【短編】爪痕を残す

 ライブ出演者を募集する案内————音楽活動をしている集団にそうした話題が舞い込んできたともなれば、メンバー全員を集めて出演するかどうかを話し合うのは必然の流れだ。

 初心者に毛が生えた程度のレベルの高校生サークル・PRAYSEであっても、それは変わらない。しかしながら今回は、そのバンドの全員が出演するというものではなかったのだ。


 つい先週末の十一月上旬。PRAYSEはとある音楽イベントで、アニメソングに特化した歌い手達のサークルの存在を知った。主に県北地区を拠点に、県内のアニソン・サブカル文化を活性化させるべく、数年前より活動しているそうだ。

 PRAYSEの六人も大いに感動させてもらったそのアニソンサークルだが、来月十二月下旬、クリスマスシーズンに開催予定の音楽イベントにて、出演者を募集するという。先日のイベントでも、代表者の口からそれとなく話されてはいたが、SNSへの掲示により、正式に告知となったというわけだ。

 経験や実績は不問。カラオケ音源を用意できること、当日の会場までの交通手段を確保できること、歌詞を見ずに曲を通して歌えること、そして出演料を納められること。初心者歌い手にとっては、またとないほど出演しやすい条件だ。


「…………あたし、このライブに出演してみたい。どうかな?」

 この話に喰いついたのが、ヴォーカルの絢。先日のライブにて、誰よりも感銘を受けた少女だ。

 ヴォーカリストとしては、全くの駆け出しということもあり、絢は五分間のオープニング枠に参加を検討していた。一曲に短めのMCを加えた程度で終わる時間だ。

 このことは、すでに女子メンバーである千里と優子には相談している。優子は喜んで賛成したし、千里は男子の同意を得た方がいいだろうが、大丈夫だろうと後押ししてくれた。故に今、こうして残りの男子メンバー三人に同意を求めているところだ。

「なるほど。挑戦するというのか。異論は無い」

「お〜。いいんじゃね?」

 割と大人しく着いてくるタイプのリズム隊二名、美純と喬松からは、早速同意を得られた。後は、メンバー一の賑やかし野郎が賛成すれば、まさに全会一致なのだが……


「あー、えぇっと。鷺沢よぉ〜。まぁ別に俺様、悪いって言ってるワケじゃぁねーんだけど……」

 面白そうなことには、いつも積極的に首を突っ込んでくる、リードギターの眞北。にやけたトーンを作りながらも、あまり穏やかではない口調だ。

「その、アレだ。バンドを差し置いて、自分だけがステージに立つ、ってことになるよな? バンドを差し置いて、いきなりソロ活動かぁ〜……」

「……ッッ」

 彼なりに、慎重に言葉を選んでいるのだろう。しかれどもそんな彼の表情はどう考えても、絢の意志に反対のご様子。しかも微妙に、彼女の痛いところを突いている。

 他者との衝突を恐れない絢だが、それはあくまで敵とみなした相手との話。仲間内の取り決めにおいては、多数決という暴力に頼ることは好まない。

「またとない機会なんだ。だから眞北、頼むッ」

 だからこそ、絢は全会一致を望んでいる。何とか出演したいという意思を理解してもらおうと、立ち上がり、彼に深々と頭を下げるのだった。

「やめろよ。頭下げんなって。だがよぉ、何つーか……納得できるか、って言われるとよぉ……」

 がたっと腰を上げる眞北。ただ立ち上がる、それだけの行動が、妙に怒りを湛えているように感じられた————千里も、優子も、美純も戦慄し、絢も頭を垂れながら、果たして自分はどうすればよいのか混乱し始めた、その時だった。


「はいはーい! 悪いけどマキちゃん、急用ができたからオレにちょっと付き合ってくんねぇ?」

「ちょっ? タカてめぇ何すんだッッ!」

「いいからいいからぁ!」

 眞北の隣に座っていた喬松が立ち上がり、馴れ馴れしく一方的に彼の肩に手を回した。背中をトントンと叩きながら、不自然に明るい口調で、部室の外へと眞北を誘導した。喬松によってドアが閉じられたあと、しばらくドタバタした音が聞こえたが、やがて聞こえなくなった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 言い出しっぺの絢は、声無くぐったりと椅子に腰掛け、長机に突っ伏した。

 両サイドの女子二名からは、まさか反感を買うとは思わなかったとか、あの眞北くんが意外だねとかいう言葉が漏れ出す中、男子で唯一取り残された美純が、恐る恐る口を開いた。

「あの……鷺沢さん、よかったらでいいのだが、少し……」

「……どうしたの美純君?」

 心理的に言葉を出せなかった絢の代わりに、千里が反応した。

「…………俺には、マキの気持ちが少し、分かった気がする」

 美純は、たどたどしい口調で話し始めた。

 ヴォーカルの場合、音源さえ確保できれば、今回のアニソンライブのように、誰かの前で活躍できるチャンスは少なくないだろう。一方で、それ以外の楽器は、単独でその腕を披露する機会は、おそらく多くはない。だからこそ眞北には、まずは自分たちのバンドを大事にしたい、バンドで活躍したいという気持ちがあったのではないか。メンバーが一人だけ目立つのが、面白くないと感じたのではないか。……彼の話の概要は、このとおりだった。


「…………いや、確かに美純君の言うとおりかもしれない。私、どうせなら皆で応援しに行こうって意味も込めて、全員の同意を取ろうって思ってたけど、そうしたところまで配慮した方がよかったかな」

「ちーちゃん、気にしてたらキリがないと思うよ? ただ、確かに螢くんの言うことも……」

「えっと、俺は鷺沢さんの出演には賛成だ。だがマキを説得するには、そのあたりを考慮する必要がありそうだ。……どう説得するかのアイデアが出ないのがもどかしいが。……ごめんなさい」

「まぁ、眞北君の気持ちは早々変わらないだろうね。応募締切も近いし、これからどうするかあまり考える時間はないけど……」

「昔のあたしならさ、独りで勝手に決めて、勝手に出てたんだろうけどなぁ……」

 一番ベストなパターンは、喬松が眞北をなだめて納得させてくれた場合だろう。だが、勿論喬松を信用していないワケではないが、果たしてそう都合よくいくものだろうか。

 眞北を無視して出演するのか、もう少し説得を試みるのか。絢と、彼女の出演に賛成するメンバーは、決断を迫られた。沈黙が、始まった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 どう考えても、決裂の予兆にしか思えない展開から、およそ十分後。

 ガラガラと部室の引き戸が開いた。勢い任せにでも、申し訳なさそうにでもない、ごく普通の音量の後、眞北とそして喬松が入ってきた。

「鷺沢、俺様が悪かった! ごめん!」

 入ってくるなり眞北は、絢に頭を下げた。おいおいやめろと立ち上がった絢に、彼は言った。

「ライブには是非出てくれ! 出演は絶対プラスになるッッ」

「え…………いいのか?」

「俺様は嘘は言わねぇ! 二言はねぇっ!」

「…………ありがとう!」

 紛れもなく、絢に対する同意の意思。彼女はほっとした。ほっとして緊張が解けて、笑いすら浮かべられた。眞北に対して、変わり身が早いなぁオイ、……とツッコミたくもなったのだが、それでもありがたさと謝意は感じていた。


「なるほどね。絢を出演させるメリットを力説したわけね」

 その様子を見ていた千里も、胸を撫で下ろしつつ、喬松の説得内容を推測した。

 高いレベルの歌唱力を有するアニソンサークルメンバーならば、当然、ライブハウスでの出演経験もあるはず。自分達よりもはるかに音楽を、音楽を演奏する場を知っているはず。この挑戦をきっかけに、校外の状況がより分かるだろうし、あわよくば、有益な情報を提供していただけるかもしれない。メンバー全員がおぼろげながら、校外でのライブ出演を意識しだしたPRAYSEにとって、損になることは決してないはずだ。

「まぁそーゆうこと。だが、それ以上によぉ……」

 千里の推測は、概ね正解だったようだ。だが同時に、喬松は苦笑してもいた。その理由はすぐに、眞北の口から語られた。


「さて鷺沢よ。俺様と一緒にPRAYSEの名を知らしめ……じゃなかった! 俺様と一緒に、皆様にPRAYSEを知っていただこうじゃぁねぇかッ!」

「え? まさか…………」

「そうだ。そのまさかだ。俺様もそのライブ、歌で出ることにしたッ!」

「⁉︎ ……ははっ、へぇ〜、そう。頑張れよ」

 絢の顔からは乾いた笑みが漏れた。要はこの眞北和寿という男、自分もカッコつけられれば満足だというのが、本音だった。

 そういえば、何故自分はあの時、文句があるなら眞北お前も出ろよ、的な言葉を言えなかったのだろうか。それで喬松の手を煩わせることなく、すべて解決できたのではないか。……他人の考えの予測には鋭いカンが働く絢だが、こうした説得技術はイマイチだと、自嘲したくなった。


「答えは意外と簡単だったね……」

「とりあえずオレが説得始めてから二分くらいで機嫌直ったんだよなぁ〜」

 千里も喬松と同様に、苦笑するしかなかった。

「…………何か、心配して損した気がする」

「螢くん? いけません」

「ぅ……」

「まぁるく収まったんなら、それでいいじゃない。ね?」

 そして優子は美純に、大人な対応の見本を示してみせていた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ともかく、メンバーのうち二人だけとはいえ、対外ライブへの参加が決定。すぐさま、サークル側が準備した申込フォームからエントリーすることにした。

 つい先月考えてみたステージネームも、ここが使い時だ。絢は『MAYA』、眞北は『KYO』という名前で参戦する。

 二人は未成年のため、出演料の他、保護者が署名した同意書が必要だが、どちらの保護者もバンド活動には好意的な姿勢のため、問題はなさそうだ。会場までの交通手段も、母と叔父に自動車を出してもらえるよう、眞北から頼むことになった。だから、後は二人の選曲と、カラオケ音源の確保だけが問題だ。


「ところで、お二人さんは何を歌うんだ?」

 喬松が何の気なしな感じで、新人演者に質問してきたところで、即、千里が代わりに答えた。

「選曲は出演が確定してからの話になると思うけど、一応これからの流れを確認してみよっか」

 リーダーの言うとおり、サークル側が示しているスケジュールを、六人全員で確認することにした。

 申込みが定員に達し、出演者が決定したら、公式から出演者全員に通知があるという。その後、本番二週間前までに自身の選曲を申請し、そして十日前までに音源を提出するとのことだ。

 ライブまでは、約一ヶ月。考える時間はそれなりにあるが、可能な限り早く決定し、十分に練習するほうがいいだろう。

「俺様は決まってるぜぇ! だがまだ内緒だッッ!」

「あたしは……ちょっと考える時間くれ」

 眞北はともかく、絢は少し、悩んでいそうな様子だ。そんな彼女に、優子が助け舟を出した。

「あっ、じゃあこのアカウントが参考になるかもしれないよ。皆にも送るね」

 メッセージアプリに彼女が送信したのは、SNSのとあるアカウント。それは、アニソンサークルのライブに度々足を運んでいるという人物のものだった。

 彼(SNS上の口調からして男性と判断される)は、自身が観覧したライブについての感想を毎回、SNSに掲載していた。単なる総括ではなく、全出演者、全曲目、それどころかMCや客席の様子にまで言及しており、それはレポートと称して差し支えない文章量だった。

「……マジで頭イカれてるわこの人」

「いやぁ〜、ヒくわぁ〜。てか、ステージに上がったら、問答無用で批評されんのかよ〜」

「あはは……紹介したわたしが言うのもなんだけど、やっぱりちょっと怖いよね」

「コレがパラノイアってヤツかっ! どんな面構えか見てみてぇぜ」

「おそらく多くの快楽殺人鬼と同様に、一見すると、ごく普通の人物といった印象だろう。それはさておき、このレポート群、データベースとしての価値は見出せるが、……怖い」

「過去の出演者の方々の傾向とか、定番曲も見えてきそうだから、そんな風に言うのはやめようよ。……でもやっぱりどうかしてるよね」

 そんな、無駄に文字数の多い感想をなぞりながら、六人全員が真っ先に覚えたのは、感銘でも賞賛でもなく、ドン引きの感情だった。一体何がこの人物を行させるのか。顔も見たことがない人物に戦慄したがが、下校を促すチャイムが鳴ったところで、この話題は終了となった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 アニソンステージに出演希望を出した翌週の、土曜日の午後。優子が叔母と暮らしているマンションの一室に、絢と千里は集まっていた。バンドに誘ってくれた友人二人に、料理上手な優子が昼食を振る舞い、夕方まで楽しいひとときを過ごすのが、週末の定番だ。

 そんな三人のこの日の集まりの主題、それは絢に関わる問題。彼女は、エントリーから一週間が経過しても、何を歌うのかをまだ迷っていた。

「旦那に夕食何が食べたいか聞いたら、なんでもいいよって答えられて逆に困る、世の奥様の気持ちが分かったような気がする、……多分する」

 単に、自分が歌いたいと思った曲でもよいのだろうが、どうせなら、同じ出演者、あるいは観客の多くが喜んでくれそうな曲を歌いたい気もする。例のライブレポートも一通り読み、過去の出演者の傾向も確認したものの、正直なところ、何を歌っても許される気がしたし、だからこそ、逆に何を歌うべきかという答えが遠のいてしまった気分さえしている……というのだ。

「あなたって意外とナイーブなところあるからね。それに、誰かに喜んでもらえる選曲をしたいってのも意外で、何かじーんときたよ」

「意外と、は余計だっつーの。しかも二回も」

 不満げに返す絢に、己が放った軽口を反省した千里。結構重症のようだし、さてどうするかと、リーダーとして思案し始めるのだった。


「まぁまぁ、悩んでいても出ない時もあるし、ちょっとテレビでもつけよっか」

 トマトラーメン三人前を運んできた優子は、気分転換を促そうと、テレビのリモコンを手にした。注目の番組に乏しい昼の時間帯、彼女が選択したのは、アニメ専門チャンネルだった。

「あっ、ウィング一挙放送だ」

「!」

 絢たちの目に飛び込んできたアニメの映像。それは、彼女達の親世代がまだ学生だった頃に放送されていた有名ロボットアニメ、その第一話の終盤。少年兵である主人公がヒロインの通う学園に潜入し、彼女の耳元で、他人にかける言葉としては最低最悪レベルの暴言を囁くシーンだ。

「…………コレだッッ!」

 友人二人と語り合いながら、夕方頃までじっくり決めようと持ち込んできた議題が、即、終了した。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 絢のステージで歌う曲が決定し、後は女子三人でのんびりと過ごしていたのと同じ頃。男子三人は、市内のカラオケ店に集まっていた。

 喬松と美純が、たまにマニアックで、たまに過激な曲を好き勝手に歌う中、眞北は自分のターンの八割を、歌う予定の曲の練習に費やしていた。

「今更だけどよぉ、お前等は出なくてよかったのか?」

「あ〜。オレ、独りで歌うのは性に合わねぇや」

「俺は、そもそも人様の前で歌える技量も自信もない」

 出演することを応援しながらも、自分にはその意思がないことを明確に示した友人二人。彼等に対して眞北は、ニヤッと笑ってみせた。

「そっか。そりゃしょうがねぇな。じゃあまずは俺様が、ステージに上がるのは楽しいってことを確かめに行ってくるぜッ!」


 眞北が休憩タイムに入り席を外したタイミングで、喬松は美純に聞いた。

「なぁよっすぃー? マキちゃんイケると思うか?」

「俺よりはずっと上手い。何より、全く物怖じしていない。心配はいるまい。だが……」

 遠慮した様子の美純に、オレは口が堅いから安心しろと笑う喬松。その様子に、美純はたどたどしく語った。

「…………具体的な指摘はできない。それは俺が歌の素人だからかもしれないが……、今のマキは、この前出演していた人達、その誰の足元にも及ばない気がする。本当に、マキとあの人達と何が違うのか、全く分からないが故に、理詰めで説明できないのがもどかしいが……」

「あ〜…… 確かに。マキちゃんが下手とは言わねぇけど、正直オレもそう感じてたなぁ」

 おそらく、きっと、それには歌い方の基礎と技術が深く関わっているのではないか。美純も喬松もそう感じていた。だが、それは一朝一夕で身に付くものではないだろう。ネットで探した情報をもとに何かをやろうとしても、今すぐ劇的に変わるものでもないだろう。素人相手に直接、歌い方を伝授してくれる神的存在がいらっしゃるならば、是が非にも頼りにしたいが、この辺に都合よくいらっしゃるとは考えにくいし。

「まぁ、今は下手にあれこれ言ったりとか、逆にマキちゃんのモチベ下げそうなことはやめようぜ。とにかくまずは今度のステージに出てみて、マキちゃん自身が足りないモノを感じられればいいんじゃぁねぇの?」

「……かもしれないね」

 少し考えを巡らせたが、結局は二人は応援することしかできないのも事実。出演を決意した者に偉そうな言葉は言えないと、自らの立場をわきまえることにした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 クリスマス前、しかし翌日は学校がある日曜日。県北地区N市郊外の公共施設内にあるミニシアターが、今回のアニソンイベントの会場だ。

 男女計六名の移動のため、男女分かれて、自家用車二台での移動だ。ガソリン代という名目で、バンドの積立金から、運転手である眞北の母と叔父に心付けをするのも忘れない。

 なお、眞北の母はN市内で別行動を取り、ライブ終了後に合流する。叔父はそのまま、学生六人とは離れた席でライブ鑑賞に入る予定だ。


 出演者は、午前十時に会場入り。会場設営の後、リハーサル開始。心の準備ができた出演者から順番に声出しをするが、ワンコーラス、およそ九十秒が持ち時間だ。あくまで音響担当者が音量等を確認する時間であり、断じて予行練習ではない。

「どうだった眞北?」

「なんとかなれー!」

「…………あたしもだ」

 セミプロ級の演者であれば、ここで会場の反響状況等を掴み、本番の歌唱に活かすという。だが初めてのステージでガチガチになった素人二人。リハーサルの場で何をやったのか、あまり印象に残らないのが、正直な感想だった。

 そんなリハーサルだが、正午にすべての出演者について終了。食事休憩を挟みつつ、出番の早い者から優先的に、バックヤード入りすることになる。オープニング枠に出演する絢と眞北は、遅くとも開始十分前には構えておく必要があるのだ。


 開始三十分前。女子三人は、施設二階の図書スペースに集まっていた。正確には、図書スペースで一人佇んでいた絢を見つけた千里と優子が、激励に来たというわけだ。

「出たいって言ったけど、ここまで怖いもんだとは……ッッ」

 いつもより明らかに口数少ない絢。少しくらい空腹な方が丁度いいと、昼食は最低限。そんな、憔悴しているようにも見える彼女の両肩を、千里はがしっと掴んだ。

「大丈夫だよ。絢、もし終わった後に何か理不尽な悪口言われたら、私がそいつを徹底的に糾弾してやるんだから」

「それはやめたほうがいい。絶対やめたほうがいいッ! ここに来る人たちはいい人たちばかりだから! たぶん!」

 千里の発言は、かつて彼女がピアノのコンクールで失敗し、タチの悪い他校の出演者から嘲笑されたとき、絢がしでかしたことの意匠返しだった。

 それを受けて、はっとした顔になり、そしてアニソン界隈にいる人たちを擁護する絢。彼女のその様子に、千里は安堵した。それだけ言えるなら、きっと大丈夫だ。緊張で倫理観は失われてなどいないし、トチ狂った言動をするでもない。そんな彼女に、敵などいるわけがない!

「そうだね。そのいい人たちに期待されて、絢はここまで来た。だから、後はやり切ることだけを考えて」

「…………うん!」

 千里は、絢をぎゅぅっと抱き締めた。絢もそれ以上の力で、抱き締め返した。

「きゃーっ! 今日一番の素敵なシーン観ちゃった〜!」

 少し離れた場所で見守っていた優子は、二人の抱擁を見て大喜び。オーバーアクションでニヤニヤと腐った顔を浮かべた。

 それに赤面し、優子あなたも来なさいと促す千里。二人の間に入っちゃ悪いよとからかう優子。いいから来いと睨む絢。そして優子の長くて圧の強い両腕が、絢と千里の肩をすっぽりと包み込んだ。

「最前列で応援するねッ! あやちゃんの好きなブルーのライトで!」

「絢。私達より一足先に、初ライブ、楽しんできてね!」

 仲間からの愛情は、しかと受け止めた。もう、何も怖くない。怖くはない。

「……おっけ。じゃあ、行ってくるっ!」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「……アレだよ。なんとかなれー、ってヤツだ」

「…………う、うむ、確かに」

「まったく……ガチガチマキちゃんなんて珍しくて面白いけどよぉ、え〜っと……」

 施設一階の談話スペース。自販機で買った炭酸飲料を飲み干した眞北は、いつも通りの表情……を作ろうと必死な態度をしていた。ここまで十回くらい、なんか小さくてかわいい系のアニメキャラのセリフを繰り返しており、いい加減な喬松にも、あまり察しのよくない美純にも、その緊張具合は伝わっていた。

 とはいえ、このお調子者は、過去にかなりの苦痛を経験しながらも、人一倍、家族を大事にする少年。故に、二人の友は純粋に彼を応援しているし、弄る気になどなれない。

「安心しろお前等。……このライブにかかっているのは、たかが国家の存亡だッッ」

 そんな友達の表情をよしとしない眞北が放ったのは、いつも通りの空気が読めない冗談。必死に振り絞ったその表情は、固まってはいるが闇はない。

 同時に、応援する側からすれば、今はその空気の読めなさが、逆に頼もしく思えた。本当に緊張で何もできないのならば、今頃はゴミ箱か、完熟マンゴーか何かの段ボール箱に身を隠して震えているだろうから。

「マキ、武運を祈る。ライトは深紅、だったな」

「本番では、もっと面白ぇモンを見せてくれるんだろうな?」

「……おう! 後はなんとかなれー、だぜッッ」

 漢同士でのハイタッチ。後は、戦う者と見守る者に分かれるだけだ。覚悟を完了させねばならない時は、近い。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 どの出演者にも、どんな心持ちであろうと、定刻は無慈悲にやってくるものだ。

 午後十三時。集まった観客に見守られながら、ライブイベントが開幕。やや速めのテンポで、重低音を効かせたSEが流れ、ステージ上部のプロジェクターに動画が投影された。

 司会を務めるサークル構成員による注意事項が説明され、そして、オープニングアクト枠の開始が告げられた。


「はじめてのステージ! 一生懸命歌います! 楽しんでいってくださーい!」

 トップバッターはMAYA。歌うのは、人気声優と音楽プロデューサーのユニットが手掛けた、悲愴感と情熱にあふれた楽曲。九十年代半ばに放送された、人気ロボットアニメシリーズの中でも、特に女性人気が高いと言われている作品のオープニングで、国営放送主導による歴代シリーズの投票企画、その楽曲部門で七位という結果を示した、今なお高い支持を集めている一曲だ。

 優子の叔母が8cmCDを所持しており、それにオリジナルカラオケ版も収録されていたため、公式の高音質な音源を、このステージで使用している。

 カラオケや音楽室とは、まるで異なる音響。自分の声すらまともに聞こえない。BGMとリズムを合わせつつ、縮こまらずにしっかり客席に目を配ることで精一杯。まぶしい表情をしながらダイナミックな動きをする、そんな意識など持つ余裕はなかった。

 あっという間に二番のサビが終わり、間奏部分。MAYAは目を瞑り、上を見上げた。そして客席に向き直り、以前のライブイベントで、出演者がそうしていたように、拳を振り上げ叫んだ。何も考えていなかった。自然とそうしたとしか言えなかった。

 たった二小節分のコール&レスポンス。通常、ステージに取り入れるには短すぎる、完全なその場の思いつき。それでも客席が反応してくれたこと————バンドの仲間とは違う観客が手を振り上げてくれたこと、ペンライトを掲げてくれたことが、たまらなく嬉しかった。


「たとえこの命が果てようとも、今日はここにいる一人ひとりの顔を全員覚えて帰るからな〜ッッ!」

 自身のソロステージに当たって、何としても叫びたかった言葉を客席に投げかけたKYO。彼の選曲は、PRAYSEの皆も大好きな有名ロックバンドによる、管楽器を交えたポップかつ切ないナンバー。

 九十年代末に人気を誇った時代劇アニメのエンディングに起用されたものの、そのバンドのメンバーが犯罪行為に手を染めたことが発覚。結果、わずか四週で使用中止、別の歌手の曲に差し替えられた上、シングルカットも中止になった。しかしながらファンの根強い支持もあり、およそ十年越しでリカットされたという、ドラマチックな経緯を有する曲でもある。ちなみに音源は、カラオケ店の機材に搭載されたオプション機能を利用して取得したものだ。

 ライブDVDを何度も視聴し、自宅の姿見の前で何度も練習したステージング。どのタイミングでどう動けばよいかの想定。それを彼は、すっかり忘れてしまっていた。

 だがしかし、そこはなんとかなれー。ギターソロの部分でステージを降り、座席間の通路を歩きながら、ノリの良さそうな男性観客数名とハイタッチ。そのことで力を貰えた気分になったKYO、曲終盤でやっと緊張もほぐれ、ようやくのびのびと歌えたような気になれた。


 その後のオープニングアクト枠は二名。MAYAとKYO……もとい、絢と眞北はバックヤードに引き上げ、緊張から解放された痺れを感じながら、様子をじっと眺めていた。ステージ初挑戦ながらも堂々と歌う様子と、自分達を上回る歌唱力に、目一杯の拍手を送った。

 そして持ち時間十五分のレギュラー枠が十三名。いずれも劣らぬ猛者達の熱演。ようやく純粋に、観客としての気持ちに戻れた。絢も眞北も客席前方二列目の席に戻り、メンバー四人と共に、ペンライトを手にして大いに沸いた。ステージで歌う出演者と一体になれたような気がして、心が弾むのを感じた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 午後五時、すべての演目が終了。会場内の設備撤収と並行して、出演者及び観客との交流時間が設けられた。

 他の四人が出演者達と歓談する中、絢と眞北は少し会場を離れ、ロビーの長椅子に座り込んだ。

「みんな、ほんと上手かったね」

「おう。でもって俺様達がワンツーフィニッシュでヘタクソだった。俺様が一番、鷺沢が二番目だ」

「そりゃどーも。お気遣いありがと」

 絢も眞北も、すべての出演者との実力差を痛感していた。

 特にサークルの中心、主力の出演陣は、二人がこのアニソンライブの存在を知るずっと前から努力を積み重ね、、幾つものステージに立ってきたに違いない。ノリと勢い任せに出演を決めた二人が、一朝一夕で追いつけるわけがないのだ。

 こうありたいととイメージしていた、その半分にも至っていなかった気がする。音程やリズムも今思えば正しかったのだろうか。あれもこれも後悔ばかりが頭をよぎって仕方がない。ステージに上がった高揚感が、イベント終わりと共に静まってゆくのに反比例して、恥ずかしさで顔が熱を帯びてゆく。


 だが、決して落ち込むようなことばかりではなかった。

 二人とも、失敗に動揺して硬直したりはせず、頭を切り替えて立て直しを図れていた。俯かずに視線は客席に向けられていた。ちゃんと前列で応援してくれていた仲間達の顔も見えた。

 それに、少なくとも選曲の方向性については、間違っていなかったようだ。MAYAは古のロボットアニメに詳しいお姉様方に、KYOはアニソンの他、V系バンドも主戦場だというお兄様方に、ありがたいお言葉を賜った。

 本当にマズければ、腫れ物を扱うような態度を取られるか、婉曲に苦言を呈されるはずだ。そのような雰囲気ではなかった以上、二人のステージが決してマズいものではなかったということだろう。………そう思うことにした。後悔に押しつぶされるよりかは、ポジティブな面に目を向けて、精神の安定を図る方が、今は大事に思えた。

「次は二月上旬だってな。今年は暖冬だから屋外の予定だと。どうする?」

「…………また、出てみたい」

「俺様もだッッ。ちなみに次はアコギ持って、お前とコラボとかもいいかもな!」

「ははっ、何だそれ」

「イヤそうには見えねぇな?」

「……でもやっぱりダメだ。そんなのチサトが許さない。あんたがあたしと、組むと聞いたら、めっちゃ嫉妬しそうだから」

「大丈夫だ、問題ない。弾き語り向けのいい曲があるッ!」

「そこは素直に退けっつーの」

 そうした会話を続けていると、千里がそろそろ戻ってきなさいと呼びに来た。迎えの時間も近い。最後に主催や参加者に挨拶するため、二人は立ち上がった。


 ちなみに。絢と眞北にとっては幸か不幸か、毎回イベントのレポートを書いてくる謎の人物は、今回のライブには来られなかったようだ。

 そして、サークルの有志が撮影してくれたライブ動画が、データ転送システムで絢と眞北の手元に送られ、二人を恥という感情のドン底に突き落としたのは、三日後のことであった。


(終)

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