Episode:2 魔法はそこにある part.4
「はぁ……マズかった、かなぁ」
広い学校の敷地の東の隅、電源ケーブルとかの点検でもなければ誰も足を踏み入れないような校舎の裏側で、千里は壁にもたれ掛かっていた。
全力で走ったことで幾分ストレスが和らいだのだろう、荒い呼吸が治まるのと同時に、パニック状態に陥っていた心は幾分冷静な思考を取り戻している。
スマートフォンを確認すると、たぶんあれから十五分以上経過しているだろうか。皆、特に絢あたりは、自分を探している頃だろうか。それこそ逃げ出した時に、彼女の大声が聞こえたような気がするし。
さて、これからどうする。このまま帰宅しようにも鞄は部室だから、戻らないワケにはいかない。だが留守番を命じられたメンバーの誰かと顔を合わせることになるだろう。その時、どんな顔をして、何を言えばいいのか。自分が一番ダメなレポートだと思い知らせて感情的になりましたごめんなさいと正直に話せばいいのか、それとももっと笑い話にできそうな話をすればいいのか、逃げ出した時とは別の意味で混乱してしまいそうなのだが――――
「あ、いた」
「ッ!?︎」
自分に向けられた、だが今はまだお呼びでない声。心臓が垂直飛びして喉から転び出そうな勢いでビクッとなるも、恐る恐る振り返ると、そこにはよく知った顔があった。
「ビビるなって。真面目なあんただから、隠れ場所とかそんなに知らないと思ったけど……ま、チサトにしては結構頑張った方かな?」
「……っ」
「大丈夫。ウチら二人だけ。ズンビッパ共には部室にて無期限待機命令出しといた」
「……」
昔馴染みらしく軽口を叩く絢。その背後から、一回り背の高い優子が顔を覗かせる。
「はい、ちーちゃんの鞄ね」
突然逃げ出した手前、部室に戻るのは難しいだろうと考えてくれたのだろう、気配り上手な優子の判断だ。そして優子も絢も鞄を持って、いつでも下校できる体勢だ。男子三人を置き去りにして。
とりあえず移動しようよと優子に促され、女子三人は自販機コーナーに移動する。それぞれドリンクを購入し、古びた木製のベンチに腰掛ける。
「まぁ、アレだ。話したいことがあったら何でも話しなよ。言いたくないことは別にいいから」
「遠慮しなくていいからね、ちーちゃんの気持ちが楽になれること優先で、ね」
「うん……」
辛い時に、友と言っていい相手からやさしい言葉をかけられると、涙腺が緩んでくるもの。
落涙は流水が澱みを洗い浄化するように、もやもやしていた心を言語化し、声帯を振動させるよう働きかけるのだが……千里の涙は更に涙を呼んだ。囁きは唸りとなり、やがて叫びを含んだ醜い嗚咽へと変貌を遂げた。
「そうだね……何から話そうか……ってかさ、皆、ズルいよ。あんたら…………ゼータクなんだよ」
ともかく、千里のグチャグチャな打ち明け話は、まずはメンバーに対する嫉妬心の吐露からだった。
絢は顔立ち自体は綺麗な部類だし、優子も一定層に受けが良さそうな容姿だし、同じ女子として内心、一緒にいると劣等感に苛まされるとか。
成績だって、特別進学科の美純はともかく、勉学には不真面目な態度の喬松にすら負けてしまっているとか。
何より、一番腹が立つのが眞北。勉強はできないが声が大きく行動力があり、自然と人を従わせているあたりが、狡くて仕方がないとか。
そんな皆に囲まれている自分は、今回のオリジナル曲で手柄を立てられなければ何の意味もないことや、その前段階の文献調査で躓いてしまい、感情的になってしまったことを、正直に話した。心配をかけたことへの謝罪も込めて、だ。
それから、親との不仲についても、ふたりには初めて本格的にぶちまけた。先日の親子喧嘩、更には自分の父親をクソ親父呼ばわりした上、できるならそのクソ親父の顔面をぶん殴って怪我させて、翌日職場内でその顔どうしたんですかと心配されるという生き恥を与えてやりたい、……そんな恨み嘆きもストレートに告白した。
「……すごいね。バラエティ番組の過酷なロケで芸人さんが見せるようなさ、あんなクシャクシャな泣き顔って本当にあるんだね」
「あー。あたし将来、絶対チサトと酒飲みたくないわぁ。延々愚痴聞かされるぞ絶対」
「だろうね、うん。っていうか、結構わたしたちにセクハラみたいなこと当たり前に言ってたよね。ちーちゃんにこんな一面があったなんて……」
「実を言うと結構ムッツリではある、うん」
最早、顔芸と言っていい号泣ぶりを披露する千里を前に、ふたりはただ、引き攣った笑みを浮かべるしかできない。
とはいえ、自分達を信頼して、千里が溜めていた思いを打ち明けてくれたのだ。軽んじることがあってはならない。
絢は少し考えた後、隣の優子にあたしに任せてと目配せし、千里に話しかける。
「えーっと、じゃあちょっとチサトには耳の痛いかもしれないこと話すけど、いいね?」
「……うん」
「まずは所々間違ってるかもだけど、あんたの話をまとめると、だ。あんたは親を見返すためにオリジナル曲作りを計画した。だけど記念すべき最初の曲は、メンバー全員で協力して作りたくて、まずはそれぞれのレポート作りを提案した――――」
「うん、そう……」
「――――っていうのは、実は建前」
「ッ!?」
「あんたはリーダーとして、皆が曲作りに関わるやり方を提案したけど……本当は、自分ひとりで好き勝手に曲作りしたかった。だけどリーダーらしく、形の上では全員が曲作りに関わった風になるように、テーマに沿ったレポート作りなんて提案してはみた。けど、ちゃんとしたレポートを作れるのは自分だけ、ウチら五人はたぶん大したモノ作らないだろうって思ってた。そんで最終的には、自分の好きなように曲を作れると思ってた」
「…………」
「それなのに、まさかウチら五人がちゃんと、あんたの想像以上のレポート作ってきちゃったから、あんたのプライドは傷付けられちまった。あまりの屈辱にその場にいられなくて、カッとなって部室から逃げ出した。……そういうこと、だよね?」
「…………ッ」
違うそうじゃない、とは反論できなかった。心の何処かでメンバーを信頼せず、見下してすらいたのではないかという絢の推測を、否定する自信はとてもなかった。
図書館から借りてきた本に書いてあった。確かソロモン王とかいう賢者が使役したという悪魔の中には、他人の心を読める者がいたという記述があったような気がする。そんなことを思い出すくらい、絢の言葉は魔法でも使ったかのように、核心を突いていると感じる。
「…………そうかも、しれない」
深いため息と共に、図星だったと認める。引っ叩かれても仕方ないなという小さな覚悟と、少しだけ気持ちが軽くなったような感覚が心を過った。
「でもでも、信用されてなかったわたし達も問題だったんじゃないのかな。だからちーちゃんに気負わせちゃったんじゃぁ……」
うなだれる千里を思いやってか、優子がフォローを入れるが、それを絢は遮る。何故だか妙に、余裕ぶった笑顔を込めて。
「ユーコ、大丈夫。わかってる。チサトの事は悪いって思ってない。全然、悪いなんて思ってないッ」
「え?」
「チサト、いいんだよそれで。あんたの好きなように作るのが一番いい。あたしが誰にも文句言わせない! あんたには好き勝手やる権利が大ありだよッ! つーかリーダーならッ、曲作ったぞどーだ凄ェだろーって自慢してさ、さぁ練習だぁーって命令するくらいで丁度よくない?」
千里がきょとんとするのも無理はないくらい、それは予想外の答え。好きにしろと言いつつ放任はせず、好きにすることを保障してくれている言動だ。
それでもなお、リーダーという立場を意識しての癖が出てしまい、でも皆の調べた成果を大事にしなきゃいけないし、最初の曲はそうしなくちゃいけないしと千里は反論するも、絢は揺るがない。
「無視していいじゃん! 気に入らなきゃ! だいたい曲を作るのがあんたなら、当然、レポートを曲に反映するかしないか決めるのもあんた次第なんだよ。つーかさ、あたしのみたいな死ね死ね殺すな内容だって、チサトが気に入らなきゃ盛り込まなくても……あ、でもやっぱちょっとは入れて欲しいかもだけどとか思ったり……うん」
ヒートアップして話すスピードが加速していくも、リーダーを立てようと必死な絢の様子に、優子も安心し、そして自分も千里に笑いかける。
「そうだよ、あやちゃんの言う通りだよ。それにね、全員ちゃんとレポート作ったのも、結局はちーちゃんのおかげだと思うよ。わたしだって正直、ちーちゃんに怒られたくなかったし。男子だって……螢くんはともかく、こう言っちゃ悪いけど、あの眞北くんに喬松くんがちゃんと作り上げてきたのって、やっぱりちーちゃんが目を光らせてたからじゃないかな。結果、全員きちっとやってきたことって、リーダーとしての立派な成果じゃないのかな」
身振り手振りも含めて、ふたりは随分と、こちらの重荷を取り去ろうと本気な様子だ。そんなふたりを前にして、ありがとう、と呟く千里。その顔には、微笑みが戻っていた。
「……よし、決めたっ」
買ったはいいが口をつけていないままのSサイズのドリンクをぐいと飲み干し、自分の両頬をぱしっと叩き、千里は立ち上がる。その様子に絢も優子も安心する。だが。
「一週間ッ! 一週間で曲を書くッ!」
「エェー!?」
ふたりのその安心は、千里の自信満々の宣言にあっさり踏み潰された。
「考え直せチサト! 今ならウチ等しか聞いてないっ、聞かなかったことにしてやる! だから落ち着いて計画を見直すんだっ!」
「そうだよ! あ、ちーちゃんを信じてないとかじゃないんだよ。だけど一週間って短すぎじゃないかな?」
多少音楽に触れ、演奏に四苦八苦する経験があったからこそ、曲作りとは難しいものだというイメージは、絢も優子も抱いていた。その上、文字通り学生としての勉めを強いられる身分である以上、一日の中で曲作りに専念できる時間なんて、想像以上に限られているはずだ。
だが、そんな常識的な感覚による意見は、目標を明確に抱いたせいでハイになってしまった人間には、あまり通用しない。
「大丈夫! 作りたい曲の何となくのカタチは頭にあるからッ! それに下手に期間を長くする方が書けない気がするッ!」
つい数分前の酷い泣き顔はどこへ行ったのか。千里は笑顔で立ち上がり、鞄を肩にかける。
「じゃ、私帰って早速曲作りに入るね! これから一週間、放課後はすぐ帰って曲作りに専念するから。よっぽどのことがない限り、部室には来ないから! じゃあね、ふたりともありがとっ!」
お、おぅ……、じゃぁ、ね……、そんな呆れた返事のふたりは、完全に千里に置いてけぼりにされた。
「ちーちゃんってさ、何かスイッチ入ると、あんな感じになっちゃうタイプなの?」
「あー。中学の時、二回くらいこんなことがあったっけ」
「二回……」
「だけどあぁなった千里は、きっちり仕事するよ。ま、いつもきっちり仕事するんだけど」
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