Episode:2 魔法はそこにある part.2

 ――――眠い。

 気を抜いてしまうと頭が、瞼が、垂直落下しそうだ。

 時刻はちょうど、火曜から水曜に変わったあたり。日々の宿題を終えてなお学習机に向き合っているのだから、睡魔に屈するのもやむを得ないだろう。

「…………」

 幾度も去来する『つまんない』という言葉を、言いかけては噛み殺す。本の記述を可能な限り理解しようとし、概要をメモするためにペンを握り、まとめるためにキーボードを叩く、ひたすらその繰り返しだ。


 何かを新しく学ぶためには、それこそ魔法なんていう今まで深く考えたことのないものを学ぶためには、まず教材となる資料が必要だ。

 現代社会においては、まず情報源として思いつくのはネット検索だろう。だが、千里が資料として選んだのは、書籍。出版社が利益を得るために、本というかたちで世に出す以上、例えば内容の精査や編集へのこだわりなど、制作した側の本気ぶりはネットの比ではないと判断したからだ。

 机の上にはノートパソコンとルーズリーフ、ペンが数本、そして本が四冊。県立図書館に市立図書館を巡る中で、魔法を深く知ることができそうな内容だと判断したもの。それらの資料を持ち帰り熟読し、内容をまとめていく。大学の論文作成でも基本となる、文献調査というものだ。


「……えーっと、何だったっけ。あぁそうだった、魔術書だ、ソロモン王の。ゴエティア、魔術書、……」

 傍から見れば、高校受験前にも匹敵する熱心な文献調査。だがその熱とは裏腹に、知識として脳内に蓄積される実感には、乏しい。

 どの本も、一日で読破するのは不可能といってよいページ数だし、横書きに並んだ活字のフォントも小さい。何だか本そのものに睡眠の魔力が込められているような気がするし、こうした眠りを誘う本を作ること、それを読ませること自体が、睡眠魔法の正体ではないかとさえ思える。いかに真面目な千里といえども、三ページ前で解説されていた記述すらすぐに忘れてしまいそうなくらいだ。

「日常とか恋愛とかについて歌詞書くのって、すごく楽なことに思えてきた。いや実際は歌詞書くこと自体が難しいんだけど。何なのもう、魔法ってさぁ……」

 現在、世間で流行しているような、スタイルも歌詞もファッションも等身大な雰囲気の音楽に物足りなさを感じていた者達……それこそ四半世紀程前に流行した、いわゆるヴィジュアル系とされる音楽を好む高校一年生達が、奇跡的に集まって結成されたのがPRAYSEだ。

 だが、非日常な世界観の音楽を作るために、テーマとして定めた『魔法』という概念を追究すること。それはあまりに難しいという現実に、今、千里は直面していた。

 だいたい魔法というものは、この世に存在しないとされており、千里自身も、その存在を実感するような不思議な経験は皆無。せいぜい御伽噺とかの世界にありがちな概念だとしか感じていない。

 それ故に、いくら魔術の歴史とか悪魔の召喚術、或いは儀式とかの話を小難しく論じられても、そんなのあるわけないじゃないという常識が、内容の理解を片端から拒絶してしまう。

 理解できたことといえば、『魔法はかつて学問として、幾人もの人間によって本気で研究されていた概念である』、くらいの話だ。

「くっ……だけど……ッ」

 だからといって、学びの手を止めるという選択肢は、千里にはない。これは他ならぬ自身で決めた目標、それを達成するための最初の過程。

他の五人を当てにしてはいられない。オリジナル曲作成計画のメインコンポーザーを買って出た千里自身が一番、本気で向き合わねばならないこと。メンバー内でいえば音楽しか取り柄のない自分が、必ず成し遂げねばならないことだ。

「やろう、もう少しだけ…………絶対やってやるッ」

 退屈さも眠気も、研究の大敵。自分を奮い立たせるために、千里は嫌な記憶を自ら思い出す。数日前に身内から受けた、あまりに腹立たしい言葉を。それこそ相手の心を蝕む魔法にも等しい、立ち向かわねばならない呪いの言葉を。そして、だらけきったバンドに喝を入れるが如く、オリジナル曲を作ろうと提案したその理由を。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 音楽の道を歩みたい人間にとって、藤守千里の家庭環境は魅力的に見えることだろう。

 父は地元FM局の重役。ラジオとは切っても切り離せない音楽には、ジャンルを問わず非常に詳しい。また自身もプロに匹敵するギターの腕前を持つ他、打楽器の心得もある。母は地元管弦楽団の中心メンバーで、ヴァイオリン講師も務めている。

 郊外の一戸建にはピアノからギターからドラムセットから、様々な楽器が揃っており、防音室も備えている。両親の職業柄、県内外の音楽関係者に顔も利くため、地方出身としては、これ以上ない程に音楽に恵まれた環境だ。現に三歳年上の兄は今年、狭き門である都会の国立芸術大学音楽科に進学した。

 千里もまた、小学校のときからピアノにヴァイオリンを経験してきたし、中学入学祝いには入門用のシンセサイザーをプレゼントされたし、吹奏楽部に入部した時も、学校の備品とは別に家庭での練習用にアルトサックスを買い与えられたくらいだ。

 しかし千里は兄とは違い、音楽の才能は平凡なものだった。元々両親は音楽に対しては厳しかったのだが、なまじ兄が優秀に育ったせいか、千里はどの楽器を習っても、ふたりから全く褒められたためしがなかった。コンテストに出場しても入賞することもなかったし、中学で所属していた吹奏楽部も、誇れるような実績を残すこともなかった。

 そのせいだろうか、周囲からは何事にも生真面目だと思われている千里には、実は音楽にストイックに取り組む意識は、あまり育っていなかった。音楽そのものは好きなのだが、むしろ習い事や部活動といった堅苦しく厳しいものとしてより、気に入った曲をシンセサイザーでコピーしてみたり、スマートフォンアプリやゲームセンターの音楽ゲームで遊ぶといったかたちで、音楽に関わる方が好きだった。

 そうした音楽への接し方が気に入らなかったのだろうか、両親は千里に、期待することを止めた。高校では音楽関係の部活動に入りたくないと告げた時も、勉強をちゃんとするなら別に構わないと、あっさりと返されただけだった。

 以降、それなりに真面目に勉強している素振りを見せていれば、特に何も言われなかった。おはようや、いただきますといった挨拶以外の会話も激減した。

 そうした関係になった親に対しては当然、夏の初めにバンド・PRAYSEを結成したことなど、匂わせることもしなかった。


 だが、とある秋の木曜、自宅での夕食時のこと。それまでの冷め切った親子関係が、更に悪い方向に加速する事態が発生した。

「お前、バンド組んだのか?」

 きっかけは突然の、父からの問い。PRAYSEの事は黙っていた筈なのに何処でバレたのか、それはどうでもいい。どうせ母の生徒のその身内とかから伝わった情報だろう。

それよりも、父の口調も、母の視線も、自分がバンドを組んでいるのが歓迎されていない様子なのが問題だ。

 とはいえ、バレた以上は隠しても仕方ないと判断し、手短に概要を話した。すると父は、メンバーの音楽歴やバンドの活動状況をあれこれ問い詰めた後、こう言った。

「そうか。お前は素人相手に、音楽知識をひけらかしてボス猿気取りでいるんだな」

 更には、先月の学園祭のことを話題に出し、千里たちがステージに出演できなかったことを知ると、

「お前等は何の為に集まったんだ? 思い出作りのライブごときにすら出られないザマで? 勉強するでもなく、無駄な時間を過ごす為か?」

 と、嘲笑混じりに言い放った。

「…………けんな……」

「ん?」

「ッざけんな糞がッ!」

 千里は激怒した。今まで受けてきたキツい態度への不満から、仲間をストレートに侮辱されたことまで、それこそポップス一曲分程度の時間は喚き散らし、暴れながら二階の自室へ逃げ出した。当然、娘からの暴言に父親は怒るも、流石にこんな事態はよくないと感じた母親の宥めにより、部屋まで千里を追いかけてくることはなかった。


 大喧嘩した日の翌日以降、母親とは最低限の返事はするも、父親とは今でも尚、顔も合わせていない。父親は父親で、顔を合わせづらいと思っているのかもしれないが、何より千里が父親を、いや家族を避けているからだった。

 しかし時間経過と共に、幾らか自分を振り返られる心理状態になって、千里は思った。確かに、今のPRAYSEは、バンドの体を成しているだけで、何も持っていない。

 別に父親の言うことも一理あるとは思っていない。ただ、『ある目標に向けて、今、こうした取り組みを行っている』というような、外部からの物言いに対して効果的な反論となる材料が、ほぼ皆無なのは事実だ。だからあの時の千里の反論は、単なる子供のワガママと捉えられかねないものでもあった。

 ならば、具体的な行動をとってやろうと考えた。それも、一応は何度かやってきた既存曲のコピーより、遥かにバンド活動をしていると主張できる行動を。

 あれこれ考えた結果、オリジナル曲を作り、自分達で演奏しようというプランを立てた。仮にも自分達はバンド活動をやっていると自信を持って主張できるようになるためには、これしかないと千里は考えたのだった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 学生としての本分が大多数を占める日常のルーチンに、魔法の研究という少し非日常な要素を盛り込んでいった。何度も何度も躓きながらも、父親への怒りを思い出し己を鼓舞しながら、彼女は魔法について学んでいった。そんな一日が火曜、水曜、木曜、……と続き、そして七日目の日曜深夜に、ようやく終わった。

「二十頁……か……」

 その成果はというと、理科や社会のような知識科目を勉強するときのような、自学自習ノート作成とそう変わらないものだった。

「おわっ、た……」

 だが、自分の成果を批判的に見られる余裕など、あるはずがない。とにかく千里は疲れてしまっていた。そして、ひとまず完成したことにただ安堵していた。自分はちゃんと調べた。少なくとも人並み以上に真っ当に、魔法という概念と向き合った筈だ。五人の誰からも非難される謂れは無い筈だ。いや、これ以上の成果は誰も上げられていない、筈だ。

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