【短編】存在と名前

 何か気になることがあれば、ひとりで抱え込まずに皆で話し合う。それが、PRAYSEを結成し、それなりに活動してきた中で、自然と形成されてきた空気だ。

 楽器や楽譜、雑誌にCDが大量に持ち込まれた部室には、放課後になるとメンバーが誰かしらやってくるため、情報を共有できる機会は多い。さらに、誰かが話し合いたいことがあると召集をかければ、用事がなければ、すぐに部室に集まる程度には、この六人は打ち解けている。


 さて、秋真っ盛りのある木曜の夕方。メンバー全員が部室に集まっていた。宿題を解いたり、ギターを爪弾いたり、思い思いに過ごしていた。

 そんな憩いの場所に、シリアスな空気を持ち込んできた者がいた。ギターの眞北だ。

「お前等に提案したいことがある。緊急会議を開きてぇんだが、いいか?」

 いつもは中二病全開で、周囲を微妙な空気にする言動ばかりしているが、たまに真面目な顔になるときには不思議な威圧感を持っている眞北。何か知らんがじゃあ話し合おうかと、皆、それぞれの席に着いた。


 いったいどうしたという顔の面々に対し、すまねぇなと謝辞を述べ、眞北は議題を提示した。

「今後バンドを続ける上で、このままスクールアイドル方式で本名で活動するのも悪くないがよ、どうせならよぉ、皆それぞれステージネーム決めねぇか? せっかくオリジナル曲もできたことだしな!」

 なるほど、といった顔をした絢、喬松、美純、優子。

 これまでに週一回一時間の練習の他は、雑談したり、たまにモノマネやラジオ収録ごっこをしたりと、無為に……もとい気ままに過ごしていたPRAYSEの面々。だが、先日月曜の練習日に、バンドリーダーの千里が作った初のオリジナル曲『MAYA』を音合わせし、何か前に進んだような気になれる経験をした。このことで、バンドとしての活動を具体的にしていこうかなという気持ちが、大なり小なりメンバーの中に芽生えていた。だから、彼はその象徴となりそうなステージネームという提案をしたのだが————


「えっと、眞北君。ちょっといいかな?」

 しかし、その議事進行の一時停止を申し出た者がいた。千里だった。彼女は、話を遮ったことを眞北に丁寧に謝り、そして皆に話し始めた。

「まず、この場を借りて、皆にも言っておきたいんだけどね。……やっぱりあのオリジナル曲、一旦凍結しようかなって思ってる」

 千里が言うにはこうだ。全員での音合わせの後、皆の演奏や、自作した音源を改めて何度も聴いてみると、制作時に彼女が参考にしたという人気ロックバンドの曲の劣化コピーにしか思えない、そんな気持ちが強くなった。それはメンバーの演奏技術の問題とかではなく、作詞作曲編曲を手掛けた千里自身に責任があるものだと感じており、それ故に、自信を持って発表できる気になれなくなったのだというのだ。

「自分に嘘はつけないというかね、何か今のこの曲の状態だと、私達の合言葉は『パクろうぜ!』です、カッコ笑、って誤解されそうな気がして…………なんちゃって、ね」

 雰囲気を暗くさせないようにと、千里は口調や表情で、わずかに笑った様子を作って見せていた。

 すると、わたしはあの曲の雰囲気好きだけどなぁと優子が肯定の声を上げた。続いて美純も、あの一曲は否定され取り下げられるべきものではないと思うと、優子に同意した。

「あんたたちの気持ちもわかるけどさ。創造主がそう言うんじゃぁ仕方がない。あの曲をどうするかの権利は、ほとんど全てを作ったチサトにあるんだからさ、それを尊重しない?」

 一方で、二人を制止したのが、千里とは長い付き合いである絢。その意見に喬松も、まぁそれが筋だよなと同意した。優子も美純もこれには反論できないと、頷くほかなかった。

「おお……それが藤守の決断ならば尊重しようぜ。……『MAYA』よ、俺様達六人の中で、眠れッッ」

 そして眞北は涙を滲ませながら、仰々しく、胸の前で十字を切った。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「ごめんね。話を中断させちゃった上に、泣かせちゃって! じゃあ、議題に移ろっか」

 おぉ、そうだったと涙を拭った眞北。そんな彼に千里は、もう少し自分に話をさせてほしいと申し出た。

「まず、私は眞北君の言うとおりだと思う。使うかどうかは別にして、ステージネームは考えておいた方がいいよ」

 普段は眞北の空気の読めない発言に冷酷な表情を浮かべることも多い千里だが、この日は、彼の提示した話題を、建設的なものだと判断していた。

 その上で、彼女は補足した。今後、もしかしたら学校外の場所で、音楽イベントに出演するチャンスが来るかもしれない。バンドとしても、あるいは歌い手や踊り手であっても、そうしたイベントの出演者はほぼ例外なく、ステージネームで活動している。だから、自分たちも作って損は無いのだと。


 とはいえ、今ここですんなりと決められるものでもない。テキトーながらも少し悩んでいる様子の男子、いいねと言いつつも困った顔の女子、どうするべきかと頭を抱え項垂れる男子。そして内心、議題とは少し別の方向に意識を向けていた女子。話題を提示した男子だけが、俺様は既に考えているぜとニヤついていた。

 そんな中、千里は続けた。

「だから皆、一晩考えて、明日、またここで発表し合いましょう。しっくり来なければ改名もありなんだし、ぱぱっと気楽にね」

 一晩は短すぎるとも考えたが、何かを決めるためには危機感も必要だという、千里の判断だった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 翌日。部室には全員が集合し、配られた紙切れを手にしていた。それらには各自が一晩かけて考えた、自身のステージネーム案が書かれており、それをこれから一人ずつ発表し合うのだ。


「じゃぁ私からだけど……普通に『CHISATO』でいかせてもらおうかな」

 千里のステージネームはベタといえばベタだが、まず間違いないパターンだ。

 例えば佳樹に尚、健に隆一、博英に晋也、……有名ミュージシャンでも、本名をそのままローマ字表記しているだけという例は多い。よくある名前は親しみやすく、逆にあまり聞かない名前は非日常的な響きを与えるため、個性は十分に発揮できる。

「いいねいいね。もともと響きがかわいい名前だし、それに愛称がちーちゃん、のままでOKなのもいいよね」

「……えーっと、次に行こうか」

 笑顔で褒める優子。彼女の言葉に一切悪意はない。だがその言葉に、まるで自分のネタを詳細に解説される芸人のような気分にされた千里。できる対策といえば、速やかに別の者にターンを回すことだけだ。


「はいはーい! 次は俺様ッ! ずばり『KYO』だッッ」

 千里が促さずとも、勝手に自分から話し出した眞北の源氏名。表記こそ感じでなくアルファベットだが、残り全員が一様に、彼が最も愛するヴォーカリストのひとりを思い浮かべた。

「いいね。してマキちゃんよ、どんな意味込めてんのよ?」

「狂気のキョウであり凶悪のキョウだッ!」

 分かりやすすぎる本人解説に対し、小学生並みの語彙力かよ、と吹き出しそうになったのをぐっと堪えた喬松。彼はさらにツッコミを入れた。今度は少し、方向性を変えて。

「別に、そんな風にワルぶらなくても、ストレートにカズトシ、でいいんじゃね? ビッグになれそうな気がするし」

「それだけは絶対ダメだ! 方向性が違うッ! ……マミーはそーゆう風に育てたかったらしいがよぉ〜」

 眞北和寿、十六歳。母親のことは深く尊敬しているが、その母親から授けられた名前は、この国でもトップクラスに売れ続けているアーティストが由来となっている。そのことに関してだけは、彼なりに思うところがある様子だ。

 そこに千里が、意外とV系ファンにも受け入れられそうな曲もあるけどね、とフォローを入れるも、眞北は聞く耳を持つ様子はない。


 そんな眞北が、今度は喬松へと反撃を試みた。

「そーゆう貴様はどうなんだタカよぉ!」

「あー、オレはこれ」

「ベースじゃぁなくてドラムなのにかぁ?」

 喬松が掲げた紙には、控えめなサイズで『TOSHIYA』の文字。眞北には即ツッコまれたが、本人はのらりくらりだ。

「こっちは全部大文字だから被ってねーし大丈夫。つーかさ、トシなんとかにしたいとは思ったんだけど、本名のトシキは微妙に言いにくいし、他にはトシゾーとかトシコ宇宙へ、くらいしかなかったし。だったらコレになるだろフツー」

「じゃぁもうトシでいいだろトシで!」

「二文字って感じじゃぁないんだよねぇオレ」

「うん、じゃあ次、優子お願い」

 あまり生産性のなさそうなヤロウ二匹のじゃれ合いは、このまま放っておくとしばらく続きそうだった。千里は少し声を張って、話を進行させることにした。


「わたしは『YUI』でいこうかな、って。……知ってるかな? ヒントはちょっとマニアックなアニメのキャラからだよ」

 少し恥ずかしげに示してみせた優子だが、ここでクイズ形式の展開だ。

「初号機に取り込まれた主人公の母さんから?」

「あちゃー、ちーちゃん残念!」

「俺様分かったッ! コレクターだッッ」

「おっ、眞北くん近いッッ」

 クイズとしては半ば理不尽な部類。だが先行者二名の回答状況から、ある仮説を導き出した者がいた。実生活では特に役に立たない知識を色々知っている美純だった。

「……そうか。もしかして九十年代に教育番組内で放映されていたというアニメ、バーチャル三部作の二作目の主人公……」

「わぉっ! 螢くん正解ッ! そうそう、そのユイちゃんからだよ」

 正解を美純に当ててもらったことで、優子は少し大げさなくらいに、嬉しそうな顔を浮かべた。


 では、次は俺という展開になるだろうかと呟いた美純。自分の顔を隠すように翳した紙には、『LELAH』という五文字が書かれていた。

「おっ! なんて読むんだッ?」

 おおっ、なんて読むのかな? ……そう口を開きかけた優子より先に、眞北が口を開いた。

「……レラ。アイヌ語で風、という意味…………というのはミスリード。綴りも違うし。単に語感を重視しただけ」

 そう説明した後、やはりダメだっただろうかと漏らした美純だが、誰も否定する者はいない。言葉の響きで決まったバンド名、全く本名にかすりもしない芸名も、決して珍しくはないのだ。中には、芸名に合わせて本名を改名したミュージシャンも存在するくらいだ。

「わたしはいいと思ったよ。綺麗じゃない。螢くんにぴったり」

 そんな皆の考えを代表するかのような、優子の笑顔に、顔を赤らめてありがとうと、視線を逸らした美純だった。


 そして大トリ。バンドの花形であるヴォーカルの絢。千里に促されて紙を開いた彼女は、何時になく神妙な面持ちだった。というより、部室に来てから妙に、口数が少なかった。

「うん。…………あたしは、コレ」

 そんな彼女が手にした紙に書かれていたのは、『MAYA』という四文字。つい昨日、凍結することになったPRAYSEのオリジナル曲のタイトルと全く同じ綴りだ。

「絢、それって…………」

「そう。チサト、あんたがあの曲を凍結させるっていうんだったらさ、……あたしに預けてくれない?」

 誰よりも早く驚きの顔を見せた千里。そんな彼女の瞳をじっと見ながら、絢は続けた。

 たとえ何かの曲のパクリに聴こえたとしても、自分はあの曲を気に入っていた。何より、自分の名前にも似たタイトルの響きを、あたたかく感じていた。千里の意思は尊重したいけど、だけど亡きものにもしたくない。確かにあの日、そこにあった証を残したい。だからあたしに預けてほしい。————そんな意思を部員に、いや、千里に示した。

「だいぶワガママだけど、……あたしはこれでいきたい」

「…………しょうがないなぁ、貸す、だけだからね?」

「……ありがと」

「……もし今後、あれを再構築するとして、もし、もっといいタイトルが浮かんだら、そのときは正式にもらってくれる?」

「なるほど、そういうことね。……ありがとう、大切にするッ」

 千里はYESを示した。その空気感は半ば、愛の告白シーンにも似ていた。


 …………外野は完全に置いてけぼりだ。

 そんな放置された外野の反応は様々。二人のこういうシーンが大好きな優子は顔を赤らめてニヤニヤしており、喬松はやれやれオレはついていけねぇとスマホに手を伸ばした。そして。


「流石は鷺沢、いーい名前じゃぁねぇか。サギサワアヤ、にミュージックのM、いや、マッドのMってかぁ?」

「いやマキ、鷺沢さんともあろう者がそんな単純な単語ではない筈だ。例えば殺人者のMURDER。暴動のMUTINY。無慈悲のMERCILESS。悪党のMISCREANT。憎悪のMALEVOLENCE。それに忘れてはいけない、悪意のMALICEに悲劇のMIZER……」

 お調子者男子の小学生並みの推測に便乗して、知識を披露したい傾向のあるブラック物知り博士が、単語の列挙をし始めた。

「あーもう、黙ってろこのスカポンタヌキ共」

 魔法のM、MAGIAのMだ、お前等はあのオリジナル曲プロジェクトのコンセプトを忘れたのか、それにあたしとチサトの甘い空気が台無しじゃあねえか、……そうわざわざ説明するのも馬鹿らしいくらい、絢は呆れ果ててしまった。そしてとっとと下校してしまおうと、女子二名に促した。


 ともかく、PRAYSE各人のステージネームがこうして決定した。少なからぬ気恥ずかしさはあったものの、皆それぞれ、言葉にできない妙な一体感を共有できた、気になった。


(終)

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