Episode:3 救済、それは復讐 part.4

 夏期課外授業の後半最終日が終わった、金曜の午後一時半。美純と怒臨房に関する問題について、一年八組担任の英洲季良の取り仕切りによる協議が、寮の食堂で開かれた。

 美純家からは両親が出席。規律に厳しく短気なところがある父と、物静かだが怒らせると父よりも恐ろしいと云われる母。弟の兜也(とうや)も同行しているが、今頃は兄の部屋で漫画を読んでいるかゲーム機で遊んでいるところだろう。

 一方、怒臨房家からは本人と母親が出席。父親は仕事の都合で不在とのことだ。

 また、寮内の証言者として、寮母も立ち会った。


 簡単な挨拶の後、まずは担任に促され、美純がこれまでの経緯を説明した。

 六月頃から、自分のスマートフォンを怒臨房に使われるようになったこと。ゲームや通信データの課金のためのパスワードを聞き出されたこと。一回だけ、二百円だけだからと最初は言っていたが、結局は無断で多額の課金を繰り返していたこと。個人名は出さなかったが、知人に関する無礼な発言についても触れた。自分の部屋で叫んで先輩達から注意されたのも、怒臨房の態度に我慢がならなかったから。そしてその夜、自室で殴られたこと。所々言葉に詰まりながらも、自分の身に起きたことを自分の口で説明した。

 続いて、美純の父が私見を述べた。最初は大変驚いたが、こういう事態になってようやく親に打ち明けた以上、息子の言うことは正当な訴えだと思うと、担任に示した。母もまた、それに同意した。


 一方で怒臨房はというと、責められる痛みは多少感じてはいたようだが、その態度は憮然としており、美純の主張に納得できていないのは明白だった。

 逆に、美純の言動はいつも冷たく、こちらを見下しているようで悲しくなると話し、自身の非常識な言動の数々も否定してきた。

 恐らく一番の争点であろう、スマートフォンの使い込みについても、ちゃんと現金で本人に返したことを主張した上で、美純だって動画視聴していたじゃないか、嫌なら嫌と言えばこちらも考えたのにと反論してきた。

 美純に暴力を振るったことは一部は認めつつも、一発だけだった、対等な刺し合いだった、逆にこれまでの冷たい態度を我慢していたのはこちらだと主張。しかも美純は過去にこんなひどい事を僕に言いましたという例をいくつか挙げてきた。

 母親はというと、息子がしでかしたと言われた行為をとても受け入れられない様子だった。うちの子が一方的に悪者だなんて言わないでくれという態度で、俯いて顔を覆い落涙していたし、その隣で怒臨房も、何でこんなことになるんだよと歯噛みしていた。


 その後、寮母からの生活の様子についての言及、続いて担任からの私見も話された。

 だが、ここまで話された内容すべてを理解する余裕は、当の美純にはなかった。言ってしまえば彼は今、強いストレスによるパニック状態にあった。

 怒臨房の側が主張すること、その表情を前にしていると、自分にも非があったのではないかと心が揺らいでしまう。思えば俺は、『礼儀正しく真面目に、友達とは仲良く』という、学生としての『常識』から、知らず知らずのうちに外れていたのではないか。俺にも反省すべき点や、そもそもの原因があったのではないか。ここに至るまでの俺の行動のいくつか、あるいはすべてが、間違いだったのではないか。それに自分の親に、怒りと哀しみが入り混じった顔をさせてしまったこと、誰かに敵意を抱かせていることにも、強く申し訳なさを覚える。


「美純君、これから君はどうしたい? ここにいるご両親、怒臨房君、寮母さん、担任の私にどうしてもらいたいか、その希望を教えて欲しい」

 ここに来て、間違いなく非常に重要であるに違いない、担任からの問い。————こんな心理状態で答えられるはずがない!   

そもそも今、考える行為もつらいのだ。何もかもが嫌になった。面倒になった。一方的に被害を受けたことは最悪だが、いがみ合いの当事者になるというのも、それに匹敵する最悪だ。

 とにかく今は、何もかもをゼロにしたい。リセットしたい。ごく当たり前に、至極穏便に、誰もこれ以上不快にならずに済むようなかたちで。


「俺は————」


 担任に問われてから一分近く呼吸を繰り返し、美純がようやく絞り出せた言葉。

 怒臨房の側は少し意外な顔をした。そして美純の母は、はっと何かに気付き、父親に耳打ちした。

「もう一時間が経ちます。どうでしょう、ここで少し、休憩にしましょうか」

 奇しくもそのタイミングで、担任が一時休止を勧めてきた。全員が無言で頷いた。怒臨房の側は一旦自室に戻り、美純の側は食堂に残った。


 休憩を言い渡されても、当事者はとても気が休まるものではない。そんな美純に、母親がある提案をしてきた。

 三時半頃まで、先生とじっくり話したい。あなたはそれまで、近くの本屋かどこかで時間を潰していていなさい。少しくらい遅れても構わない。あと、帰りがけにこのお金で、近くのコンビニで父さんのコーヒーと母さんのアイスカフェラテ、あとあなたと兜也のドリンクを買ってきて。お釣りはいらない。

 なぜ今、母親がそんなことを言ってくるのか理解ができなかった。そもそもその意図を読む余裕すらなかった。父親も気分転換してこいと言ってきたし、結局美純はひとり、近所の書店へと向かうことにした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 寮から徒歩五分の位置にある本屋は、地方都市郊外の書店としては広めの店舗。CDショップも併設しており、適当に物色するだけでも二、三十分は潰せるくらいだ。

 何よりこの店は、本やCDが売れないご時世にもかかわらず、音楽関係のコーナーが充実していた。世間のトレンドと一致するものではないPRAYSEの音楽嗜好を取り扱った雑誌や楽譜も豊富で、たとえ所持金に乏しくとも、定期的にチェックする価値がある場所。美純も好きなバンドの最新アルバム、そのバンドスコアもいつの間にか入荷していた。


 他にも科学や地理関係の雑誌、漫画やゲーム雑誌、そしてちょっとえっちなゲーム関係のコーナーを見て回った。気がつけば三時半。そろそろ退店するべき時間だろうか。この日は気になっていたギャグ漫画の単行本を一冊購入し、退店することにした。

このままコンビニに寄った後、寮に戻ることになるのだが、自分が離れている間に何が行われているか、今は考えないことにした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 時刻は四時前。コールドドリンクを四本レジ袋に詰め、温くならないように、足早に寮に戻ってきた美純。

 寮の入り口で出迎えてくれた両親に買い物の品を渡すと、父親から、話はひととおり終わったので先生には帰ってもらったと伝えられた。

 また、どうやら怒臨房とその家族も帰宅したのか、既に寮にはいないようだった。

「お前はもう、何も心配しなくていい。そんなことより折角だ、これから少し遠くにドライブでもしようか」

 普段の我が強い態度とは違い、宥めるような声で笑う父。その顔を前にしていると、空白の一時間でどんなやりとりがあったのか、それを問う気になど、とてもなれなかった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 M市から高速道路を西に走り、到着したのはK市。市街地を離れた山沿いにある夏の夕暮れが映える牧場を散歩し、ローカル番組で紹介されていたイタリアンの店で夕食を取った。

 父も母も、美純のことを何も責めたりはしなかった。話題といえば難しい授業のこと、そしてバンド活動のこと。特にお調子者の眞北のことは、母から色々聞かれた。


 時刻は夜九時。県北地区H市の実家へと向かう帰路。高速道路の反射板以外を埋め尽くす闇に身を隠すように窓の外を見つめ、家族の誰にも気付かれないように息を押し殺し、少しだけ、涙を落とした。

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