Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.7
狭い部室が、驚きに包まれた。その理由は、絢の思い付きがあまりに衝撃的な内容だったからだ。
内容は単純明快。来週の練習日に一曲、ぜひ皆でやりたい曲がある、ただそれだけ。だが、その一曲が問題だったのだ。
それは六人が生まれるより昔のこと。とある有名な音楽番組で、とあるロックバンドの曲が演奏された。その曲は、地上波のゴールデンタイムで放送するにはあまりに過激な歌詞や曲調だった。それに加え、番組ではゾンビ風にメイクを施されたダンサーを起用する等、ホラー映画じみた演出が問題視され、子育て世代からの苦情が殺到したという。
そんな曰く付きの『問題作』を、自分達でコピーしてみようというのだ。
絢は昨日のうちに、千里に必死で頭を下げた。常識人の千里は非常識だと釘を刺しながらも、いつもとは違い随分と下手に出る絢の様子を、可愛いと思ってしまった。最終的に、メンバーの同意があればやってみようという方針を示してくれたのだった。
ここまで来れば、絢にとっては内定したも同然。全員驚きはするだろうが、激しい曲が好きな眞北は必ず乗ってくるだろうし、これまでの経緯から多分、美純も暴れたいだろう。後は、大人しく付いて来るタイプの優子に喬松が反対しなければOKだ。
「気に入ったァッー! 俺様は大賛成だぜェ〜!」
「不安はあるが……御意」
「ま、まぁちょっとだけ、試しにやってみるくらいなら、いいかな……?」
「マジっすか絢さんよぉ〜。オレどうなっても知らねぇぜ?」
四人の回答はほぼ、絢の想定したとおり。どうしようもないくらい我儘な絢の提案は、こうして一応、全会一致で受け入れられたのだった。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
迎えた月曜夕方の練習時間。言い出しっぺの絢も含め、皆、何処か緊張した様子で準備を行っていく。
千里はいつもと違い、小さい頃に父親から譲ってもらったエレキギターで参加する。ジャズベースを思わせる形状とカラーの、一見定番なようで独特なルックスだ。折角ギターパートが三つあるし、キーボードよりも暴れやすいだろうからという、絢からの希望だった。
接続やチューニングは程なくして完了したが、しかしいきなり演奏に移れるわけではない。これからやるのは、演奏し慣れた曲、音作りがはっきりしている曲ではない。初めて合わせる上、しかも個別の練習時間が僅か二日だった曲だ。故に、どういった音作りがいいのかを考え、調整する時間が必要なのだ。
個人練習では、これでいいやと思っていた設定であっても、いざ全員で合わせてみると不自然で気になる点が続出するもの。それらを明らかにするために、幾つか代表的なフレーズを、大幅にテンポを落として音合わせをし、改善点を見つけて調整、これを繰り返す。ギター二名はアンプだけでなくマルチエフェクターもあるため、この調整には結構な時間がかかる。気付けば準備開始から二十分を超えていた。
とはいえ、楽器隊が準備に時間を要したことが、言い出しっぺの絢にとってもプラスであった。叫びを多用し暴れ回る曲のため、発声練習や全身のウォーミングアップをじっくり行えるし、何より、精神状態を整える時間が取れたのが大きい。
カラオケでは何度か歌った経験があるものの、防音室内での生音で、ミニライブに近いかたちでこの曲を歌うのは初めて。しかも放送禁止を喰らっても仕方のない問題作だ。他の曲の何倍も緊張する。
だが、皆、自分の我儘に乗っかり、ここまで腐心してくれている。絢は、心が燃えるのを感じた。ならば此方も本気で叫ばねば、無作法というもの。
調整を取り仕切るリーダー千里が、OKのサインを出す。絢も、メンバーも、待ち侘びたという気持ちと、もう始まるのかよという気持ちが同居した奇妙な感覚の中、時は来た。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
始まりは、病に苦しむかのような絢の喘ぎ声。差し込まれる歪んだギター、徐々に大きくなるリズム隊の刻みに伴い、気狂いの見本が如く嗤い転げる。
「××××××〜!」
汚い高音を吐き出す。此処からが曲本番。後はもう、悪意と衝動だけ。ダーティーでダークな言葉を、暴力的衝動の赴くままに唸り絶叫する。絶叫する。絶叫する。理屈や正論の一切を拒絶する、高濃度高純度の暴力的なエゴイズムで、己を支配する。そもそもの発端である、黒王夏来の不実さに対する怒り。その感情から派生して、これまでに絢を貶めてきた教師やクラスメイト、はたまた暴言だらけの政治家やコメンテーター等、生かしてはおけぬ者共への殺意。更には、自分が死ぬほど嫌いなモノを誰にも理解してもらえない疎外感まで。ありとあらゆる負の感情を、叫びと嘆きと、偶に馬鹿嗤いとして、あますことなく曝け出す。
少しだけ合唱をしていた以外に、絢はしっかりとしたボイストレーニングは受けていない。事前にネットの講習動画を一通り視聴し、自分でも練習はした。しかしてそれははっきり言って、未熟な発声。喉に負担がかかっている。だが技術不足など、今の絢には瑣末なこと。彼女はこの上なく、忘我の極地に入っていた。理性なんて、楽器隊のリズムを把握し、原曲を意識する最小限しか残っていない。
一方、絢の狂乱を支える楽器隊5人。曲そのものはどのパートもシンプルな編曲。細かい部分を簡略化すれば、初心者でも土日でとりあえず形にはなる。
だが、そのBPMは一五〇。しかも十六分音符で突っ走るフレーズが多用されるため、体力の負担は非常に大きい。
通常ならば、まずテンポを落として練習するのが定石だが、今回は絢が暴れたいが為の特別な時間。理屈は抜きに、通し演奏はオリジナルのテンポでやるべきだと、皆が判断、いや、絢に忖度していた。……その結果は、あまりに乱暴で稚拙、滅茶苦茶だと分かるアンサンブルだった。
オリジナルよりかなり簡略化してなお、体力的に最も負担が大きい喬松。高速のオルタネイトピッキングで右腕が痛くなる美純。常に裏拍を意識したカッティングを強いられる優子。他と比べてリズムが独特、かつ一番目立つフレーズの眞北。四人のパートは明らかに、リズムが合っていなかった。
ここでただ一人、電子メトロノームどおりに演奏できていた千里だけが、リズムのズレに気付いていた。しかしながら彼女の判断は、このまま演奏を続行。絢をはじめ全員の表情を見て、士気を下げないことを優先したのだ。
結局、少し一息つけるスローテンポな間奏部分を境に、ようやく皆のリズムが一致。イントロフレーズの繰り返し以降は、所々にミスがありつつも、演奏の精度はぐっと向上。誰も高揚感を崩さぬまま、ヴォーカルの狂気を曲の最終盤まで送り届けられたのだった。
「僕、が、………………る……」
アンプから鳴り響いたままのノイズに、廃人にでもなったかのような絢の囁き。それが、曲の終わりを告げる合図。
こうして、MW高校の歴史の中でも、此処まで暴走した演奏はされなかったであろう五分強が、ひとまず終了した。
全く上手くいかなかったとか、しかし意外と熱狂できたとか、そんな気持ちの問題以前に、全員、酷く疲れた顔を浮かべた。防音室は飲食禁止のため、誰からともなく少しだけ部室に戻り、一時休憩をすることになった。
水分や糖分を補給する皆の口数は、少ない。六人の中でも特におしゃべりな眞北さえ、流石俺様達だったな、と一言破顔っただけであった。
「よし、戻ろっか。次はライブバージョンで!」
五分足らずのお時間が経過したとき、絢がぽんっ、と手を叩く。勘が鋭い者も、察しの鈍い者も、全員が彼女の表情を見て、確信を抱いた。この鷺沢絢という女は、まだ叫び足りない、暴れたりないぞ、と。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「あのさぁ眞北。あの曲のイントロ弾ける? ライブバージョンといえば、アレでしょ」
「……ほう、なーるほどな。俺様に任せておけっ!」
二回目の合わせの直前、絢が眞北にリクエストしたのは、これからある曲のイントロ、同じバンドによる全く別の曲の導入部を弾いてほしいというものだ。
すぐにその理由を察した眞北は、他の者に説明することもなく、速やかにイントロにを奏で始める。歪みを抑えた澄んだ高音のフレーズであり、先程までの『問題作』とは全く異なる、確かに別の曲、だったのだが。
「ばぁ〜か!」
突如、放たれたのは絢の罵倒。直後、眞北がディストーションをかまし、一心不乱にエレキを掻き鳴らす。
「うぉ〜い! ばぁ〜っかァ!」
脳内にしか存在しない観客席を、絢は挑発する。展開を察した眞北以外の楽器隊もふたりに続く。そして喬松のカウントで、元々の『問題作』、二度目の演奏が開始された。
ポップでメロディアスな曲をやるぞと思わせて、いきなり狂ったナンバーに舵を切る展開。かつて、O府の史跡近くにある大規模コンサートホールにて演奏された、『問題作』のライブバージョン、それを意識した演出だった。
要領が分かってくる二回目は、実質的なぶっつけ本番だった一回目よりも、楽器隊は安定していた。だが勿論、このまますんなりと終わるワケがない。この曲のライブでの真価は、原曲の終盤にあるのだ。
「おい……分かってんだろうけど、あたしが良いって言うまで止まるんじゃねぇぞ」
ドスを効かせた声で、絢はメンバーを脅迫する。ひたすら暴れるのが目的といってよいこの曲は、本家バンドのライブにおいては、大サビの部分を延々と繰り返すのが定番。観客席を巻き添えにしたコール&レスポンスだけで、時に二十分にも渡るほどだ。
繰り返される中での間奏においても、絢は止まることはない。彼女は今、満員の観客席を見ているのだ。故に彼女は、執拗に挑発する。かかってこい。うぉれのトコまで来い。男は皆キレて来い。女ぁ頭ブッ飛ばして来い。おいテメェ等全ッ然聴こえねぇぞ。あ〜、だりぃ疲れた。……先程の通し演奏以上に、やりたい放題。かれこれ三分、ひたすら大サビだけを繰り返させるのだった。
「さてと、折角の機会だし……ふふっ」
ふと、絢は突然マイクスタンドから離れ、左後ろの千里の肩をぽん、と叩いた。
「おいチサトぉ! 次、お前やれ」
「はぁ? 何それイミ分かんない」
「今なんだよ! 今ここで、あんたの怒りのロケットランチャーぶっ放すんだよっ」
この女は自分に代わって、大サビのフレーズを私に叫ばせようとしている! ……絢の悪辣な表情を前に、逃げ道は無いと千里は思った。一番の仲良しといえる存在の期待を無碍にできない程度には、千里はお人好しで押しに弱い性格なのだ。
喉を傷めないギリギリのラインで、不慣れなエッジボイスを発声。絢に比べれば明らかに迫力不足だと感じるし、やはりこれは絢の役目だと、千里は実感する。
だがそんな千里のレアな場面は、絢には嬉しく映ったようだ。
「愛は感じた」
「一体何への愛なの? まったくもう」
「あたしへの愛」
「あのさ。この曲に愛なんて、いる?」
「……うっさい」
揶揄うように千里に耳打ちする絢。逆に千里に、ごもっともなご意見で反撃され、急に気恥ずかしくなる。そして優子は目の保養だとニヤついている。
痴話喧嘩にも聞こえるやり取りを強制終了させるように、絢は次のターゲットを指名する。
「まぁいいや、次だ次! 美純ぃ〜? ぶちまけてぇんだろ、あぁ?」
「……いいのか?」
「構わん。殺せ」
内心、絢の命令にも優先して、確認しなければならない大事なことが美純にはあった。視線だけちらっと、右隣の優子に向けた。彼女はこくりと頷いた。覚悟は決まったようだ。
歌唱力も含めた音楽技術は、六人の中で最もビギナーな美純。その叫びは何の技術も見えない、ただ叫びたいから叫んでいるだけの、ある意味で根源的な叫びだった。
「気に入った。期待通り、あんただから出せる奈落が見えた」
「……どうも」
絢にしてみればかなりの賞賛に感謝する美純の声は、明らかに喉のどこかを傷めていた。咳払いも何度かした。一方で、僅かに優子に向けた表情は少し、何かをやり切ったような、照れくさそうな色合いだった。
「次ユーコ。あんたの中の夜叉が見たい。鬼女カーリーが見てみたい」
「ええっと、うん。螢くんもちーちゃんもやったことだし、ちょっとだけ、なら……」
流石にこの流れからして、このふたりだけで済むはずはないだろうと、優子は覚悟していた。趣味として聴くことはあったが、これまでカラオケですら激しい曲を歌った経験は皆無。不安の色は隠せなかったが、それでも彼女は、ギターを肩にかけたまま、マイクスタンドに向き合った。
その長身とは対照的に、女子三人の中では最も少女じみた声の優子。そんな彼女のやっとかっとの叫びからは、明らかな照れと、自分を捨てられない弱みが露骨に現れていた。
「声といい歌い方といい、いちいちあざといから何か腹立つ。けど実際可愛いから許す」
「……ははっ。えっと、褒められてる、のかな?」
まぁ苦手分野ならこんなものだろうという顔の優子。とりあえず、絢の怒りのツボに触れたのでなければ良し、と思うことにした。
「はい次、喬松」
「はぁ? ちょい待てって! オレが抜けていいワケぇ?」
弦楽器がひとり抜けるくらいは何ともないが、一時的にとはいえドラムが抜けるのは影響が大きい――――そんな言い訳で免除してもらおうという喬松の魂胆は、通用しなかった。
「聞こえんのか? あ?」
鬼監督もかくやと言わんばかりの剣幕に折れ、やれやれといった態度でドラムスローンから腰を上げ、マイクスタンドを握る。やるしかないと腹は括った。
体育の授業、或いは辞めてしまった社交ダンス部の活動の時のように、とりあえず気合が足りないとは言われない程度には、仕方なく叫んでやった。
「いいじゃん。喬松、お前意外と闇あるだろ」
「え、あぁ、そっすか。あざっす」
絢がやっつけ仕事の何処に感動を見出したのか、或いはただのお世辞だったのか、喬松には分からなかった様子。ただ、この暴走少女に腹の底を見抜かれた気恥ずかしさだけは、少なからずあったようだ。
「はいはーい! 最後俺様ァ!」
「お前はダメ」
「アィエエエー? 鷺沢! 鷺沢何で?」
「は? 理由言わなきゃダメ? わっかんないかなぁ〜」
「ぇぇ……ァッ……」
満を持して手を上げた眞北に対し、絢はまさかの拒否。そんな彼女に眞北は、何か小さくてかわいい奴ぶった、あからさまな嘘泣き。正直、齢十六の男子としては気色の悪い挙動だ。結局は呆れた他の四人が、眞北にもやらせてあげなよと促し、絢が折れるかたちとなった。
どこで鍛えてきたのか、それとも持って生まれた適正か。歌唱力はさほどでもない眞北だが、殊、デスヴォイスに限っていえば、絢よりも上手く発声できている。勉強もあまりせず、こうした系統の音楽を聴き込んでいるだけあり、再現度も自分より上だと絢は歯軋りする。
「ちっ。だからお前にやらせるのだけはイヤだったんだよ」
面子を潰された顔の絢。相手は何も悪くないため激昂はしないが、面白くない気持ちはどうにも隠せない。しかして眞北はそんな絢の悪態に傷付くでもなく、
「だが、ヴォーカルは鷺沢。お前だ」
と、すれ違いに笑った。
それに対して絢は照れの表情を一瞬浮かべ、己の両頬をぱちん、と叩く。自らが立ち位置の正面中央に戻り、マイクが拾わない程度の吐息で、まったくヤな奴だと微笑みを洩らすのだった。
頭がオカシイと言われても仕方ないような空間の中でも、リーダー千里は時間にしっかりと気を配っていた。許された時は僅か。首謀者の絢に、促しの声をかける。
「さぁ、最後は絢、責任持ってしっかり終わらせなさい」
「おっけ。お前等、とことんまで付き合って貰うからなッ!」
絢の挑発。叫ぶ眞北。頷く美純。やれやれという顔の優子と喬松。狂宴も、いよいよ大詰めだ。
冷房が作動している室内ながら、運動部にも届くかもしれないエネルギー消費。皆が一様に汗だく。腕やハンカチで何度も汗を拭いながらも、その音は止まらない。アンプは誰からともなくボリューム全開、ゲイン全開。所謂フルテン。結成から二か月も経っていない駆け出しのバンドは、この狭い空間に六色の音を思い切りぶちまけ、限りなく黒に近い色に染めていた。
「××××××××!」
延々と繰り返されてきた大サビの最後を告げる歌詞とアウトロ。そして締めは、
「ありがとうッッ!」
という、絢の渾身の謝意。シングルバージョンとは違い、ライブバージョンの最後を再現したものだ。
ただの練習に観客などいないのだが、少なくとも絢、そしてお調子者の眞北は、クソッタレな世界を圧倒してやったことへの賛美が脳内に響き渡っているような、満足げな顔をしていた。絢は持ってもいない飲料水のペットボトルをぶんなげ、眞北はマイクスタンドを放り投げる……真似をしていた。
どのサークルにも平等に割り当てられた、防音室使用時間。そのラスト五分は必ず、撤収の時間とされている。
この日のPRAYSEは誰もがあまりにも無口だった。しかして、誰の顔にも不満の色は、陰ってすらいない。
午後七時。尚も殆ど口を開かないままの六人は部室へと戻る。照明の灯された校舎内は、少し不自然なくらいに静まり返っていた。
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