Episode:3 救済、それは復讐 part.6

 二学期の初日早々、特別進学科は、大手予備校の主催する模擬試験を受験する。

 しかもその週の金曜から日曜にかけて、合唱コンクール、文化祭に体育大会が連続開催。県内有数の進学校という事情こそあれ、非常にタイトなスケジュールだ。


 なお、文化祭では例年、学内で練習している音楽関係のサークル数組がライブに出演している。

 もっともPRAYSEはというと、メンバーの学年、活動期間、楽器経験、そして実力の面から、出演権を勝ち取れるワケがなかったのだが。


 高校一年生二学期最初の、慌ただしい一週間。そこに、美純を苦しめてきた怒臨房流は、姿を見せなかった。

 そもそも新学期前日夜に寮に戻ったとき、怒臨房は退寮したと、寮母から聞かされた。また、初日に担任からクラス全員に向けて、しばらく休むとだけ連絡があったが、退寮したタイミングで欠席となれば、特別指導という名の謹慎処分としか考えられなかった。

 案の定、九月の二週目から、怒臨房は登校してきた。美純が親から聞いた情報では、遠く離れたN市の自宅から、鉄道の定期券を使用して通学しているのだという。経済的とはいえないが、それは寮に住まう自分も似たようなもの。それに他の高校でも、鉄道やバスを使って遠方から通学してくる例は、珍しいものではない。


 寮以外では、互いに異なるコミュニティ、人間関係に属していたし、クラスで親しげに関わることなどなかった両者。考え方や常識、思想も全く異なる。

 そんな両者が同じ生活空間にいるという、他の生徒とは異なる環境に置かれたがために発生した、一連の諸問題。それは加害者が制裁を受け、生活の場が別々になることで、一応の解決を得た。

 その結果齎されたものは、積極的相互不干渉とでもいうべき関わり方だった。

 どちらからともなく物理的に距離を置き、極力接触しないように立ち回る。言葉を交わすとすればせいぜい、登下校時に目が合ってしまった場合に、義務的に挨拶する程度。

 間違ってもそれは、何時ぞやの話し合いの場で美純が唱えた『友達』と呼べる関係性では、断じてなかった。


 そうした日々が続く中、かつてはただ理不尽な振る舞いに怯えるだけだった美純に、変化が生じた。怒臨房への憎悪が、踏み付け痛め付けたいという欲望が、幾度も湧き上がるようになったのだ。

 ごく普通に学校生活を送っているようだが、本当に反省しているのか。俺に対して直接、丁寧に謝るのが筋ではないのか。殴られた分だけ殴らせろとは言わないが、せめて自分の前で、深々と頭を垂れて謝罪してほしい。だいたい被害額相当分の金はきちんと親に返したのか。何ならオマエから俺の親に、直接現金を差し出してもいいんだぞ。そしてその無様な姿に対して、『誠意って何かね』と嫌味をぶつけてやりたい。

 だけれどもそれを表に出そうとすると、脳内にいくつもの顔がちらつく。背中を押してくれた眞北に喬松が、自分を守護りに駆け付けてくれた両親が。いくつものヴィジョンを無視して怒りのままに行動すれば、今度ら自分に正しさなどないだろう。友や家族だけでなく、あのひとも残念な顔をするかもしれない。

 怒っては落ち着き、落ち着いては怒りを何度も繰り返し、やがて美純はひとつの回答案を出した。

 ————いわゆる『いじめ』という言葉で矮小化された悪事、その解決のカタチの限界点は、きっとこんなものなのだろう。たとえ気まずさこそあれ、互いに明確な加害行為がなければ、これを『平穏』と呼ぶのだろう。完全に納得はできないが、そう考えるしかなさそうだ。


 最早、過去のモノとなった加害者に構うことを、多忙な学生生活は許さない。

 難解な授業は予習復習なしには覚えきれない。日々の課題も大量にある。実家で録画してもらっているお気に入りに番組や、好きなバンドの新譜も気になる。

 バンドメンバーとしても、嫌な同級生とのトラブルに端を発するちょっとした騒動に、部長の提案によるオリジナル曲制作プロジェクトもあった。

 苦痛を覚える時もあれば、胸が高鳴る時もある。躓きもするし、あのひとに仄かにときめいたりもする。

 そんな日々の中、自分を虐げていた男が、クラスに姿を現さない時間が徐々に増えていることに、美純は何となく気付いていた。だが、気まずい相手がいなければ気が楽だと思った程度。その男そのものへの心配は一切無かったし、注意を向ける頻度も、内なる怒りに震える頻度も、次第に減っていった。

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