕方ないと、絢は決定的な名前を口にすることを決めた。

「……ここまで言ったらもう分かるだろ? あたしらがこれから何を言うか、もう察しはついてるよな? さぁ、顔を上げな、ユーコ」

「…………」

「……美純が、悲しむぞ」

「ひ………………ッッ」

 言われるがままに顔を上げた優子は、一瞬、絶対に触れられてはならない部分を曝け出され、素手で弄られたような表情を見せた。直後、自分の頭をガシリと抱えながら、ガクガクと震えて付けに突っ伏してしまった。そんな彼女の様子に溜息をつきながらも、絢は話を進めた。

「……あいつがさ、あんたのことをどう想ってんのか知らねぇけど、少なくとも信頼はしてるよ。ドキュンボーの一件であいつも話してただろ? バンドは自分の親にも自信持って話せる、自分の居場所のひとつだって。それをあんたが奪っていいワケがない……だろ?」

 突っ伏したままの優子の目から落ちる涙と、顔からの水分蒸発。その湿度で、木製のテーブルに塗られたコーティングが溶けてしまいそうだ。

「…………よーく分かった。だから顔を上げなって」

「ぅ……」

「ユーコ、あんたはいい子じゃぁなかった。でも、悪い子にもなりきれない。だって悪い子の才能がないもん。キリカ様に美純を裏切ってるくせに、でも裏切りたくないって顔してる。悪い子にしちゃぁ中途半端すぎ。この辺で諦めたら?」

 顔を上げはしたが虚ろで視線を合わせない優子に、絢は言い放った。その心中では、本当は悪いことをする人間なんて目の前の優子みたいな中途半端野郎がほとんどだろうけど……と理解はしていたが、そこは言葉は使いよう、というやつだ。

「煙草なんかやらなくても、自分の気持ちに上手く折り合いをつける方法、あったんじゃぁないかな。愚痴くらい私たちでも聞けたはずだし、そこは頼ってほしかった、かな」

 さらに畳み掛けるように、千里の温和で真っ当な言葉。しかもとどめとばかりに、残念だよ、というウィスパーボイス。

優子の涙腺は、再び強制起動させられた。そこから約三分、長いと思えばよいのか短いと知覚すべきなのか、とにかくひたすら重いだけの沈黙が生まれた。


 被疑者への尋問を開始してから、かれこれ一時間。聞きたいことは聞き出し、話したいことは話したはずだ。もうそろそろ結論に入っていいだろうと、千里が次のフェイズへの移行を促した。

「…………優子。あなたにできることは、今すぐ煙草をやめること。それと、この一件は絶対誰にも言わないこと。墓まで持っていくこと。単純な結論だけど、それしかない。私たちはあなたに禁煙を求めるし、最悪でも高校卒業するまで、それ以外の選択肢は許さないから」

「………………ん……」

「私たちからは本当にそれだけしか言えない。あなたの気持ちには分かる部分もあるけど、許す理由になんてならない。だから今すぐここで――――」

 ――――煙草をやめることを宣言しなさい、そう言おうとした千里を、絢が制止した。

「――――いい。今は言わなくていい。ここでどうするか口約束したって、あんまりイミなんてない。本当に止めてくれなきゃぁヤバイんだから。あんたも、ウチらも」

 テーブルに身を乗り出す勢いで声高に言い放ち、それでいいよなとちらりと見やる絢。なるほど確かにといった表情で、千里も絢の言葉を承認した。

 そして当の優子は、約束という一応のゴールすら与えられないというプレッシャーを与えられた。誰の目にも、これ以上の追及は相応しくないと思える状況だった。

 そこから沈黙が続いて数分後、絢が申し出てきた。

「えーっとユーコ? 結構あたしら話し疲れちまったから、お水を一杯貰える?冷たいやつ」


 冷蔵庫で冷やしていたペットボトルの烏龍茶を開封し、三人分のコップに注いだ優子。少し動くことで、肌の血色が元に戻ってきたようだ。

 心地良い苦みのある冷たさが、パサついた口腔内に染み入る感覚に、三人の誰もが落ち着きを取り戻す。

 だが当然、ここからいつものような気軽な談笑というワケにはいかない。そう、優子にはまだ問い詰めなければならないことがある。しかも本題が終わってから、ある程度冷静になったタイミングで。――――それは、余罪の追及だった。

「一応聞くけど、あんたがやってる犯罪行為って、煙草だけだよな? 例えば他にも酒飲んだりとか……?」

「………………実は、三、四回くらい」

「あぁ~…………」

「…………だろうね、うん」

 早速のアウト。絢も千里も頭を抱えた。とはいえやってしまった事実は覆せないし、煙草と同じく止めればいい話だ。

 だが、違法性や周囲に与える心象その他において、喫煙や飲酒を上回るような悪事もこの世には存在する。それらについても、この場で聞かないワケにはいかない。

「じゃあ万引きとかは?」

「それはやってないよ! そんな、他に被害を与えるようなことなんて!」

「どの口が言ってんだ、どの口が。煙草なんて廃部になるようなこと、ウチらに被害与えるよーなことやらかしておいて」

「……ッッ」

「まぁまぁ。絢、やってないことの話は今は置いておこう。……さて優子。もしかしてだけど、大人がやっても犯罪なやつとかは? 例えば白いクスリとか、怪しいキノコとか」

「それもやってないよ! どうやって手に入れるかも知らないし……知りたくもないし」

「あぁ、そうなんだね……それならいいんだけど……」

「じゃあ……あんたに限ってまさか、とは思うけど…………まさか、自分の躰売ったりだとかは――――」

「そんなの絶対やだッッ! それだけは本当……好きでもない人に身体見せたり触らせたりだなんて、そんなことわたしにはお金貰ってもできないし…………」

「え、えぇ……あぁ、そう。そっかぁ~……」

「……いや、本当、嘘は言ってないのは分かったよ。でもそこまでめっちゃ否定するとは……」

 とりあえず、どっかのベースが最高に深く傷付くであろう行為には手を染めていない、それは間違いないようだ。絢と千里も、そのあたりには妙に安心した。


 午後十二時半。簡単な別れの挨拶をして、絢と千里はこの場を撤退することにした。

 その後の優子がどうするのかは知らない。少なくとも、明日またここを訪れる気にはなれなかった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「だいぶ正論で殴っちまった……」

「いや、あなただいぶ優子に寄り添った方でしょ。……とはいえ、これがヘンな方向にいかなければいいけど」

 親しい誰かの罪を咎めることは、嫌いな誰かの非を責めることとは真逆の心理状況。だからこそ二人とも、可能な限り長い時間、一緒にいたかった。軽く五キロはある道のりを、自転車を押しながら歩いた。

「それにしても優子、絢が霧香さんの話をしたとき、それから美純君の名前を言ったとき…………凄くショック受けてた」

「あ~…………アレは我ながらかな~り卑怯な手段だった。例えるなら立て籠もり犯の説得のために、刑事が犯人の母さんか誰かを連れてくるみたいな。……とはいっても流石にそれで止めてくれないと、マジでバンドの危機なんだけどさぁ、それでも……な」

 これでよかったのか、これから理想的に事が進むのか、……正義は我にありといってよい立場なのにもかかわらず、妙に心が圧迫されるのを感じた。


 それからも二人は、色々なことを話した。

 例えば、自分たちも尊敬するアーティストの喫煙事情。愛煙家の割合がすっかり減った現在においても、古い雑誌やバンドスコア、PV等で見る喫煙シーンは、カッコよく見えた。それに過去には、咥え煙草のイメージが強いが故、喫煙しながら楽器を演奏するスタイルが定番化、本来は火気厳禁であるステージ上ですら、舞台装置として押し通させたという有名ギタリストの逸話も存在したくらいだ。

 他にも家族の喫煙事情。家では吸っていないけど、どう考えても職場では吸っているとか、だいぶ前に止めたと言っていながら出張の時に吸っているみたいだとか。

「人生に何か小さなきっかけがあったら、あたしらだってもしかしたら――――」

「あんまり深く考えない方がいいよ。もし自分が優子だったら、とかなんて」

 自分が手を出していないのはたまたまかも、と言いたげな顔の絢。対して千里は、彼女の肩をとん、と叩くのだった。


「それにしても絢って、意外と誰かを説得するのが上手いよね」

「ッッ……それはチサト、あんたがいたから。あたしが何を言ってもあんたがきちんとフォローしてくれるだろうから、安心して喋れただけ。……それにあんただったら、きっともっと丁寧に上手く説得するだろうし」

「ははは……やめてよね、そういう全幅の信頼。あなたの眩しさに逆に毒されちゃって、それこそ私が優子みたいになっちゃったらどうするの?」

 千里が煙草を吸う姿、それはそれで見てみたい気がしなくもない…………何故か湧き上がってきた脳内ヴィジョンを、絢は無理矢理に掻き消した。煙草の話はやめようと千里が話したにもかかわらず、妄想してしまったのが馬鹿らしかった。

「あーもう! 何を話しても煙草の話になっちまうッ!」

 絢はウルフカットの髪をがしがしと掻き毟り、地団駄を踏んだ。そうしているうちに、気が付けば分かれ道に差し掛かっていた。優子が実家に帰っている日は、二人でランチを食べるのも定番の過ごし方だが、この日ばかりはそんな気持ちになれなかった。


「……あのね、絢。月曜からまた、優子と仲良くやれそう?」

「わかんねぇ。あんたほど人間できてないから、自信ないし」

「だから意味も無く私を持ち上げないの。それで、どうなの?」

「……いつか時効が来たあたりで、絶対今回のことをネタに弄ってやる」

「…………もちろん、本人の前でだけね? アウティングは絶対にやめなさい」

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