Episode:3 救済、それは復讐 part.3

 午後の休み時間。一年六組の教室、窓側後ろの席。友人から借りたバンドスコアを机に開いたまま、香坂優子は頬杖をついていた。

 優子はつい昨日、バンドでベースを務める男子生徒が、仲間の二人と深刻な話をしているのを聞いてしまった。当事者ではない彼女だが、内容が内容だけに、脳内はそのことでいっぱいになってしまった。


 これまで親密な人付き合いに乏しかった優子にとって、ベース担当の男子は初恋の相手といってよかった。

 短身痩躯で女性的な顔立ちからして好みだし、高い教養と礼儀正しさもある。堅苦しい表情と口調とは裏腹に、素直で大人しい内面性なのも知っている。

 また彼は、優子がお気に入りの女性シンガーソングライターに興味を示してくれたし、CDを貸してみたら、丁寧な感想をくれた上、更に聴いてみたいと笑ってくれた。

それに意外にも、かわいいキャラクターの絵本が好きなことも知っている。

 他にも色々、語り出せば長くなりそうなくらい、彼を想うと胸の奥があたたかさに包まれるのだ。

 そんな相手がトラブルに巻き込まれているとなれば、可能な限り助力したいと思うもの。しかしながら現時点では、彼とは同じサークルのメンバーという関係性でしかない。何も知らない自分程度がずけずけと踏み込んでいいものかと、具体的な行動には移せないでいる。


「優子が美純君のことを心配な気持ちを尊重した上で言うけど、私は今の時点では、男子二人に任せた方がいいよ。男の世界でしか共有できないこともあるだろうし。私達が動くのは、本人から要請があってからでいいはず」

「あたしが知る限り、眞北のヤツはトラブルの相談については真面目だ。中学の時、何か色々苦労してたし。少なくとも美純は頼る相手を間違えてはいないと思う、うん」

 昼休みに快く相談に乗ってくれた女子メンバーの二人、藤守千里と鷺沢絢の回答を、優子は反芻した。どちらの要旨も、現時点では何もできないというものだった。

 反発は起きなかった。此方の話を丁寧に聞いてくれた上での考えなのだ。そのこと自体がまず嬉しいし、内容も限りなく正解に近いと、優子も思う。

 ————そうだ。焦ることはない筈だ。まずは彼にとって、PRAYSEという集団が大切な居場所であることが大事なのだ。そして、その居場所に自分もいるという利を生かし、少しずつ、じっくりと、信頼関係を作っていけばよい。礼儀正しく誰にでも優しいタイプに違いない彼には、それが効果的な気がしている。

 精神的な距離の近さにおいては、同性の友人の方に優位性があることは仕方がない。だから今回の事態解決は、愉快な面白男子二人に一任することにしよう。 


 一方で、優子はこうも考える。相手の心が哀しみに暮れている時は、自分を強烈にアピールするチャンスでもあるだろう、と。

 ではさて、どう声をかけてみようか。あなたの表情が時々何だか哀しく見えるから心配だよと、歯の浮くような台詞でも囁いてみようか————そんな彼女の乙女チックなプランは、すぐ近くで発生した雑音に遮られることとなった。


「ねぇねぇ、特別進学科の男ってどうなのよ?」

「それは自分の目で確かめればいいさ」

「でもさ、冴えないの多いみたいよ〜、いかにもモテなさそーなのばっかり。あ、でもバスケ部の黒王って男子はカッコいいと思う」

 顔を上げ、教室の様子に目を向ける。すぐ右斜め前には三人の女子グループがいた。遊び慣れしている雰囲気の、優子とは相性の良くないタイプだ。

しかも彼女等の話題は、当事者不在の一方的な品定め。聞いていて気持ちのいいものではない。

 そしてさらに。

「私、噂で聞いたけど、H市から来たっていう、何て名前だったっけ……確か、ヨシ、なんとかって人。ちょっと陰があるけど、線が細くてかなり美形がいるって」

「あ〜、それヨシズミホタル、って奴だわ。やめとけやめとけ。ウチの旦那が同じ寮なんだけど、猟奇殺人とか強制収容所とかろくでもない話しかできないし、でも強い相手に媚びてるのが見え見えで要領悪い真面目系クズのシコ野郎だってさ」


————螢くん!


 それは他人からの伝聞のみを根拠とし、恥じらいもなく卑語を吐き出す、お手本のような陰口だった。

 発言者である女子の名は、知場降芽(しるば ふるめ)。優子がバンドを組んでいることを侮辱的に語ったこともあり、できることなら生涯関わりたくないタイプの生物だ。

 そんな生物がよもや、大好きな彼に害を成す生物と『つがい』だったとは。奇妙で気色悪い偶然に、優子は自分の表情が消えてゆくのを感じた。馬鹿らしい理由の危険運転で大切な叔母を殺された時、それ以来の感情だった。


「(縊り殺してやる、塵屑が……!)」


 両親が教育関係者であり、常に良い子でいることを求められてきた優子。激昂の一切を表に出すことはない。だが、心の内だけは彼女の自由、絶対なるパーソナルスペースだ。

 奴等を処刑してやりたい。生物としての死は与えられないまでも、社会的な抹殺は与えてやりたい。合法的に、此方に一切の非が発生しないように。ドス黒いインクで精神が塗りたくられるのが分かる。瞳孔が漆黒に染まるのを感じる。

 さて、どうしようか。例えば奴等の弱みを握ることができればよいのだが。

 ……いや、こういう奴等は案外、ボロを出すのは早い気がする。だから焦ることはない。その好機を逃さないことが大事なのだ。

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