Episode:2 魔法はそこにある part.6

 全員の目に止まる位置に設置した電子メトロノーム。BPMは、ゆっくり目の百〇七に設定。

 喬松のカウントを合図に、優子のアルペジオと千里のシンセサウンドで幕が上がる。そこに眞北のディストーションと美純のルート音が加わり、すぅっ……とした息遣いの後、絢の歌声が登場する。

 魔法というテーマをメンバー全員が突き詰め、その成果を元に千里が創り上げた、PRAYSE初のオリジナル曲、『MAYA』。その初めての合わせ練習が、始まった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 原曲デモ完成から一夜明けた月曜早朝。千里がひいた風邪は三十九度にまでなり、結局水曜まで欠席。木曜金曜もすぐに帰宅した。当然その間は部室に顔を出していないし、楽器に触れてすらいない。

 だが千里は月曜のうちに、作ったデモ音源のデータを五人全員に配布することだけは忘れなかった。設計図が頭に入っている自分はともかく、デモ音源で初めてこの曲に触れる他の五人には、一日でも早く届けたかったのだ。

 データ転送サービスのダウンロードページに添えたのは、『感想をくれる暇があったら早速練習して! その方が私は嬉しいっ!』という、少々厳しめにも映るセンテンス。もちろんデモ音源の時点で曲に対する感想も気になるのだが、それよりも五人が千里抜きでも練習してくれるかが心配だ。それに、自分から感想を求めるのは照れくさかったのもあった。

 そんな千里の意図を汲んでくれてか、皆々からの返信は、ありがとう、お疲れ様、そんな簡潔な感謝に留められた。

 なお、『震えて眠れ藤守千里。今度は俺様達が貴様を驚かす番だ、くくく』という、妙なメッセージをよこしてきた約一名は、スルーした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 決して音の数を盛り過ぎず、まずは全員が確実に弾けることを最優先に。そんなコンセプトにより編曲されたこの曲の感触は……上々だ。皆、ちゃんと練習してくれていた。

 技術的に不安だった喬松と美純のリズム隊は、驚くことにこれまでの音合わせの中で、一番安定している。部室以外でもこっそり二人で練習していたのではないかと思えるくらい、形になっている。所々失敗しているのはまぁ、ご愛嬌の範囲内だ。

 リズムギターを託された優子。元々、音楽経験としてピアノを習っていたからか、ナチュラルトーンのアルペジオもバッキングも、十分に様になっている。

 眞北のリードギターは楽器隊の花形。そのプレッシャーに潰されることなく、朗々と荒ぶる。ただ自分に陶酔し過ぎて、時たまリズムが狂っているのだが。

 曲の主役であるヴォーカルの絢。千里自身が生み出した歌詞を彼女に歌われるのは奇妙な小恥ずかしさがあるが、声の抑揚や歌う表情から、彼女がこの曲を大事に歌ってくれていることがはっきり見えてくる。

 一体感。有り体だがそうとしか表現しようがない、奇妙だが不快ではない震えが、千里の全身を覆っている。何かの漫画でありがちな、複数名のパワーを込めた合体魔法の発動もこんな感じなのだろうかと、切ない曲調の筈なのに不思議と笑みが浮かんでくる。ほんの少し感じる違和感は、今は黙殺だ。

 そんな千里は、ストリングス系のサウンドで曲全体を包み彩る役回り。全体的にあまり前には出てこないが、アウトロのピアノソロだけは、作詞作曲者の特権とばかりに、誰よりもカッコつけさせてもらう勢いで鍵盤を叩く。


 五分強の演奏時間が終了。アンプからのノイズに混じるように一呼吸、二呼吸。その後。

「あのさぁ……この曲さ、改めて弾いてみると、その、アレだよね? 何か昔見たドラマかなんかの曲っぽいというか」

「うん。デモ聴いた時点でちょっと思ってたけど……その時は言えなかったけど、改めて弾いてみると、色々似てるね」

「参考にしたい気持ちは理解できる。あの曲は高名なプロデューサーが関わっていたそうじゃぁないか。それを知らない藤守さんではあるまい」

「あー、あの総合テレビのやつね。マキちゃんが苦手そーな内容のドラマだったな」

「言うんじゃぁねぇ。そして曲に罪はねぇんだ。あの曲は好きだ」


「…………」

 ああ、やっぱりそうかと、自分だけに聴こえるくらいの声で、千里は呟く。演奏中、いや正直なところ、デモ完成時から頭をよぎっていた違和感が、仲間達の言葉によってはっきりとした形になってしまった。

 基本的な知識は備えていたとはいえ、作詞作曲編曲は初めて。しかも制作期間は自らが課した、僅か一週間。そんな短い時間の中では、とにかく曲として成立させることに必死で、冷静に客観的に振り返る余裕なんてなかった。その結果、完成したモノはほとんどただの既存の模倣。演奏中に肌で感じていた合体魔法のような高揚感は、周りが口にする現実に打ち消されようとしている。

 処女作はこんなものだとか、初めてには失敗が付きものだとか、言い訳の常套句など何の意味も為さない。所詮はお気に入りの曲の楽譜をなぞっただけの、曲作りごっこでしかなかったのだ……また少し、この場を去りたくなる気持ちが去来してくるのだった。


「だがよぉ、凄ぇ楽しくなかった? そうだろお前等?」

「あー、確かに今までで一番上手く叩けた、よーな気がする」

「俺には考える余裕なんてなかった。メトロノームやタカさんに合わせる以外の事は意識できていなかった」

「螢くん、本当はどうなの?」

「……悪くない気分」

「そうだよ、歌詞とか流石チサトって感じだったしさ」

「!?︎」

 だが程なくして皆が呟くのは、楽しさに嬉しさが溢れた声。メンバーが共通して好きなバンドの曲を初めて通して演奏した時、それ以上にも感じられる喜びの輪。その輪は、千里ひとりがその外にいることを許さない。

「だいたいこうしてウチらでもきちんと楽しく最後まで演奏できる曲を作ってくれたことをさ、まず褒めなきゃだったよ。チサト、ごめん。つーかいい曲、ありがと」

「…………うん」

 失礼ながら滅多に見ることはできない、曇りのない表情をした絢の感謝の言葉に、二週間前とは違う感情が込み上げてきて仕方がない。

「ったく……普段はさ、いっつもあれが嫌いこれが大嫌いとか、死ね死ね殺すばっかりなのにさ、絢ってほんと、優しいんだよね……」

「っ、……泣くなよぉ! チサトてめぇ何泣いてんだよっ……!」

 照れ隠しに棘のある言葉を交えながらも、千里の返しには涙が混じってしまうし、それに絢にも泣き顔が移ってしまう。

 そんな涙の連鎖は、二人だけにとどまらない。

「あやちゃんも泣いてるよ……?」

「うっさい、鏡見ろ鏡。ユーコも泣いてるし」

「ふん。油断していたとはいえ、この俺様を危うく泣かせようとは……流石は藤守、中学以来の付き合いだ……やるねェ」

「……少し、酸素を補給してくる」

「螢くんも泣いてるーっ!」

「俺は……泣いていない……」

「そんなだから皆から誤解されるんだよーっ!」

「いやいやお前ら歳取ったなぁー。まぁ俺が一番若いから当然かー」

 貰い泣きか、場の空気に酔っているからか。きっと理由の違いなんて些細なことのように、六人全員が一様に涙を浮かべ、そして今、幸福だと確信しているようだった。


「ねぇ、皆」

 ぐすりと鼻をすすり呼吸器を上下させ、少しでも吐息を整える。涙を拭い、小恥ずかしさに耐える心の準備をし、千里は言葉を絞り出す。きっと皆が期待しているに違いない言葉を、放とうとする。

「私ね、初めて皆とバンド組めて良かったって、思った。本当、この瞬間がさ――――」

「そうだな、俺様達六人が揃ってこうして俺様達だけの音を奏でられたことこそがっ! 現代における『魔法』! 魔法は既にそこにあった、俺様達のすぐ傍にあったのだッ!」

 ――――完成度はともかく、心身を擦り減らし、バンドにおけるひとつの成果を上げた功労者である千里。そんな彼女が感慨深げに語るべき言葉は、眞北の高らかなドヤ顔とガッツポーズに、見事に遮られた。涙を滲ませながらも暖かで歓喜に満ちた室内が、一瞬で凍結乾燥した。

「いや……ないわー」

「わぁー、ゆっちったー。コイツゆっちったー」

「今のはちょっと……ね。言う資格があるのはちーちゃんだけだったよね」

「マキ……その発言は、かつて五輪の男子マラソンを妨害した似非宗教家にも匹敵する重罪だ。貴殿とあろうものが……残念だ」

 直後、四方からの一斉攻撃。仕掛ける四人は冷めた表情を作りながらも、妙に可笑しそうな顔をしていた。

「おい何だ? お前等寄ってたかって! 俺様は何も間違えてないだろぉ!」

「いーや、間違いだ。さぁ眞北、平伏せよ。お前の罪を数えろ」

「どうすればいい? タカさん」

「やれ、よっすぃー。俺もろともでも構わん!」

「おいやめろくすぐりだけはやめろ! でもやるならせめて香坂か藤森か鷺沢から――――」

「ごめんね、絶対やだ」

「ゲスめ。誰があんたなんかに触れるか」

 そんなこんなで戦犯・眞北和寿は、その昔、実際に咎人に行われていたという刑罰を、数十秒程受けることとなった。


「…………ふっ、ふふっ」

 誰もが期待した言葉を先に言われてしまい、涙も乾いてしまった千里。だが落涙した後だからか、それとも他の理由か、ここ数週間は感じていなかったすっきりした気分だ。

「はいはい! 皆、もう一回合わせよう! まだまだ時間あるよ!」

 だからこそ千里は、メンバーの滑稽な様子を見て素直に笑えたし、そしてリーダーとして諌める余裕も取り戻せた。


「けど、合わせる前に」

 だが、ただ楽器を弾くことだけが練習ではない。単に演奏して楽しかっただけの時間にする気は、最初から千里にはなかった。

「……ごめんね。実は皆には内緒にしてたんだけどね」

「?」

 その意味ありげな言葉に怪訝な顔をする5人を尻目に、千里は音楽室の隅に歩み寄り、本棚から何かを手にする。小さな箱のようなそれをケーブルで、自分のタブレット端末に接続しながら、皆に笑いかけるのだった。

「実は皆が来る前にこっそりカメラ仕込んでて、さっきの演奏を撮影してました。まずは皆でこれを見て、反省会をしましょう」

「ッ!?︎」

 皆がひとつになった意識。六人でひとつのモノを創り上げる高揚感。自分が世界の誰よりもカッコよく思える至高の快楽。『MAYA』という曲が齎した魔法が、千里の仕掛けた罠のせいで強制解除された。

 自分自身を撮影し、それを視聴して改善点を見つけることは、歌や踊りなど芸術を極めようとする者なら誰もが行っていることだ。しかし慣れていない者にはかなりの心的負担となる過程でもあり、そしてこれまでのPRAYSEが一切やってこなかったことだ。

 故に千里は、隠し撮りというなりふり構わない手段を使った。そして事後報告した後は速やかに、五人が明らかにいい顔をしていないのは一切無視して、動画を再生するのだった。

「……これはいいや、みんな伸び代があるね」

 改めて客観視すると、あちこちに粗が見えて聴こえて仕方がない。千里自身も自分の課題を探そうとするのだが、それ以上に他メンバーの課題ばかりが全面に出過ぎている。演奏中はほぼ良い感じにできていたように聴こえたが、あの時は幻影魔法でもかけられて、上手くいっていると思わされていただけかと凹みそうになる。

 そして、他の五人の受けた衝撃は、千里の比ではない。まぁ初めてならこんなもんじゃね、と楽観視しつつちゃんと見られていない奴。ふふん、流石俺様だと口にしつつも、理想とのギャップに絶望的な目の色をしている奴。私もキツいけどちゃんと見ようよと、どうにか真面目さを振り絞る奴に、そいつに促され一応は試聴するも、ストレスに耐えきれず顔面蒼白で思考停止している奴。そして、あぁもうあたし何も見えないし聞こえなーいと、完全に目を背けている奴。

 彼女等彼等が課題を見つけそれをクリア出来るのは、そもそも自分達の身の程に向き合えるのは、果たして何時になるのか。少しだけ深く、千里は溜息をついた。

「バンドとしてのステップアップは、まだまだ遠そうだね……ステップアップを望むなら、だけど」


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 練習時間が終わり、全員いそいそと防音室から撤退。その後部室に荷物を取りに行き、あとはもう帰るだけ。

 校門へと向かう六人の集団の最後尾を歩いていた美純は、何の気無しにスマートフォンでニュース記事を眺めていた。

「……えッ?」

 彼はある記事の見出しに驚いた表情を浮かべ、すぐさまページを開いた。文章量はさほど多くはなく、二度ほどスワイプするだけですぐ読めてしまう程度だったが、その内容は彼に薄寒い驚きを与えるものだった。

 そして美純が話しかけたのは、同性の眞北や喬松ではなく、リーダーの千里でもなく、会話していて一番幸せな相手である優子でもなく、たまにブラックな話題で談笑する程度には打ち解けている、絢だった。

「ときに鷺沢さん。この殺された奴等、前に鷺沢さんがレポートに書いてた奴等だったか……」

 美純が絢に見せた記事の内容は、二日前に発生したという殺人事件について。被害者は、SNS上で過激な言動を繰り返すインフルエンサーとして極一部では知られた人物と、その配偶者。事件現場であった自宅は荒らされ金品を奪われている様子で、犯人はまだ見つかっていないそうだ。

「まさか、な?」

「ははっ、まさかだろ」

 眉をひそめる美澄に、絢は乾いた笑みで答えた。


(終)

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