Episode:2 魔法はそこにある part.5

 夕飯を掻き込み、入浴し、学生としての義務である宿題は早々にやっつけ、自室のデスクトップパソコンを起動する。

開くアプリケーションは勿論、DAW……デジタル・オーディオ・ワークステーション。相応の値段と、そして使用者の音楽知識を要するため、一般的な家庭ではあまり見かけないものだ。それがどちらも揃った環境で生きてこられたことには、正直、感謝してはいる。先日、父親から受けた腹立たしい言葉については、今は黙殺しておいてやるとしよう。


「タイトルは……あ、まだ『無題①』のままだった。……ま、曲名は最後でいいや」

 千里は、アプリケーション内に保存されている、とあるファイルを開く。実は既に、メロディと簡単な伴奏は存在していたのだ。彼女のお気に入りの曲を参考に、暇な時に少しずつ、お遊び程度に作った程度のものだったが、これを流用……もとい、活用する。この作りかけの存在があったからこそ、一週間で曲を作ると豪語できたのだ。

 まだ誰にも披露していないファイルを再生し、最初から最後までの流れを確認。大丈夫だ、使える。千里好みの切なげなメロディだ。

現時点ではとりあえず、作曲はこれでよし。各パートの編曲に取り掛かるのは、もう少し先にするとしよう。


 続いて、歌の重要なもう一つの要素、作詞に移る。

 絢はメンバーの成果すべてにこだわらなくていいと言ったが、やはり六人全員の成果は大事にしたい。その成果がダイレクトに反映されるのが、曲の歌詞。それ故に、千里が特に力を入れたい部分だった。

 まず頭に浮かんだ情景は、優子が描いたイラストのうちのひとつ。彼女のお気に入りの曲をイメージしたそれは、異端審問により処刑されようとしている魔術師の青年の涙を描いたもの。改めて全員のレポートを精査した上で一番、千里の心を掴んだそのページを、今回はメインテーマにすることにした。

 さて、優子により描かれた彼の人物像だが、体系化された膨大な知識を備えた理屈屋だろうか。しかし攻撃的な魔法を使う激情家な一面もありそうだ。この辺りは、ゲームの魔法についてよく整理された喬松のレポートからイメージしたものだ。

 己の信念に基づき、時には魔法を使った犯罪行為、それこそ腐った権力者達の暗殺等にも手を染めてきたことだろう。しかし如何に超常的な力を有しようとも、国家という名のバケモノには抗えなかった……絢と美純が書いたブラックな内容は、こんな風にストーリーを想起させやすい気がする。

 あと、眞北の熱い想いの結果は……主人公の想い人が、非業の死を遂げた魔法少女だったという設定を匂わせる、とかでいいだろう。あくまで裏設定といった程度の扱いで。


 国語は千里が最も得意としている教科。これに限れば喬松を上回っている自信があるし、特別進学科の美純にも負けていない筈だ。

 さらに、家にある作詞関連の本で得た知識を加えれば、皆からの情報を元に一曲分を生み出すことは、十分に現実的な行為だ。

 だが気がつけば午前一時。今日のところは、作詞のプロットを作った程度で終わった。まぁ、初日でそこまで進めれば上出来だろう。


 二日目の放課後。

『ごめん、部室には行けません。今、自宅にいます』

 それだけをメッセンジャーアプリのグループルームに書き込み、後は曲が完成するまで、メンバー達からの返信は一切スルーする。たとえ『いきなり自分語りか?』だの、『この街には地下鉄作る予定も予算も需要もたぶん無い』だの言われようが、今は少しだけ、知らないふりをする。


 三日目、四日目は宿題に時間を取られる。丸写しできる暗記教科とは異なり、答えを調べにくい数学と物理は、特に厄介だ。歌作りにかけたい時間は、鉛筆を走らせ消しゴムを擦り付ける分だけ、削られていく。

 ようやく確保できた歌詞作りの時間も、少し進んでは振り返り、アレが気になるコレが駄目と後戻り、そういった試行錯誤の繰り返し。たった一行、たった一言の言葉に、かなりの時間を取られる。

 しかしてどうにか五日目の午前二時に、ようやく歌詞が完成。鼻歌程度に口に出して歌ってみれば、主旋律へのシンクロ具合は上々だ。流石に音声合成ソフトに歌わせている暇は無さそうだけれども。


 目覚めれば六日目の土曜、午前十一時。予定より寝過ごしてしまったが、残念ながら時は戻せない。月曜提出の宿題は早々に、ほぼ形だけ処理するも、気付けば午後三時前。

 最低限の睡眠時間も考慮すれば残り三十六時間程度で、曲作りの最後の段階、編曲を完了させねばならない。

 順番はバンドスコア内で、より下に記入されているパートから。ドラム、ベース、キーボード、リズムギター、そしてリードギターといった具合だ。コード進行とヴォーカルは既にあるし、キーボードはストリングスとピアノのふたつの音色が欲しいので、最低六パートを作る必要がある。

 まずは、主旋律のイメージ元になったお気に入り曲をはじめ、家の中にあるバンドスコアを色々掻き集め、編曲の参考になりそうな曲を探す。自室にあるお気に入りの曲だけでなく、留守にしている父親の部屋からも、こっそり洋楽のものも拝借する。

 さて、編曲にあたってはまず、基本方針を明確にしなければならない。最初は管弦楽のパートをふんだんに取り入れた、荘厳で壮大な雰囲気のアレンジを考えたのだが、それだとヴォーカルとキーボード以外の見せ場が不足するだろう。何より、PRAYSEのレベルを考慮すると、あまり複雑にしてはならない。

 自分で弾くピアノパートや、調子こいている眞北のギターソロの難易度を高くしようかとも思ったが、やはり特定のパートだけ難しくすると、全体のバランスが悪くなりそうだ。

 やはり、全員がちゃんと弾けることを優先した構成がいいと判断し、極力シンプルなロッカーバラードを目指すことにした。テンポが速くない方が、ヴォーカルの絢も歌詞の一言一句を丁寧に歌いやすそうなメリットもある。


 繰り返しのフレーズならばコピー&ペーストも可能だが、基本的には、既存の曲を参考にリズムとメロディを考え出し、一音一音を打ち込み、その打ち込んだ音を繰り返し確認して調整していく、地道な作業。常に音楽に携わっている身分ではないから、こうした作業に決して慣れているワケでもない。あっという間に時間は過ぎ、お父さんが帰ってくる前に夕飯とお風呂済ませなさいという母親の声が聞こえてきた。中断されるのには少し苛立ちもあったが、とりあえずは従っておいた。

 だが土曜の二十一時頃、ドラムのパートを全部打ち込んだあたりで――――

「面白くなってきた……ッ」

――――千里は、ノった。

 曲というものは最低限、主旋律と伴奏と打楽器パートがあれば、曲っぽく聴こえてくるもの。ここまでを試聴してみて、自分は確かに前進している、曲を作っていると感じる。

 そこにとりあえずのベースパート、ルート音を中心とした極基本的なフレーズを加えてみると、更に曲らしくなる。打ち込めば打ち込むだけ、曲が出来上がりに近付いていくのを感じる。

「いける、大丈夫……私はウィザード、大魔導師、いいや賢者……」

 作詞作曲の仕方を全く知らない普通の人間からすれば、歌を作ることは極めて特殊な非日常的行為、それこそ呪文や召喚術式を組むにも等しいことではないだろうか。

 それに、仮に魔法が存在するならば、それはきっとこれまで千里が経てきたような地道な過程の先に、ようやく具現化するようなものなのだろう。

ならば、今の自分は魔導師も同然。自分より上は幾らでもいるだろうが、個人的な楽しみの範囲ならば、こうして調子こいてもいいではないか。

「ははふぅん……今の私は人間魔法陣……賢者の石と一体化した存在……」

 更に更に、身の程知らずであるのを通り越して、妄想が絶頂を迎えたかのような独り言が漏れ出す。こういった発言は眞北や美純の担当であり、普段の千里ならば呆れて逆に黙殺するところだが、そんな普段は今此処には存在しない。

 大地の栄養、清らかな水分、新鮮な酸素、燃えるような熱、……普段はありふれ過ぎて意識することのない、森羅万象の四大元素を取り込み、無から有を生み出さんとしている。

 人体に例えるなら打楽器は骨格、低音は筋肉。シンセサイザーは脳神経だろうか。リズムギターは内臓、リードギターは皮膚。さらに血液としての主旋律を流し込み、魂、或いは意志としての歌詞を吹き込んでいく、曲作りという行為。それこそ合成有機体、所謂ホムンクルスの類でも生み出せそうだ。いや、今の私なら何だって出来る。真理の扉のその先を垣間見た気さえする。もう何も怖くない――――


 日付でいえば月曜の午前三時。最後のピースであるアウトロのフレーズを入力、そしてその勢いのままに再生ボタンをクリック。己の成果のすべてを把握するために必要な五分間に浸る。

「――――いいッ!」

 デモ音源の全体像を聴き終えた瞬間、思わず口に出してガッツポーズ。所々荒い部分はあるが、実にエモーショナルな出来だ。千里もお気に入りの曲、そう、誰もが名前は聞いたことがあるに違いない有名ロックバンドが歌った、ドラマの主題歌を思わせる雰囲気に仕上がった……どうもその辺りに僅かな引っ掛かりが見えた気もするが、それよりも自らの力で曲を作り上げた喜びのおかげで、ほとんど気にならない状態だ。

「でもってタイトルは……MAGIA……AGONY……YIN&YANG……ARCHE……」

 そして忘れてはいけない最後の過程。このファイルの、この曲の名前をつけるという、最後の締め。

 千里が考えたのは、歌詞をメロディに当てる過程で、自然と頭に浮かんだ四つの言葉、その頭文字を繋ぎ合わせただけのもの。しかして、それは人名のようでもあり何処か古語のようにも聞こえるあたり、この方向性は正解に近いと、彼女は確信した。

「ふふ……これが私の魔法だッ……。五人の驚く未来が今から見える……ふふん…………」

 大いなる発見をした古の錬金術師もこうだったのだろうか、バンドをひとつ前進させることができた興奮で、今夜は眠れそうにない。

「……ん…………」

 しかしてその一方、身体の疲労は知らないうちに千里の脳を浸食していく。ベッドに入ることもなく、ふぅっと意識は途切れ、デスクに突っ伏してしまう。不意打ちの睡眠魔法でも受けたみたいに、千里の身体は随意的な動きを、やめた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 翌朝。

「……ぅ…………ぁ……」

 全身寒気がするくせに、顔面だけはぼんやりと熱い。腕も脚も錆びついたように重いし、喉の奥も焼かれるようだ。自信を持って言える、私は風邪をひいてしまった。

 こんな時こそ魔法、中でも代表的な治癒魔法の出番だと思った。だが残念ながらそれはこの世に存在しないし、そもそもまず今必要なのは、自分自身の状況を知るための体温計。そして、水分と氷枕と、何より休養だ。ありもしない魔法より遥かに、今の自分を楽にしてくれることは、間違いない。

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