Episode:4 C.S.ガール part.5
金曜日の夜七時半過ぎ。M市街地の西に位置する、市立I中学校の学区内。大きめの二階建て住宅に住んでいる千里を迎えに、ビターチョコのような色をした一台のコンパクトカーが、敷地入り口の前に停車した。
「ありがとうチサト。無理言って呼び出しちゃって」
「いえいえ。……絢さんのお父さん、すみませんがお世話になります」
高一女子二人はどちらも、着古しのジャージの内側に、セーターやタイツを二重に着込んだスタイル。見た目は度外視、汚れても構わない、かつ防寒性に優れた服装だ。
そんな二人はこれから目標――――香坂優子の自宅付近で、彼女の怪しい動きを見張りに向かうのだ。
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高校生による夜間の外出。M県の条例で深夜と定義されている午後十一時以前であっても、例えば塾通いといった正当な理由がない限り、まず歓迎などされない行為だ。
この非常識な作戦行動を思い付いた絢。彼女は最初、友達がつらい悩みを抱えているから励ましたいという、もっともらしい説明を簡単にして、普通に外出しようとした。しかし察しが良く気の強い母親は、こんな時間に非常識だ、せめて通話にしろと叱った。対して絢は、じゃあお母さんは高校のとき一度も夜間に出掛けなかったのか、誰かのために飛び出した経験はないのか、そんな理屈も正当性もあったものではない叫びを、ストレートにぶつけた。
結局、帰宅が早かった父親に車を出してもらい、目的地まで付き添ってもらうことになった。タイムリミットは午後十時までというのが条件だ。
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状況が状況だけに、絢も千里も楽しくお喋りという雰囲気ではない。車内に響くのはハイブリッド車の控えめなエンジン音と、大物ロックバンドの楽曲――――テレビがまだ白黒の時代に第一作が放送され、今なお根強い支持を受ける妖怪アニメ、その第六作目のエンディングに採用されたバラード曲――――だけだ。
運転する父親は慮るような口調で、娘の友達に問い掛けた。
「藤守さん、だったっけか。今日のこと、親御さんには話したか?」
「…………はい」
千里は小声で頷いた。両親はどちらも忘年会で、毎年最短でも午前様、たまに朝帰りになるのが恒例だという事実は、決して口にはしなかった。そんな彼女の様子に絢の父は、そうか……、とだけ返した。
結局、その後は沈黙に包まれたまま、十五分程度で移動完了。絢によって大まかに伝えられた目的地、その周辺のコンビニで駐車となった。
駐車場で時間を潰しているからと、娘とその友人に告げた絢の父。ありがとう、それじゃあ行ってくると車を出ようとする二人を、絢の父は何かを思い出したかのように呼び止めた。そして小さなプラスチック製の機会を一つずつ渡し、こう言った。
「話が終わったら、それか何か起こったら、すぐ俺に連絡しろ。……だが身の危険を感じたら、迷わずスマホじゃぁなくてこの防犯ブザーを鳴らして、どこでもいいから安全なところに逃げろ。犯罪に巻き込まれるくらいなら、警察と学校にバレて怒られる方が一億倍マシだ」
「…………うん」
「あと言っておくが、俺、ケンカすげー弱いぞ。口でも腕力でも。だから最悪、凶悪犯罪者が現れた場合、お前等を護れねぇかもしれない。……それなりにワガママは聞いてやりたいが、親にもできないこと、庇いきれない限界がある、ってことだ。そのことを踏まえた上で、後は好きにしろ。何があっても俺は詳細は聞かない。お母さんにはテキトーに言っておくから、できる限りちゃんとケリつけてこい」
会話があまり得意ではない、それでいていつも言葉数だけは多い父親の話。おまけに内容もちょっとズレているような気がする。だが、こうしてワガママに協力してくれたのだ。だからその不器用な言動に対して、悪い気が起きたりはしない。
「……わかった。ありがと、お父さん」
「感謝します……」
絢は、素直に感謝した。後ろめたさを抱いている千里も、それに続いた。
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この一帯では大きな部類に入る川沿いのマンションから、道路を挟んで向かい側にある小さな神社、その敷地を囲む木々の陰。住人の出入り口がよく見えるこの場所が、張り込み場所だ。
「あんパンと牛乳買ってこよっか?」
「あたしはどっちも嫌いだ。レモンソーダとチョコクロワッサンにして」
最初こそ家族への後ろめたさもあり、口数の少なかった二人だが、深夜の張り込みごっこという、ある種の背徳感溢れる行為に、次第に気分が高揚。冗談を言い合う余裕も出てきた。
絢は暗視用双眼鏡を首にかけ、動作を確認した。これは中学の頃、父親から貰ったものだ。
M市職員である父は、お世辞にも人付き合いの上手なタイプではない。だが大学時代や職場での縁で、何かと独特な趣味を持つ知り合いが数名いる。この双眼鏡も、独身時代に天体観測に行った際、先輩から譲り受けたものなのだそうだ。
これさえあれば、目標から距離を取りつつ、その挙動を確認できる。一方で使用中は、自身も周囲の状況把握が疎かになるため、不意の怪我をしたり、最悪、不審者に間違われて警察を呼ばれるかもしれない。だからこそ、サポートしてくれる千里の存在は、この張り込み作戦に不可欠だった。
「本当に、優子は動くと思う?」
「あぁ。かなりの高確率でな。一昨日も言っただろ? 今日はキリカ様は夜勤で翌朝まで帰ってこない、だから動きがあるはずだ」
「……ったく、何で普段はスケジュール立てるの苦手なのに、そういうことは都合よく把握してるのよ? あなた、もしかして名探偵? それとも死神?」
「だってユーコと夜更かし通話とかしたくなるかもしんないだろ? だから一応、キリカ様が夜勤のスケジュールを話してたのは覚えてるんだよ」
「あぁ……左様でございますか」
五月蝿くならない程度に小声で、かつ、不審者に思われない程度の自然な声量を保っての雑談を、断続的に繰り返して数十分。時刻は九時三分、ついに事態が動き出した。
「来たッッ!」
何者かが、マンション敷地から歩道へと姿を現し、西の方角へと進んでいくのが見えた。パーカーのフードを目深に被ってはいるが、シルエットからして、女性だ。周りの塀や自動車と比較すると結構な長身だし、それに眼鏡をかけている。間違いない、香坂優子だ。
目標は横断歩道を渡ると、一級河川の方へと曲がる。堤防法面の階段を上がり、堤防道を上流方向へと歩いてゆく。格好だけ見れば、その雰囲気はいかにも健康づくりのための散歩、と見えなくもない。
追跡する二人は、目標との距離、約五十メートルを確保。堤防を乗り越えて河川敷に降り、目標を見上げるかたちで、慎重に足を進めていく。絢は双眼鏡で目標を注視、千里は自分達の周囲を警戒。息を潜め行動する二人に、目標が気付いている様子はなさそうだ。
七、八分ほど歩いただろうか。突如、目標は河川敷に降りてきた。絢と千里はすぐさま、闇に紛れるように、地面に身を伏せた。
目標が進んでいく方向には、大きめの水門装置。堤防を貫通し、水門に繋がる溝で河川敷が分断されるかたちとなっており、そして目標と二人とが隔たれている。
二人はそこから、石ころや段差に躓いて転ばないようにゆっくりと、距離四十メートルまで接近。それに気付かず、水門小屋に辿り着いた目標は、大きな柱の陰に隠れるように座り込んだ。
堤防道を歩いていれば、死角になるだろう目標の位置。だが、絢たちは既に河川敷に降りていた。今の位置からなら、暗視用双眼鏡で目標の姿がかなりはっきり見られるし、逆に丈の長い雑草のため、目標の側からこちらの位置を捕捉することは難しいだろう。
双眼鏡を覗き、絢は確信した。確信していたが改めて確信した。やはり間違いない、優子だ。
「…………ッ⁉」
程なくして、目標、香坂優子の口元にふっと浮かんできたのは、ほんの小さな、朱い光。街灯の届かない闇の中でこそ輝く、その光の意味するところは――――
「(や……やった! やりやがった! 香坂優子アイツっっ!)」
「(え? 一体何? …………って、エェ~⁉ 吸いおった! あやつ、煙草を吸いおった!)」
――――二十歳未満の、喫煙。
百二十年以上も前から存在する法律に規定のある、この国でもトップクラスに広く知れ渡っている犯罪行為のひとつだ。
「(どうする? 証拠写真撮るか?)」
「(ばかッ! この距離じゃあ無理! だいたい証拠なんか撮ってどうするの? 学校とか警察に見せるの?)」
「(んなワケねぇだろ! じゃあ今からユーコのところに――――)」
「(ダメ! 突撃は絶対ダメっ! とりあえず落ち着こう!)」
信じられない展開にパニックを起こした絢。だが千里の言うとおり、落ち着いた方がよさそうだ。自分達も動揺している中、今ここで、彼女に対して何か行動を起こしても、余計に事態を悪化させるだろう。最悪、騒ぎを起こして警察に通報され、自分たち自身をのっぴきならない状況に追い込んでしまうかもしれない。
深呼吸、昔、合唱をしていた頃に習った腹式呼吸を三回、絢は繰り返した。千里もそれに倣って、己の脈拍を平常値に近付けた。
結局、二人はその場を撤退し、再度、優子のマンション近くに張り込んだ。するとしばらくして、彼女は帰ってきた。監視していた二人に気付くことは、最後までなかった。
間違いない。絢と千里の親友であり、バンドメンバーである香坂優子は、時折、夜間に家を抜け出し、こうして煙草を吸っていたのだ。
彼女が何をやっているか、その確認が取れた以上、もうここにいる理由はない。自分たちが誰かに不審者と見なされてしまう前に、とっとと父親の待つ場所へ戻ることにした。
これから優子にどう声をかければよいか、どう接すればよいか。そもそも二人はこれからどう行動すべきか。迎えが来るまでの間にすべてを決めるのは難しそうだ。
だがそれでも、一番重要なこれからの目標、それだけは一致していた。
「一応聞くけど、絢? これからどうするの?」
「…………やめさせよう。明日、ユーコと、ちゃんと話そう」
「……そうだね。こればっかりは、放っておいちゃぁダメだね」
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