Episode:4 C.S.ガール part.2

 三枚のガラス皿に盛られた、細めの麺のジェノヴェーゼパスタ。大量のバジルとオリーブオイル、粉チーズと松の実、岩塩を材料にした、手作りのソースを使用。彩りに、プチトマト、モッツァレラチーズ、オリーブの輪切りも添えられている。

 料理を配膳し、デニム地のエプロンをそっと脱ぎ外し、香坂優子は木製のテーブルに着席した。先に座っていた鷺沢絢と藤守千里、ふたりの親友の待っていましたといった表情に、料理した側は笑顔を浮かべた。

「おいしいコレ本当に……やっぱユーコの料理の中で一番好きかも。あんた絶対いいお嫁さんになるッ!」

「私たちの中でも早速、手に職を付けてる感じがするよね、優子って」

「あはは……そんなことないよ。やれば誰にでもできることしかやってないし、専門の学科とかで勉強してる子たちに比べたら全然だよ」

 料理を絶賛する二人に謙遜する優子であったが、他にもドライカレーだったり、米を油で炒めてから炊くという本来の調理法のピラフだったりと。彼女のレパートリーは豊富。それは小学校高学年から、共に教職で多忙な両親に代わってキッチンに立ってきた経験により培われてきたものだった。

 そんな優子が、親友を自宅マンションに招いて料理の腕前を披露し、それから夕方まで和やかに過ごすというのが、ロックバンドサークルPRAYSE・女子サイドの休日恒例の過ごし方。なお、絢も千里も毎回、材料代はしっかりと納めている。


「そういえばユーコ、美純家のおでんって再現できた?」

「うん、一度作ってみたんだけど……似せることはできたけど、やっぱり螢くんのお母さんの味には追い付けない気がするなぁ」

「そこは優子が美味しいと思えるものを作るのが大事なんじゃない? 彼のお母さんも、あなたの料理は真似できないって、きっと仰るんじゃぁないかな」

「うん、そうだといいなぁ」

 食事中の話題は、先月下旬にバンドの男子メンバーの誕生会を祝ったときのこと。主賓を密かに恋い慕っている優子は、彼の母親からおでんのレシピを教わっていた。

友人として、そうした彼女の恋路を、ニヤつきながらも見守っていた二人。当然その後の進展も気になっていたのだが……

「それにしてもスゴいよね、螢くんのお母さん。螢くんに、弟の兜哉(とうや)くんの二人もちゃんと育てられてて。あんなに料理も上手だし、それに、スゴく美人さんだし……」

「確かに、美純のお母さんはすっげー美人だ。……ってユーコ。何ふつーにあいつの弟の名前覚えてんだお前?」

「えっ? だってこの前、お母さんと話してるときに聞いたから……」

「……ちなみに優子、お母さんと、まさかお父さんのお名前は知らないよね?」

「えーっと、お母さんがまりなさんで、お父さんが政瑛(せいえい)さんだね」

 さらっと披露された、優子のまさかの情報収集能力。かわいいふりしてこの子割と……絢と千里は顔を見合わせた。今はまだ優子の片想いだが、ここまで来ていれば優子の行動次第では、あれよあれよと話が進むかもしれない。そもそも相手の挙動からして、優子を憎からず想っているのは明らかだし。

「もうさぁ、強引に突撃すりゃあゴールインできるんじゃぁないのか? あいつ、無愛想なりにあんたには明らかに優しいし」

「えぇっと。たぶんまだ全然その時じゃぁないよ。螢くんは誰にでも礼儀正しいから、私にやさしくしてくれるのもその延長でしかないはずだし。それにきっと、眞北くんや喬松くんと一緒にいる方が楽しいんじゃぁないかな。だからまだまだじっくり時間かけないと、だと思うの」

「うわぁ~……まだまだやきもきさせられんのかぁ~」

「……っはは、なるほどね。確かに真面目にじっくり進めるのが優子らしいかも。下手に燃え上がって変な風に拗れるよりかはずっといいよ」

 だが狡猾にも思われた優子は、意外にも自分への好意には鈍いことが発覚。どうやら、少なくとも一年生の間は、この甘酸っぱくももどかしい状況を見て楽しむのが正解のようだ。


 ランチタイムが終わり、絢と千里がお礼代わりの洗い物をしていた最中、玄関のドアが開く音と共に、この部屋の家主が帰宅した。

「おかえり、霧香ねぇちゃん」

「キリカ様! お帰りなさいっ!」

「すみません、今日もお邪魔しております」

 絢や千里からも、嬉しそうな顔での挨拶を受けた女性。彼女は優子の母親の妹であり、高校進学を期にこのM市に越してきた優子を住まわせている、久遠寺霧香(くおんじ きりか)。MN警察署に勤務している現役警察官であり、この日は午前中、残っていた事務仕事を終え、カフェで昼食を摂ってから帰宅したのだという。

 百七十センチ近い優子と変わらないくらいの長身で、ウェービーなミディアムヘアーを一つ結び。茶目っ気を見せながらも面倒見のよい人柄。V系と呼ばれる音楽やアニメにも詳しい上に、コスプレという意外な趣味もある。その延長で会得したメイク技術の手ほどきをしてくれるのは、女子三人にとって大きな楽しみのひとつだ。とりわけ絢からは、『キリカ様』と呼ばれ、強く慕われている。

「ごめんね、十二時間ぶりにちょっと一服させて」

 愛煙家である霧香は、未成年の客人に断りつつ、煙草のケースとジッポーを持ち、ベランダへと出ていく。絢も千里も気にすることはしないし、そもそも家主が気を遣う必要なんてないのにと思っている。

「大変ですねキリカ様。今時自由に吸えないって」

「そうなのよ~。最初に県警本部に配属されたときは喫煙室もあったんだけどね。今やお役所もケーサツも敷地内全面禁煙だし。今時、灰皿が確実に配置されてるとこなんて、パチ屋かホストクラブ、キャバクラくらいのもんじゃぁないかな。おっと二十歳未満のお前達? 自分も吸おうなんて思うなよ~?」

 冗談めかしながらも、しっかり釘を刺しておく霧香。そんな彼女に三人の誰もが、自分には関係のないことだ、そんな顔を浮かべた。


 さてこの日、優子の自宅に集まった目的は、二週間後に迫ったアニソンイベントの調整。PRAYSEからは絢の他、男子メンバーであるギターの眞北和寿が、初心者枠で歌唱ステージに出演する予定だ。

 絢が歌うのは、九十年代に放送されたロボットアニメシリーズの主題歌。作品の直撃世代である霧香にとっては十八番のナンバーであり、それだけに勤務シフトの関係上、当日は応援に行けないことを非常に残念がってもいた。

 そして始まった、ステージを想定しての練習。優子に霧香から見た絢の仕上がりは、上々に見えた。一方で、この中で最も音楽に詳しい千里は、冷静に絢の問題点を挙げていく。それは歌唱や動きだけではなく、挨拶やMCの内容にまで及んでおり、その様子に観客二人も感心を覚えるのだった。

「わたしよりもちーちゃんの方が、絶対いいお嫁さんになれそうだね。もちろん、あやちゃんのね」

「おおっ、そりゃぁいいや。ねぇ千里、絢との結婚式には私も絶対に呼んでちょうだい。亜依莉の席も用意してな」

「うわぁ~……あたし一生、チサトからお小言投げ付けられて生きるのかぁ~」

「ちょっと、霧香さんまでからかわないでください……」

 練習は真面目にやりつつ、冗談めかしたやり取りを挟んだり、三時のおやつを挟んだり。そうして気が付けば夕方五時前。師走ともなれば、南国M県といえど日が落ちるのは早い。


 絢の調整が終わったところでふと、霧香がテレビの地上波をつけると、全国ニュースの最中。報道されていたのは、あるフリーの著述家が殺害され、金銭を奪われたという事件だった。

 事件現場は凄惨を極めたらしく、しかも複数の目撃者が、『犯人は身長が三メートルくらいあり、イノシシのような頭をした怪物だった。イノシシの鼻の先には人間の女のような顔がついていた』と、意味不明な証言をしていたという。

「あぁ……殺されたコイツ、知ってる。SNSで毎日のように、無関係な他人をただ気に入らないってだけの理由で、てめぇの信者を引き連れてボロクソ叩くのが生き甲斐のクソババア。別に嬉しくもないけど、殺されて当然な人間の屑だわ」

「……絢? 普段は被害者叩きが許せないって言ってるのに、それじゃあダブスタだよ。やめなさい」

「そうだね、千里の言うとおり。絢、やめた方がいい」

「う…………すみません」

 毒を吐く絢を諫める、千里とそして霧香。尊敬する年長者の手前、しおらしく折れるしかない絢だったが、そこに更に霧香は続けた。

「……ただ、亜依莉も絢と同じようなこと、思ってた。ちょくせつそいつにじゃぁないけど、あの子、ネットでそいつの信者に絡まれたことあったからさ。だから、理不尽に対して素直に怒れる絢とは、きっと仲良くなれたと思う」

「アイリ様……そうだったんですね」

「当然、絢と似た者同士の千里ともね」

「……霧香さん? 亜依莉さんと仲良くなれそうなのは私も嬉しいですけど、そんなに私、絢と似てます?」

「似てる似てる。倫理観とか怒りのツボとか、特にね」

 この霧香からは妙にいじられがちだなとよく感じる千里。ともかく、彼女の話のおかげで、陰惨なニュースでこちらまで暗い空気になることは、避けられた。


 ところで絢と千里には、優子の家に遊びに来たときに、絶対に欠かさない習慣があった。それは、優子にとってもうひとりの叔母、その遺影に手を合わせ、線香を上げること。色白で線が細く、一つ結びにした長い髪を右の胸元から垂らし、照れくさそうに笑う、まだ若い女性だった。

 彼女の名前は、雲英亜依莉(きら あいり)。霧香の最愛のパートナーであり、優子にとっても大切な存在だった。

 先週の秋に一周忌を迎えたばかり。今なお哀しみが癒えるはずもないだろうが、それでも彼女について語る霧香の口調は、明るい。

 例えば亜依莉の人物像について語るとき。こだわりの強さは絢以上、泣き上戸なのは千里以上、押しに弱いのは優子以上だと、霧香は評した。さらに空気の読めなさ、不器用さ、ものぐさな性格も。バンドの男子メンバーを上回っているという。……要は、PRAYSEの面々の弱点を合体させたような。一緒にいて物凄くめんどくさいヤツ、なのだそうだ。

 他にも、霧香とケンカした勢いでネット注文したエレアコギターを僅か二日で断念したり、怪しげな団体からの勧誘をキレッキレの罵倒で撃退したり。そんな、霧香の語る彼女の思い出話は、絢と千里にはとても魅力的で、是非とも逢いたかったと思わせるくらいだった。


 帰宅のため、玄関を出ようとする絢と千里。霧香は見送ろうとする優子より一歩前に出て、二人を呼び止め、こう言った。

「この子、結構人付き合い苦手なとこあってね。だけどしっかり者の絢に千里がいてくれて、学校がだいぶ楽しくなったみたい。……本当、ありがとうね」

「いやいやいやいや! 感謝したいのはあたしらの方ですよ! 高校入ってまさか、こんな良縁があるなんて!」

「良縁、って……ダメだよあやちゃん? あやちゃんにはちーちゃんがいるでしょう?」

「バンドの仲間じゃぁなくって、まずは友達として仲を深めたい、……そんな風に言うことのできる高校生なんて、そうはいませんよ。だから確信したんです、優子とはきっと仲良くなれるって」

「ちーちゃん? 昔のこと言うのやめて? 恥ずかしいよ~」

 照れ隠しとばかりに大袈裟なリアクションの絢と、落ち着いた様子でしかし嬉しそうに讃える千里。二人はどちらも、今正に照れている様子の優子が本心から、自分たちと一緒に楽しめていると信じて疑わなかった。更に絢は、学校には美純もいるしなとからかってやろうとも思ったが、霧香が事情を知らない可能性を考慮し、寸前でやめた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 部屋を後にし、マンションの出口へ向かう二人。エレベーターで降下する合間にスマホを手にした千里だったが、何の気なしに開いたSNS、そのタイムラインに標示された内容に、目を丸くした。

「ねぇ絢? やっぱりあと三十分、いや、十五分でもいい。今から優子の部屋に戻れない? できれば皆で話したいのっ!」

「えっ? 何そのせくすぃ~なおねいさんがお相手してくれる店の延長システムみたいな言い方?」

 非常識な行動は好まない真面目な千里がここまで言うからには、かなりの重大な事態だと、絢にも伝わってきた。

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