Episode:3 救済、それは復讐 part.1
楽器スタンドに架けられたエレキギターにエレキベース。キャビネットには個人練習用のアンプやアクセサリ、それに多数のCDやDVD、バンドスコアに音楽雑誌。たとえ全国的な回線トラブルにより通信機器の使用が不可能になろうとも、丸一日くらい過ごすには困らないだけの娯楽が、この部屋には揃っている。
八月下旬の夏課外後半、十分に冷房を効かせ快適に保たれているこの部屋。つい先月結成されたばかりの、ロックバンドサークル・PRAYSEの部室だ。
この日、室内にいるのは、この部室を使用する権利がある者共のうち、ギターの眞北和寿、ベースの美純螢、ドラムの喬松慧希の男三人。残りの女子三人に対しては、本日は夏の課題を進めるために男子のみで使用すると伝えてある。
バンド結成から約一ヶ月が経過し、いざ集まれば延々と無駄話ができる仲になれた男たち。しかしながら、この日の空気はこれまでになく、重い。
「…………以上だ。つい昨日まで、俺が受けてきたことだ」
時間にすれば約十分間。辿々しくも詳細に、時系列を追っての話を終えたのは、美純螢。快適環境である筈の部室が暗く澱んでいるのは、彼の話した内容がそれだけ深刻なものだったからだ。
一方で、相談を受ける側となった眞北和寿と喬松慧希。最初こそ恋の悩みだか、えっちな萌え系雑誌を貸してくれという交渉かと考えていたが、美純が話し始めるや、すぐに顔つきを変え、聞き役に徹した。
「なぁなぁなぁなぁ! 何なんだよその話はよぉ! 完ッ全にいじめ、いーや、恐喝暴行じゃぁねえか!」
「コレはちょっといかんなぁオイ。悪口だけなら立件は難しいが、がっつりカネと暴力が絡んでんじゃねぇの」
「…………っ」
彼等が示した反応に、美純は震えた。二人は味方であること。自分が苦しいと感じてきたことは決して、間違っていなかったこと。今後どうするかの不安こそあれ、悪いのは間違いなく『相手側』だということ。少なくともこれらのことを確信できた。この確信が、心の奥にずっと押し隠してきた偽りない思い、いや衝動をぶちまけさせるのだった。
「…………あの核廃棄物にも劣るクソカスが……許せねぇ。許せるかあのドキュン野郎……許さねぇ、許さねえ……! 殺してやりてぇッッ……!」
肩を震わせ、女性的な整った顔立ちを酷く歪ませ、長机をドカッ、ドカッと叩き、呪詛も同然の唸り声を、美純は口にした。バンドに加入して以来ずっと寡黙で大人しい態度だった彼が初めて見せた、ドス黒い感情だった。
さーてどうするよと、喬松は癖毛を掻きむしりながら苦い顔をする。普段は飄々としていい加減、やる気がない態度の男だが、こればかりは放置していてはマズい案件だと心配している様子だ。
そこに一呼吸置いて、直情型の眞北が決まってんだろと立ち上がった。惨めさに身体を震わせ机に突っ伏し、おそらく落涙しているであろう美純に近付き、両肩をがしっと掴み、声高に言い放った。
「すぐお家の方に連絡だっ!」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
美純螢は、いわゆる『変わり者』と周囲から言われる少年だった。ルックスこそ端正だが、堅苦しい話し方やマニアックな趣味嗜好で、浮世離れした雰囲気を放っていた。それに、自ら主体的に考え動くことが苦手で、かつパニックを起こしやすい生来の特性もあり、対人関係で苦しい思いをすることも少なくなかった。
しかしながらそうした彼の短所は、教師からは取り立てて問題視することはなかった。なぜならば彼は、いわゆる優等生とされる部類の生徒だったからだ。
中学時代の三年間で行われた定期考査・実力試験において、トップの成績だった割合は実に八割と、文句無しの首席。偏りはあるものの豊富な雑学知識に加えて、従順な性格もあり、大人達からすれば極めて模範的な生徒といえた。
そんな彼が、M県内各地から首席クラスの生徒が集まってくるMW高校の特別進学科を受験し、合格したのは、ごく自然な流れだった。
特別進学科は各学年に一学級。例年、四十名超のクラスメイトのうち十名程度は、通学が難しい遠方の出身なのだが、そうした生徒に対応できるよう、高校の周辺には下宿者を受け入れている世帯がいくつか存在している。
また、男子限定ではあるが、毎年十名前後を受け入れている個人経営の寮も一軒ある。この高校がある県庁所在地M市からかなり離れたH市出身の美純も、そこに入寮することになった。
勉強の出来で周りを黙らせられていた中学までとは違い、美純の特別進学科での日々は厳しいものだった。
入学早々の実力試験で、席次は学級の半分より下という洗礼を受けた。授業は想像以上の早さで進行し、内容も予習なしには理解困難。さらに質・量共にきつい毎日の課題。地頭や要領の良さに難がある美純は、中学時代と比べて睡眠時間が二時間は減った。
もっともこれはあくまで、これまでも送ってきた学生としての生活の延長。規律を守り、しっかりと授業を受け、可能な限り理解する。中学時代までやってきたことを更に厳格にやれば、周りに遅れをとることはないと、美純は気付いた。四月、五月と、高校生としての本分そのものには、少しずつ慣れ始めていった。
一方、学校以外での時間、すなわち寮生活。先輩達との関係は相互不干渉も同然で、特に問題はなし。厳しい規則も実際は形骸化されていた。建物自体が古びた木造ということもあり、セキュリティも緩い。下手すれば、親元に暮らす高校生よりも羽目を外しやすいくらいだ。
だが、自由ともいえる寮での生活は、しだいに美純にとって心苦しいものとなっていった。
その原因は、美純の他にもう一人いた新一年生。県北地区N市出身の、怒臨房流(どりんぼう りゅう)という男子。優等生の集まりである特別進学科としてはかなりやんちゃな風貌で、実際遊び慣れした要領の良い男だった。
最初こそ、漫画の見せ合いとかしようぜと親しげに話しかけてきたし、意外にも所属した部活動は吹奏楽部と、文化的活動を好む面もあり、美純も彼に対して悪い感情は持たなかった。
ところが。体格や運動神経、気の強さに口の巧さ。人間的な強さの基準とされやすいステータスにおいて、美純を上回っていた怒臨房。それ故にこの男は、程なくして美純のことを『都合のいい子分』のように思うようになっていった。日を追うごとに横柄さや我儘さが増長し、それらは美純に不快感を与える行動として現れ出した。
ゴールデンウィーク中に出された、県立博物館の特別展示に関するレポートをめぐって、二人はトラブルを起こした。最終的に、美純は理不尽な理由で怒臨房の怒りを買い、彼の分までレポート作成を押し付けられるハメになった。
宿題に取り組む美純の部屋に上がり込み、長時間居座り、知り合った女子とアプリ通話を続けるというのはしょっちゅうだ。それだけでも面白くない行動だが、さらに、
「なぁなぁ。やっぱ寄宿舎って、女子同士で風呂入るんだろ? 残戸(ざんど)さんの胸ってやっぱすげぇ? どんなハダカしてんの?」
……といったような、露骨なセクハラ発言も連発していた。美純にとっては不愉快を通り越して理解不能だった。
七月後半に入り、親からエレキベースを買って貰い、ロックバンドサークル・PRAYSEに加入した。そのことを知った怒臨房は、やれ変な形のベースだなとか、やれ流行りのあのバンドの曲とか大御所の洋楽はやらないのかよとか、自分もそれなりに音楽を知る立場が故に、悪びれもせず嫌味を言い放ってきた。
他にも色々と非常識な行動が増えていった怒臨房だが、この男が美純にしでかした言動の中で、世間的に見て恐らく最悪であろう行為。それは六月頃から始まった。
「なぁ美純くんさぁ、ちょっとだけでいいからスマホ貸してくんねぇ?」
さも当たり前のように放たれた、怒臨房からの申し出。曰く、自分のスマートフォンはゲームアプリや動画配信サービス等もインストールできない設定にされているが、少しでいいから遊んでみたいのだという。
美純は当然、自分のスマホを他人に貸すなど好ましくない話だとは理解していたし、断ろうかと思案しもした。すると怒臨房は中学時代に如何に厳しい家庭で育ち、苦しい思いをしてきたかを力説してきた。それは同情を誘い、従わなければお前を悪だと断定するという、ある意味で洗脳に近い弁舌だった。
「……節度は守ってくれ」
その弁舌に乗ってしまい、実質的な同意を口にしてしまった美純。彼の臆病で世間知らずで考え無しな一面が、露呈した瞬間だった。
それからというもの、怒臨房は頻繁に、美純からスマホを借りるようになった。いや、借りるというよりは強奪だった。
人気のソーシャルゲームを複数インストールされた上、更には百円だけだから、その分現金で払うからとアイテム課金を強請られ、半ば脅迫に近いかたちで購入用のパスワードを要求された。しかもご丁寧なことに、持ち主である美純はプレイできないようにアプリの起動にパスワードをかけられており、アプリ内課金の確認もできない状態だ。
問題はそれだけではない。寮にはWi―Fiルーターなど設置されていないため、データ通信が上限に達した場合、高速通信に制限がかかる。この事態に対し、怒臨房はさも当たり前のように、美純に話を通すことなくデータの追加購入をしたのだった。
こうした怒臨房の所業により発生した使用料金は当然、美純の保護者に請求される。
急激に上昇した請求額のことを両親に問い詰められ、平謝りした美純だったが、怒臨房のことは親には黙っていた。
自分と違って辛い思いをしていたのだ。彼は同じクラスで同じ寮の仲間、友達だ。友達と仲良くできないことは悪い事だ。彼のやっていることはよくないことかもしれないが、彼もすぐ飽きて止めてくれるはず。そう信じながら、気がつけば一学期が終わり、夏期課外授業の前半が終わっていた。
盆休みで帰省したときにも、七月に利用した分の請求額が先月以上に上昇していることを告げられた。更には八月分の見込額も相当な額だということも。それでも美純は、友達付き合いでつい使い過ぎたと謝るばかりだった。
夏期課外授業の後半が始まった。久しぶりの寮での夜に、案の定、怒臨房は不当な要求をかましてきた。たまらず、美純は反撃した。
「これ以上はもう、庇いきれない。親から言われた。料金がかかりすぎてるって」
「ふーん、それで?」
「もう俺のケータイを使うのは、やめてほしい」
「なんだよケチくせぇ! ウチがどんだけ厳しいか知ってんだろ? お前なぁ、恵まれてんのに冷てぇんだよ人間的に!」
「…………っ」
相手の理不尽な行動を注意して、逆にこちらが非難されたことで、美純は頭がパニックになり何も言えなくなった。
すると今度は怒臨房の方から、これ以上相手が追及してはこないと確信してか、全く別の話題を持ち出してきた。
「そーいえばよ、お前のバンドに香坂優子、っているだろ」
「……ッ、いるけど」
「六組にいる知り合いから聞いたけどよ、有名だぞあの女」
「は……?」
「顔はイマイチだし女子にしちゃデカブツだけどよ、胸とケツはすげぇよなぁ。ありゃ学年一だわぁ。あー、一回くらいは犯してみてぇなぁ」
「……!」
とってつけたように放たれた、えげつない冗談。しかもよりによって、美純が密かに想いを寄せている相手を、この男は性的に侮辱した!
「やめろ! もうやめてくれ!」
美純は叫んだ。圧倒的な戦力差から来る恐怖を、突沸した怒りが上回った。
「おいうるっせぇなバカ! 先輩達が気付くじゃねぇか!」
慌てて口を塞ぎ、もういい今日は帰ると立ち去る怒臨房。だが築五十年の古い木造住宅では、二人の騒ぎはすぐに、他の寮生の知るところとなった。
程なくして、寮長である三年生男子の指示により、寮生全員を食堂に集めての臨時ミーティングが開かれた。
議題は、ここ最近、美純の部屋での会話がうるさく、隣の部屋の三年生が迷惑しているというもの。新入りのやりとりの内容など知らない上級生にとっては、怒臨房も美純も同罪とされて然るべき。故に、二人まとめて糾弾された。
何か言いたいことはあるかと寮長に問われた美純。だが怒臨房が隣にいる以上、この男の不利になるようなことは言えない。だから彼は答えた。僕の部屋に怒臨房君を呼んで、よく二人で遊んでいましたが、今回は僕がついふざけて大声を出してしまいました。先輩方に迷惑をかける行動でした。反省しています。これからは学生としての本分に立ち返り、静かに勉強に専念します。————そう、本心ではないことを答えた。
怒臨房も、美純の発言をトレースした。この男も絶対に本心ではないことは、美純だけが理解していた。
結局、寮長と寮母のごもっともな締めのお言葉と共に、会合は三十分足らずで終了した。
その日の深夜、美純の部屋のドアをノックする音が響いた。控えめな音量だが、明らかに居留守を許さないであろうリズム。扉を開くしかなかった。
現れたのは当然、怒臨房。声を出すなよと美純を睨み付け、部屋に入るや彼の口を塞ぎ、ベッドへと押し倒してきた。
「おい……てめぇ恥かかせやがって」
ミーティングで、怒臨房の悪事を黙っているだけでは足りなかったようだ。美純が大声を出したことで自分も注意を受け、今後遊びにくくなってしまったことこそが問題だというのだ。
「てめぇのせいだ。黙って言うこと聞いてりゃこうして周りから目をつけられること無かったのによぉ、これで俺まで動きづらくなったじゃねぇか」
馬乗りにマウントをとられ、殴られた。正確な数をいちいち数える余裕なんてないが、胸や腹を何度も、殴られた。
「寮母のババアもうるせぇしよぉ、遊んでばっかりなんてネチネチほざきやがって。親代わりにでもなったつもりかよ」
頭や顔、腕は狙われなかった。ご丁寧にも怒臨房本人から解説があった。時々てめぇには日本語通じねぇって思う時があるから教えてやるよ。ウチの学校、水泳部しかプール使わねぇから、ボディ殴られるだけじゃ誰も気付かねぇんだよ。
殴りつける、という行為が適度な運動、感情の発散になったのだろう。じゃあなデクの棒、今日のことはバラすなよと捨て台詞を吐いて、怒臨房は静かに去っていった。
美純は胴体各所に打ち込まれた鈍痛に震えながら、加害者が過ぎ去ったことそのものには酷く安堵した。混乱していた脳内がどうにか静まったのを感じた後、水を飲み、音楽を聞いたり、宿題を進めたり、その他にも————この今の恐怖と惨めさを発散させる方法を、いくつか実行した。とはいえそれらの行動は、所詮は一時しのぎ。根本的な解決にはならない。それでも、今後の行動方針の決定は明日の自分に任せようと、疲労感任せに眠りについたのだった。
一夜明けた暗い朝は曇天のせいか、妙に頭痛がする。早朝から始まるこの日の課外授業も、ほとんど上の空だ。
そもそも自分には、あの男を咎める資格はあるのか。自分の普段の態度があの男を怒らせていたのかもしれないし、自分が不器用なせいであの男の要求に応えられず不興を買ったこともあるだろう。スマートフォンの件だって、形はどうあれ自分が許可したことに変わりはないのだ。俺か、怒臨房か、悪いのは誰だ。一連の出来事を誰かに話したところで、責められるのは自分かもしれない。それが酷く怖い。だけれども俺は今、ただ辛くて仕方がない。だからせめて、この一連の出来事を辛いと思うことは間違っていないと、誰か俺にそう思わせてくれ。
十二ポンド程度の質量しかない頭蓋の中、延々と同じサイクルを巡る間に、この日の授業はすべて終了した。人目を気にする余裕もなく、虚な表情で力なく足を運んだのは、部室の方向だった。
「おいーっす。どーした? 回転扉に入る直前で背後から刺されたよーな顔してんなぁ?」
「瞳開けたまま腐食していくにはまだ早いぜ?」
部室の手前で鉢合わせしたのは、バンドメンバーの眞北と喬松。初対面にも関わらず、同じ趣味を持つ仲間としてすぐに受け入れてくれた二人だが、悩みを打ち明ける相手としては果たしてどうだろうか。
空気は読めないが、少なくとも人情は持っていそうな男と、軽薄な態度だが、少なくとも誰かを踏みつけたりはしなさそうな男。信じてもいいだろうが、でも甘えるのは迷惑ではないか。
いや違う。せめてこの二人には知っていてほしい。いや打ち明けたい。…………衝動のままに取った行動は、まずはお願いをしてみることだった。
「あの……差し支えなければ、よろしいだろうか? 俺が相談したい、と言ったら、貴殿らは聞いてくれるだろうか……」
「何だ? ヤバい話か?」
「……恐らく世間的には」
「だったらこれから緊急会議だな! 女性陣も呼ぶか?」
「……いや、できれば貴殿等二人だけの方がいい」
「よっしゃ、悪だくみの時間といこーぜ」
ごく当たり前に、話を聞くぞと受け入れてくれた2人が、何よりも心強く感じた。
本題に入るまでに時間がかかったものの、美純はこれまでのすべてを語った。怒臨房が犯したいと冗談をぬかした標的が、バンドメンバーのひとりだということ以外は。
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