Episode:3 救済、それは復讐 part.8

 日曜の午前十一時。M市から北へ約六十キロ、県北東部に位置するH市。オーシャンビューが見渡せる半島に造られた多目的広場の屋外ステージで、この日、あるアマチュアライブが行われた。県内のアニメソング愛好家達が結成したサークルの主催で、様々なアニメ・ゲーム・特撮の楽曲が歌われるサブカルイベントだ。

 偶然にもSNSを通じてこの催しを知った眞北が、これは面白そうだと注目。メンバー全員に、是非観覧しに行こうと誘った。

 PRAYSEのメンバーは全員、何らかのアニメ・ゲーム・特撮が大好きだ。それらの主題歌や劇中歌ともなれば、バンドとしての専門としているヴィジュアル系の楽曲と同じくらい好き、といっても過言ではない。

一般的にヴィジュアル系とされるバンドが、何らかのアニソンを手掛けた例も数多い。だからPRAYSEの全員がアニソンイベントに興味を持つのは、全くおかしなことではないのだ。


 風光明媚ではあるが、お世辞にも交通の便が良いとはいえない立地。だが幸いにも、この日仕事が休みだったビッグブラザーこと眞北の叔父と、霧香ねえちゃんこと優子の叔母が、それぞれ車を出してくれたため、交通手段はクリアできた。


 イベントの出演者は総勢十二名。歌われた楽曲は、年代も傾向も幅広く、全三十六曲。レトロな特撮に詳しい喬松や美純をニヤリとさせ、二次元美少女大好きな眞北を狂乱させ、アニソンにも詳しい千里や優子を驚かせた。

 とりわけ、ヴォーカルである絢はいたく感銘を受けていた。声質もパフォーマンススタイルも異なるが、いずれも高い歌唱力と堂々とした振る舞い。全員の一挙手一投足、一音一音を目と耳で追いかけていた。


 約三時間半のイベント終了後は、関係イベントの告知に続き、出演者達との交流の時間が設けられた。サークル関係者の友人や固定ファンが多く駆け付けており、積もる話に花を咲かせる機会となっていた。

「あの……えっと、はじめまして! あたし、ものすごく感動しましたっ!」

「まさか俺さ……僕の好きなあの子のキャラソンが聴けるだなんてっ! 嬉しくてヘンな声出ましたすみませんッッ!」

 そんな貴重な機会に、出演者達に挨拶をしていったPRAYSEのフロントマンの二名。絢は少しおっかなびっくり、眞北はやや興奮気味ではあったが、自分達のバンドのアピールは最小限にするように等、前もって千里が忠告したいくつかのマナーは、一応は守られていたようだ。

 しかしながら井戸端会議は得手して長時間に渡るもの。気がつけばあっという間に、会話だけで一時間が経過していた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「美純君のお母さん! 今日はお世話になりますッ!」

日が傾き出した午後四時頃。H市のとある住宅街の一角に建てられた、白い二階建ての家。この日のもうひとつの目的地は、美純の実家であるこの家だった。


「せっかくH市まで行くんだし、それに十一月だ。皆でよっすぃーの家で誕生パーティーをしねぇか?」

 この宴の首謀者も、もちろん眞北。正確には誕生日当日ではないが、休日にPRAYSEの全員が集まれる機会はそうそうないという理由での提案だった。

「ッッ? ……いや、その、えーっと……ありがたいが…………」

 これまで誕生日どころか、友人を家に招いたことすらほとんどない美純。祝ってもらえる喜び以上に、戸惑いでパニックになってしまうも、ダメならダメでいいんだからと喬松に宥められ、どうにか落ち着きを取り戻す。

 一方で女子たちはというと、ご迷惑じゃないかなと慎重な姿勢の千里。ちーちゃんの言うとおりだけど、まずはお家の方に聞いてみたらどうかなと優子。右に同じ、ダメもとで聞いてみろと絢。すなわち、今ここで親にメッセージを送って開催の是非を問え。……そういう風に美純には聞こえた。

 少し震える手で文字を入力し送信すると、程なくして母親からの返信が来た。

「……料理は何がいいか、だそうだ」

 そんなこんなで、パーティーの開催が、内定したのだった。


 なお、この日の料理について。開催内定の直後、何をリクエストするかを六人で話し合うことになったのだが――――

「俺様は美純家のおでんがいいッ!」

「あ〜いいね。よっすぃーのお母さんのおでん、マジでまた食べたくなってきた」

「ちょっとあなたたち図々しいよっ! 美純君の希望が最優先でしょ?」

「そうだよね。……だけど、うん。あのね螢くん、螢くんのお母さんのおでんって、そんなに美味しいの?」

「だ、そうだ。正直あたしも気になる。美純家のおでん」

「……っ。分かった、頼んでみる」

――――こうした経緯から、意見の優先度を吟味した結果、主賓たる美純自身は特に好きというわけではない、おでんに決定したのだった。


「この大量に投入された牛スジがよぉ〜!」

「あ〜、オレこのじゃがいもと厚揚げが好きなんだよねぇ」

「美純君ごめんね。非常に申し訳ないんだけど、私もこの日がおでんで本当に良かったと思ってる。お蕎麦入りの巾着なんて初めて食べた!」

「何このバジル柚子胡椒。ただでさえ美味しいのにこれでさらにメッチャ進むじゃんヤバイ!」

 夕食というには早すぎるが、日中はイベント観覧により、誰も昼食らしい昼食を食べていない状態。とはいえ、鍋をつつく者共の表情は、単に空腹が満たされる喜びではなく、純粋にこの料理を楽しんでいることを物語っていた。

「あの……螢くんのお母さん。本当に美味しいです。それで、私もいつか家族に作ってあげたくて。その、もしよろしかったら……」

 中には畏まった態度で、主賓の母親にこの日のレシピを教わろうとする者もいた。


 鍋が空になった後は、主賓以外で分担して後片付け。花形である食器洗いは、眞北と優子のギター部隊が立候補。前もって徴収しておいた材料費を美純の母に納めるのは、リーダーの千里の役目だ。

 片付けが終わっても、別腹が目覚めるまでもう少しかかりそうだ。少し歓談しようか、何かのバンドのライブ映像を見ようかと皆が口にするより早く、眞北は持ち込んできた黒いハードケースに手をかけ、中からアコースティックギターを取り出した。

「さて、と。お前ら全員今か今かと期待しつつ、しかし敢えて口にしなかったんだろうがよ……俺様からよっすぃーに、歌のプレゼントがある」

「おおそうかごくろう」

「わぁ〜いたのしみだな〜」

「よっ、ぎんがいち〜」

 絢に千里、喬松の視線は、若干呆れ気味。だが調弦中の眞北には、棒読みの歓声が喝采にしか知覚できていない。

「マジかそうなのか。……ありがとう、期待している」

 美純はというと、自分より歌の上手な眞北が弾き語りをしてくれることは、素直に嬉しいと感じていた。まぁ、ギターの持ち込みからして何となく予測はしていたし、彼の自己陶酔的な態度にも少し呆れてはいたのだが。


「じゃぁ、いくぜ……」

 繊細ながらもどこか圧を感じさせる独特のイントロを形成する、十六分音符刻みの複雑なアルペジオ。複数の弦を往来するエコノミーピッキングは、一夜漬けでモノにするのは不可能な高等テクニックだ。

眞北の奏でるそれは、一応はかたちになっているが、エレキギターとは弦の張力や感触が違うからか、滑らかで美しいとは言い難い。

 それでもなんとか三小節を奏でた直後、急に力を込めたストロークと共に歌唱パート、サビの主旋律が始まった。

 

瞬間、眞北以外の五人全員が気付いた。眞北が奏でるそれは、PRAYSE全員が大好きな有名ロックバンドの人気楽曲だということに。

メンバーの不祥事と脱退、バンドとしての活動休止というピンチを経て、再出発への並々ならぬ決意が込めて制作されたこの曲は、このバンドにとっても、そしてファンにとっても、非常に大切にされている壮大なバラードだ。


 男子としては高いキーも出せるし、シャウトやデスヴォイスも発声可能。原曲の歌い方のクセを、素人なりに強調させて表現したりと、この演奏に対する真剣みは確かにある。

 しかし完全に我流な眞北の歌唱には、音程の正確さや、声の響かせ方等の基礎的な部分が今ひとつ。歌に気合いを入れすぎて、ギターのストロークがおざなりになっている箇所も。弾き語りとしては、少々雑な仕上がりではある。

 ともかく、そんな眞北の演奏は続く。二回目のサビの後、休みなく加わるCメロ。それが終わろうとするとき、眞北は不自然に何度も、美純に何かをするように目配せしてきた。

「……っ!」

 あまり察しのよくない美純だが、このときばかりは即座に察した。

「記憶の天秤に架けた、一つの傷が吊り合うには————」

 Cメロ直後の間奏で、歌詞カードにも載っていない台詞を唱える美純。歌唱力こそ六人の中で最も素人の彼だが、その記憶力は人一倍。聴き込んだ曲、読み込んだ楽譜ならば、マニアックな部分まで正確に把握している。そんな美純ならば必ず乗ってきてくれるだろうと確信していた、眞北の自称・粋な計らいだった。


 約五分間のソロステージが、終了した。

 聴衆の四人は、何だかんだでしっかりと聴いていた。カラオケで他人を全く尊重しないほど自分本位ではないし、それに理由はどうあれ、眞北の本気は認めていたからだ。

 それに歌を受け取る相手であり、共演する立場となった美純は、素直な嬉しさを感じていた。

「マキ、ありがとう」

「おう。生涯忘れられねぇ一曲になったろ?」

 眞北への感謝を込め、ハイタッチ。言葉のとおり、未来に何かしらが起こらない限り、忘れたくないと強く願った一曲となった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 祝福のケーキは、日向夏と生クリームのタルト。灯された十六の蝋燭を一気に吹き消し、拍手の嵐を受ける。おそらく、これまで生きてきた中で最大級だ。

「あの、これ……皆からプレゼントだよ。これからも、よろしくね……」

「っっっ………………あ、あああああありがとう、ございます……ッ」

 祝ってもらえるだけでも嬉しいのに、さらに贈り物が、しかも優子からの手渡しというのが想定外。全身を硬直させ、顔面を紅潮させ、ほとんど思考停止する美純。何それ俺様聞いてねぇと言いかける眞北に、咄嗟に口を塞ぐ喬松には、全く気付いていない。

 絢や千里に促されるまま、恐る恐る開けてみたその中身は、黒い革製の腕輪。美純のベースの色と同じ紫の差し色が施されたデザイン。しかも、美純を含めたメンバーが憧れていた、ヴィジュアル系に似合うアイテムを数多く取り扱うブランドのものだ。

 アクセサリーなど買ったことのない彼は目を丸くし、何度も何度も謝意を述べた。気持ちを抑えるかのようにグラスのドリンクを飲み干し、じんわりと熱を帯びる目頭を押さえながら、俯き呟くのだった。

「…………俺は、皆に何かを返せているのだろうか」

「あー。そーゆうの考えなくていいんじゃね? そんな貸し借りだけで人間生きてんじゃねぇんだし」

 美純の言葉で空気がしんみりしかけたのを、喬松が強制的にキャンセルさせた。何時ものテキトーな調子での返しに戸惑いつつも、美純は目から鱗といった感覚だった。

 対面では、それあたしが言おうとしてたのにとボヤく絢を、ここは男同士だし喬松君を立てようと千里がフォローしていた。女子達も、喬松の答えは正解に近いと思った様子だ。


「えっとね、このバンド、螢くんがいなきゃ成り立たないんだよ。だから貸し借りとか関係なしに、わたしたちを頼ってほしいな。逆に、わたしたちも螢くんを頼るから、ね……?」

 さらに今度は優子が、優しく語りかける。

 自分に気があるワケがない。親切心からの言葉に過ぎない。それでも美純にとって、優子の言葉は魔性の呪文だった。この言葉を聞けただけで、今日という日の価値はあった。だから頷くだけで、精一杯だった。


「そーゆう事だっ! 美純螢コンチクショウ、俺様がお前に伝えたいことは正にこれだったんだっ! 今回の眞北プロデュース、予想以上の効果を上げたぞっ!」

 そこにさらに、今度は眞北が空気を読まずに、主賓の肩をがしっと掴み笑いかける。美純は優子の言葉の余韻に浸っていたかったが、これはこれで悪い気はしない。しなかった。のだが。

「分かったらドキュンボーごときにネチネチ執着してねーで、俺様だけの螢くんでいてッッ!」

 失言、此処に放たれり。

 頭を抱える喬松。え、ドキュなんとかって何のことかと怪訝な顔をする絢と千里。ほんの一瞬だけピクリと青筋を立てる優子。

 暗黙の了解で、今日この日までPRAYSEの男子三人のみの話題とし、女子達には内密にしていた存在。お調子者のうっかりミスのせいで、ハレの席におけるタブー中のタブーが、白日の下に晒された。


「…………少し前に、学校でトラブルがあった。…………ええっと、うん。もっとも過去のことだし、申し訳ないが今此処で話すには相応しくない話題だ」

 だが、それを治めたのは、他ならぬ美純。何もかもを話してしまいたい衝動もありはしたが、それをぐっと飲み込み、逆に全員にスルーするように求めた。

 その落ち着いた言動に、全員従う他なかった。特に優子は感心した顔を浮かべた。


 とはいえ美純にも、勝手に暴露されたことには思うところはあった。両手の指をウネウネと動かし、悪戯っぽく嗤ってみせる。

「……さて、それはそれとして。マキにはどう落とし前をつけて貰おうか。何て名前だったか。先日惨殺死体になっていたという政治家。国を動かす者としての本分を忘れ、公務を疎かにし、やっていることといえば無関係な人間への誹謗中傷にデマゴーグくらいだったか。……アレがしでかした所業の数々に比べれば、マキの罪は大したことないだろうから、はたして……」

「だったらアレだな! よし、……オレ諸共でも構わん! ……ヤれ」

 それを察して喬松も、すぐさま眞北の背後に回り込み、両腕をがっちりと拘束した。

「おいまさかアレかっ? おいやめろ! やめてくれぇ!」

 眞北は瞬時に悟った。彼最大の弱点のひとつ、くすぐり攻撃だ。以前も空気読めない発言をしたせいで、美純と喬松から制裁を喰らったのを思い出し、本気で手足をバタつかせている。

 しかしながら、眞北の脇腹に手を触れる寸前で、美純は伸ばした手を止めた。

「…………と思ったが、やっぱりやめた。ここは実家で親の手前だ。マキの慌てふためく顔が見られただけで良しとしよう。非道な加害者にはなりたくない」

 危うく調子こきすぎるところだったと冷静になった美純に、眞北は救われることになった。男子共のおふざけな様子を内心少し期待していた女子も、まぁそれが落としどころだろうねという顔になり、この場は収束した。


 それからしばらくの歓談を経て、滅多ないほどに騒がしい祝いの席は、終わりを迎えた。もうそろそろ、眞北の叔父と優子の叔母が、車で迎えに来る頃だ。

「じゃあ次は……えーっと、タカが二月に誕生日か。だいぶ先だなぁ」

「当然ながら是非に祝わせてもらいたい」

「あー。ウチ親が忙しいからなぁ。ヤローだけでどっかで集まれればそれでいいや」

「あたしも自分のは女子だけでお祝いできればそれでいい」

「ご家庭の都合もあるから、そのあたりは追々だね。あと私も女子だけでささやかでいいかな。あ、別に男子を嫌ってるとかじゃないけどね」

「わたしは…………んーと、とりあえず四月が近くなったら考えるね」

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