Episode:4 C.S.ガール part.4

 初ライブへの出演を決意してから二日後、水曜の放課後。この日、優子は面倒な課題を出された他、叔母が夜勤のうちにやっておきたい家事があるということで、終業後すぐに帰宅。絢と千里は、とりあえず部室で過ごそうかと、茜差す肌寒い廊下を歩いているところだった。

 部室棟へと向かう渡り廊下の途中で、その隅からケセラケラケラと嗤い声が聞こえる。如何にも明るそうな男子三人による、談笑。普段なら気にも止めない、単なる雑音。

 だが、このときばかりは違った。二人とも、愉しげに語られる会話の内容に、心臓がびくりとさせられたのを感じた。


――――六組の香坂優子が、産婦人科に入っていくのを知り合いが見たってよ。もしかして妊娠したとかじゃねぇ? でも別に誰かと付き合ってるとかじゃねぇだろ? アレだ、隠れてパパ活という名の売春やっていてそれで、とかありえるだろ?


「…………聞こえたか?」

「……うん」

 一旦その場を通り過ぎ、雑音源の死角に移動した二人。バンドの仲間であり親友である女子が侮辱されている事実に、怒りが燃え上がった。

 彼女らが耳にした内容は、常日頃から話題の人物と行動を共にしているならば事実無根だと分かるし、それに客観的にみても公共の場に相応しくないものだ。よほど夢中になって周りの存在に気付かないから、こんな非常識な話で嗤えていられるのだろう。

「…………止めるなよ」

「絢? どっかから凶器持ち出して暴力沙汰を起こすってのなら、あなたを引っ叩いてでも止める。ただし、周りに迷惑がかからないように冷静に話し合う、ってのなら、私も一緒にやるよ。徹底的に」

「ありがと。その言葉が聞きたかったッ」

 介入せずにはいられるかと、絢は即断した。いつもは荒事を避ける千里でさえも、こればかりは黙っていられないと覚悟を決めた。


 長身痩躯で狐を思わせる顔立ちをした一年五組の男子、座旦銀(ざたん ぎん)は、絢や千里と同じくM市立I中学校の出身、一応は顔見知りである。

中学高校とサッカー部に所属している体育会系であり、学校という閉鎖的なコミュニティ内であれば、階層構造の上位にいられるであろう人物だ。彼と談笑している男子二人も、恐らく彼と同じクラス、あるいはサッカー部の仲間だろう。

「えぇっと、座旦君? 久しぶり。この絢があなたに話があるんだけど、ちょっといいかな?」

 まずは千里が、相手に時間を取らせることへの了解を伺った。怪訝そうな顔を浮かべて前に出ようとした取り巻き二人を睨み付けた後、座旦に向かって絢が話し始めた。

「えーっと失礼? さっきすれ違ったとき、なんかオマエが、ユーコ……っと、六組の香坂優子がどうのこうのって話をしてたのが聞こえたんだけど。最初から順を追って話してくれねぇか? 全部?」

 有無を言わさず命令する態度の絢。一度怒らせれば教師にすら歯向かい、校内放送を使って吊し上げることすら厭わない彼女を知っていたためか、座旦は嫌々そうながらも、素直に話し始めた。


 絢と千里にとって、香坂優子という女子生徒は、自他共に認める親友、何でも話せる関係だ。少なくとも二人はそう信じていた。だから彼女が女子特有の体調不良等のため、市内に新しくできた産婦人科を訪ねたことや、そこの女性医師による丁寧な診察やアドバイスに感激し、もし悩みがあったらここを頼るといいよと絶賛していたこと。そういったかなり突っ込んだ話だってしている。

 そんな二人にとって、この男子の話した内容は、改めて聞くまでもないただの誹謗中傷、それ以外の何物でもなかったのだ。


「一応確認なんだけど、オマエは実際に見たのか? ユーコが産婦人科に入ってく光景を? あ?」

 絢の問い詰めに対し、座旦はただ、見ていない、噂に聞いただけだと答えた。そして、産婦人科に行くということは、当然そういうことなんだろうと口にした。

 絢は、こうした誤った知識による偏見で、他人のプライバシーを侵害する言動が許せなかった。どうせこいつ、いやこいつらは、ピルケースと聞いただけで卑猥な想像をするような奴等なのだろう。

「…………、あのさぁ。女子にはオマエらが想像できねぇような悩みが色々あるんだ。帰ったらネット検索程度でいいから勉強しろ。おっけ?」

 本音を言えば、やめなさいと叫びながら巨大重機で叩き潰して、トマトピューレかミンチのようにしてやりたかった。だがそれでは、隣の千里との約束を破ることになる。だから絢は暴力衝動を抑えながら、自分より背が高い相手を見下ろすような視線と口調で、皮肉交じりに諭してやった。

「まぁそれはさておき……座旦君? 誰からその噂を聞いたの?」

 今度は千里からの質問。それに対し、相手に悪いから言えないと口ごもる座旦。もちろん、そんなその場しのぎの黙秘を、絢は許しはしない。

「なるほど見上げた義理堅さだ。だけどなぁ座旦? 根拠不明の噂で、何もしていない、何も迷惑かけてない他人を貶めるのは悪いことだ。小学校中学校と、道徳の授業だってきっちり受けてきただろ? そんでもって、そんな悪い噂を断ち切るために自白することは、何も悪いことじゃぁない。だいたい、自白したことで壊れちまう人間関係なら、無い方がマシだ。噂なんてばらまくような奴との縁がそんなに大事か? 頭のいいオマエなら分かるだろ? あぁ?」

 そんな絢の弁舌に根負けした座旦が口にしたのは、六組のとある女子の名前。面識こそないものの、絢もその名前に聞き覚えがあった。確か以前に、優子が少し苦手だと愚痴っていたとか、そういう感じの記憶だ。

「よく言ってくれた。いい子いい子。じゃぁいい子ついでにもうひとつ。この噂を、そこの二人以外の誰かに話したか?」

 座旦は首を横に振った。本当だろうなと念を押したが、全く同じ反応だ。カンの鋭い絢にも、嘘をついている風には見えなかった。

「よし、じゃあ最後だ。金輪際、あの子のことを話題にすんな。以上だ。はい、気を付けて帰れよじゃあな」

「絢が突然失礼したね。ただ、私のアンタたちの会話、めちゃくちゃ頭にきたから。そのことだけは覚えておいて」

 圧倒されて言葉が出ないが、それでもどうにかごめん、とだけ声帯を震わせた男子生徒。そんな小者を絢も千里も、とりあえず捨て置くことにした。汚染源に群がる害虫を叩くよりも、まずはその汚染源を何とかする方が、先だと判断したからだ。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 座旦が口にした生徒の名前は、一年六組の女子生徒、儀舞良(のり まいら)。天文部に所属する彼女は、放課後は大抵、部室である物理準備室におり、たまに夜間、顧問立ち会いの下で、学校の屋上で天体観測をしているそうだ。

 この日、儀は同じ天文部員の女子たちと談笑していたところ。まずは千里が丁寧な振る舞いで呼び出し、彼女を部室の外に連れ出すことに成功。先程と同様に、絢主導による尋問が始まった。


「あたしのダチ、香坂優子のことで質問な。五組の座旦があの子のこと悪く言ってたんだけど、それを問い詰めたらあんたの名前を吐いた。実際のところどうなんだッ?」

 優子の話では、この儀という女子生徒は、顔やスタイルこそ整っているが、やたらと相手をからかう嫌味な態度が目立つという。とはいえ、実際に相対してみないと人柄は分からないということで、最初は絢もなるべく冷静に言葉を選んだ。

 しかし直後、相手が口にしたのは、予想外に絢を不愉快にさせる言葉だった!

「私はさぁ、実際に見た事実を話したまで、なんですけど~。その内容を聞いた側がどう受け取ろうと、私そこまで責任持てないし」

 ――――詭弁。この女が言いたいのは、自分はせいぜい可能性を示唆したまでであり、それを変な方向に解釈した側が悪いということ。口の悪い政治家や有識者といった、謝ったら私死んでしまいます的な人間がよくやる言い訳だ。

儀のこの発言には冷静な千里も呆れてしまったし、絢も激昂以外でどう反応すればよいものかと、一時沈黙してしまう。そして、その隙を見逃さないかのように、儀は更に嫌味な口を叩いてきた。

「ところでさぁ、その香坂さん、T通りでふっくらした眼鏡のおじさんと並んで歩いてたんだけど。しかも随分ガーリーな服着ちゃってさぁ」

「……それはユーコのお父さんだ。N市に住んでるけど、出張とかでたまに会いに来るって言ってた」

 またも、優子のことを詰る噂話。真っ当な反論材料を以って絢がカウンターを放つも、儀はそれすら茶化すように、さらに言い返してきた。

「だといいけどねぇ。ところで知ってる? 市内にいくつも土地とか建物持ってる資産家のじいさんが、外国語だか何だかのサークル開いてるみたいなんだけど、実はいろんな年代の女を侍らせてお小遣いあげて、挙句の果てには――」

「てめぇッッ!」

 ついに感情を抑えきれなくなった絢。いわゆる壁ドン。ざらついた校舎外壁の表面で掌が汚れ、あるいは傷付くのも構わず、自分より少し背の低い相手を追い詰めた……のだが。

「……あのねぇ。私はそういう事例もあるから気をつけろ、って言いたかっただけなんだけど~。少しは真意とか行間を読む努力してみたら?」

 しかしながら、座旦とは一味違うこのメスガキ。壁に追いやられたくらいでは動じず、またも態度の大きな言い訳をかましてきた。

 絢は悟った。こいつは誰かを苛立たせたり、傷付けたことに対して、一切の罪悪感を抱いていない。自分たちとは違う生き物だ。意思の疎通など図れない。そんな生物に人間の法律など適用されていいはずが――――

「てめぇ死――――」

「やめなさい!」

 相手の顔面に一発ぶちかまそうと、右半身を大きくテイクバックした絢。そんな彼女の右手首を、千里の両手が掴んだ。

「……絢、落ち着こう」

「…………ぐ、………………ッッ」

 感情を爆発させ暴力に頼ろうとした絢にも非がないとはいえない。だがそのことを、千里は指摘しなかった。そんな正論で説得しても絢が苦しいだけだと、理解していたからだ。

「(……少なくとも噂の出所はこれではっきりしたんだから、それを聞き出せただけでも十分だよ。これは間違いなくあなたのお手柄。そう、あなたは負けてないッッ)」

 千里がしたのは、絢への耳打ち。軽く二年半も仲良しの関係、I中学の狂犬とも称された彼女のコントロールも今や手慣れたもの。この場において自己を肯定してくれる言葉は効果抜群とばかりに、絢は深呼吸できるだけの冷静さを取り戻した。

「……儀、オマエに要求する。もう二度と、ユーコのことを話題にすんな。それにあたしらの事もだ。それを約束するってんなら、この話はこれで終わりにするから……じゃあな、いきなりで悪かった」

 こうなってしまえばもう、相手に要求すべきは、再発防止それのみ。初対面だが嫌いな相手に、敢えて絢は一礼した。千里もそれに続き、とりあえずこの場を後にしようとした。

 だが、二人には誤算があった。それは、突然部室の外に連れ出された上、あわや殴られそうになったことに対する、儀の反感だった。


「ところで最後にさぁ! ……あの子、たまに深夜徘徊してるのも知ってる?」

「…………は?」

 儀は語気を強めて、背を向けて歩き出した女子二人を呼び止めた。振り返って怪訝な表情を浮かべた相手に、彼女は再び、声高に話し始めた。

「せっかくだからとっておきの教えてあげるけどさぁ~。私は見たんだ、二回も。あの子、TM大橋とOY大橋の間くらいを、夜十時過ぎに歩いてた」

「普通にウォーキングとかじゃぁないの?」

「それかふつーに買い物とか、だろ?」

「いいや、ウォーキングとか買い物してる風には見えなかったね。そもそも普通、そんな時間に歩いたりなんかしないし? っていうか、如何にも私地味な女ですアピールしてそうな服装で、かえって怪しかったんだけど」

 もっともそうな理由受けにも動じない減らず口。これこを切り札と言わんばかりの自身が伝わってきた。しかも儀の弁舌は、それにとどまらなかった。

「あんたたちさぁ、随分あの香坂さんを高く評価してるみたいだけどさ、そんな親友こそ時には疑ってみたりとか、適切な距離感を今一度考えたりとか、あんたたちみたいに友情に篤い人間ならそうするべきなんじゃないのかな~。だいたい、人間どんな裏の顔があるか分かったもんじゃ――――」


 ――――ぱぁん、と、破裂音が鳴り響いた。感情を爆発させた絢が、儀のすぐ横、校舎の外壁にヤクザキックを放ったのだ。

「それがほんとにユーコでもなぁ! 少なくとも無関係のてめぇが茶化していい話じゃぁねぇよ! だいたいそんなに噂話で人をバカにすんのが好きならなぁ、暴露系配信者デビューして信者増やして収益得たらどうだぁ? でもって将来の就職先はマスゴミ関係かぁ? 『禁断JITSUWA文化』ってド低俗コンビニ雑誌知ってるかぁ? あそこの編集部とかオマエにとっちゃぁ天職だと思うけどなぁ? 以上! じゃあな、この××××クソ女ッ!」

 儀の割り込みを許さないかのように、矢継ぎ早に放たれた大声。締めは言葉に書き起こせない下劣な言葉混じりだ。結局、絢は千里よりも先に、この場を撤退した。


 ちっ、うるさかったなぁといった表情で、儀は室内に戻ろうとした。そこに千里が、ごめんなさい絢が五月蝿くて……と一礼した。そして。

「それと最後に、ひとつだけ聞かせて。…………オマエ、優子の何が気に入らないの?」

「はぁ? それ別にあんたらに話す義務も義理もないんですけど~」

「そうだね。確かに義務も義理もない。……だけど、優子がオマエに何をした? あんなことこんなことを言いふらしたからには、結構大きい理由があるはずだよね? そんな大きな理由を私たちごときにも堂々と答えられないんだったら、オマエにだって優子のあれこれを言いふらす資格、ないから」

 他人の行動という事実を拡散することを好むが、自分の情報だけは絶対に表に出さない卑怯者――――そんな儀舞良という人間に、千里は静かな怒りを突き付けた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「何なんだよあのギマイラはよぉ! くそメスガキがッ! あんなにイラつくのはブラキンとかドキュンボー以来だッ!」

「はいはいどぉどぉ。気持ちはよーく分かったからお静かに。私だって久々にメンチ切ってすっごい疲れたんだからさぁ」

 絢も千里も、気を抜けばモノに当たりそうな気分だったのでとても部室に行く気にはなれなかった。とりあえず自販機コーナーで自棄ドリンクを呷ることにしたが、辿り着くまでの間、絢は三回くらい壁や柱に、ヤクザキックをかました。


 古びた木製の席に腰掛け、絢は炭酸飲料、千里は砂糖抜きミルクコーヒーで一服。他に生徒はいない。好みの味を口にしたことで、お互いどうにか落ち着くことができた。

「本当だと思う? 優子が深夜徘徊してたって話」

「だったら何だ。あたしだって夜風に吹かれてオールバックになりながらリコーダー吹きたくなるときくらいあるし」

「……そうじゃない。ねぇ絢? あなたのカンは当たる。私も時々怖くなるくらい。そんなあなたから見て、あのギマイラが嘘をついてる風に見えたか、って聞きたいの」

 漫画やアニメで描かれる超感覚とまではいかないが、相手の隠し事や嘘については、鷺沢絢という少女は非常にカンが冴える。そのあたりは千里からも、それに此処にはいない優子からも、とても信頼されている。


 思い返すのも腹立たしいが、それでも何度か衝動的に地団駄踏みながら、絢は冷静に思い返してみた。……やはり、あの女が嘘をついているようには見えなかった。むしろ事実を言った、事実だから堂々と言い放ったとしか思えなかった。

 だがそれを口に出して認めてしまえば、あの常に口から毒を吐き続けなければ生きていけない人間三流ゴシップ誌に敗北したも同然。疲弊した己の精神をまともに保つためにも、敢えて本心から目を背けるしかできない場面も、存在するものだ。


「そんなワケがねぇよ……キリカ様がいるんだぞ。それにユーコは……」

 あれこれ考えながら絢はふと、昨日の自宅での光景を思い出した。絢の母親が友人とアプリで長通話をしていたのだが、その会話中に、中学一年生の頃に同じクラスにいた男子の話題があったのが聞こえてきたのだ。

 彼は優子と同じように両親が教員であり、本人も成績優秀。高校は私立の特別進学コースに進んだことは知っていたが、母の話ではすぐに素行が悪くなり、つい先日、停学処分を受けたのだという。

 規律に厳しい教育関係者の子息が、反発して非行に走ってしまうという、ありがちな話。果たして優子もそうなのだろうか、いやそんなワケがないと、絢は否定する材料を必死で探した。

「…………ユーコは、良い子だ。頭もいい。そんなあの子が馬鹿なマネなんて……」

「………………そっか」

 どうにか振り絞った言葉。否定する根拠としては、あまりに弱い。そんな絢の気持ちに気付いてか、千里もそれ以上、聞き出そうとはしなかった。

 気が付けば下校時間間近。結局その後は、ほとんど会話もないまま下校することにした。いつもの分かれ道で軽くバイバイして、それぞれ帰宅した。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 絢が帰宅するなり、両親がこれから焼肉に行こうと話しかけてきた。何でも、父が友人から評判の良い店があると聞き、家族三人で行きたくなったのだという。

 それなりに美容や摂取カロリーに気を遣う絢だが、時には肉を喰らいたくなる日もある。特に今日は、ムカツク相手との会話を二回も行い、ストレスフルな一日だった。そんな日の締めくらい、七つの大罪がひとつでも盛大に犯してやろうと考え、父親の運転する車に乗り込んだ。

 年期の入った雰囲気の店で提供される肉類は、どれも良心的な価格ながら、味音痴の絢にも質が良いとわかるものばかりだった。特に脂の乗った牛バラ肉はすばらしく、レモン塩ダレと合わせることで、何時もの倍の白米が進んでしまった。

 決して残しはするまいと平らげた結果、腹部の内側から突き上げてくる圧力。絢は考えるのをやめた。今日のこのカロリーは、明日の自分がなんとかしてくれるはずだ。たぶん。きっと。


 帰り際、途中のコンビニで風呂上がりのデザート用にシャーベットを買い、再度乗車。河川沿いの道路を帰る道すがら、何の気なしに窓の外の風景を見ていた絢。

だが彼女は、予想だにしない人物が、夜中の風景に存在していたことに気付いてしまった。


――――何で? 何であの子がこんな時間にほっつき歩いている?


 毎日、何なら週末ですら顔を合わせている。どんな服装であっても見間違わない自信がある。絢は確信した。間違いなく、それは香坂優子だった。

 弁当の食材か何かが急に必要になって買い物に行っている可能性は、おそらくないだろう。優子の住むマンションと、深夜営業しているスーパーの位置関係からして考えにくいし、だいたい彼女は買い物に行くときは自転車を使うことを、絢は知っている。

 つまり、この時間に彼女を見かけたというのは、あの六組のいけ好かない女が言っていた内容が、嘘ではなかった可能性を示していた。


 絢はスマホのメッセージアプリを起動し、優子とのトークルームにメッセージを送った。今何をしているの、というシンプルなメッセージ。既読にはならないまま、絢を乗せた車は程無くして自宅に到着した。

 それからも暫く反応は無かったが、絢が入浴を済ませ、スマホを確認すると、優子から返信が届いていた。絢の送信から五十分が経ったあたりで、ごめんね、今お風呂に入っていたよという内容だった。

 そこから絢はアプリ内で、いつも話すような話題を優子と交わした。そしておやすみと送信したのと同時に、大好きなバンドのライブ写真がデザインされた、月めくりのカレンダーに目を向けた。

 絢のカンが告げた。優子は明後日、金曜の夜に、また動き出すかもしれない、と。


 兎にも角にも、まずは千里に相談することにした。今日はシケた面を見せてお別れだったため、若干の気まずさはあるが、それでもこの事態への懸念が勝った。

 幸い、千里は何時もどおり会話に応じてくれた。そこで絢は、ある提案をした。

「……仕方ないなぁ。今回だけね?」

 最初こそ呆れた様子で否定したものの、その真面目で冷静な性格の裏側で、結構な遊び心を有している彼女。結局は、学生としては褒められたものではない計画に、賛同したのだった。

「それと絢? 間違っても、今日のあのギマイラの言ったことが正しかった、自分の負けだ、……なんて考えはしないようにね。だって、あなた自身が見た事実に基づいてこれから動くんでしょう? だから、あの女の言ったことは関係ないよ」

「……ありがと。チサト、そーゆうところ、大好きっ」

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