Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.6

 ひとりでちゃんとケリを付けるからと、親友には伝えた。不安と恥ずかしさに耐えながら、慣れない他所の教室にひとりで乗り込み、憎悪しかない相手を引き摺り出し、謝罪を求めた。

「おいおい、熱くなんなよ。悪かったって〜。ほんの冗談だったんだよォ」

 その結果得られたのは、まるで罪悪感を抱いていない奴の常套句だった。

 酷くがっかりな気分になった反面、若干安心してもいた。ある意味、想定内。こいつの反省なんてそんなものだと、最初から覚悟していたからだ。


「オマエさぁ。美純に話したこと、あたしの親にも言える?」

「へ?」

「言えるんだったら、オマエはあたしの親でさえ見下す人間だってことだ。言えないんだったら、自分より弱い立場の人間にしか強く出られない証拠だ」

「は? 何だよぉ?」

 激情家な絢の割には淡々とした、だが威圧を込めた言葉。それに対して黒王はうまく返せない。千里や優子の意見も聞きながら、昨晩考えた言葉だ。そう簡単にレスポンスされてたまるか。

「そして答えられないんだったら、オマエは何も考えずに、他人のあることないことベラベラ喋るような人間だってこと」

 一方的に、しかもほぼ完全に、逃げ道を塞いでいく語り口に、プライドの高い相手はそろそろ苛つき出した様子。文句の一つも吐き出しそうな口を塞ぐように、更に畳み掛ける。

「そうそう、オマエが吐いたあたしの悪口、ウチの親にも友達にもバラしたから。オマエはこれからずっと、あたしからも、あたしの家族や友達からも、一生後ろ指刺されて生きていくんだ」

 流石に家族には話していないが、そうされても仕方ない罪を犯したのだと相手に理解させることが重要だ。嫌われる勇気がどうとか、周りの悪口など気にするなとか、そんな低レベルな言葉で相手が自己完結していいような話ではないのだ。

「悪口を言うって、そういうことだよ。言われた側は傷付くんだよ。それがわからない生き物となんて、もう二度と関わりたくない。分かったらてめぇもう帰れ。分かんなくても帰れ。でもってあたしは今後二度と、オマエに話しかけない。だからオマエも話しかけるな。あたしらに関わんなっ」

「ッ……」

 そして一番言いたかったこと言葉を、トドメとばかりに突き付けた絢。涙目だった。最早、目の前の男とのやりとりが馬鹿らしくなってきた。最悪に嫌われている事実を知らされて尚、矮小なプライド故に帰ろうとはしない以上、気まずさは感じていても、大した罪悪感はないのだろう。

 クソが……そう微かに呟いて、結局先にこの場を立ち去ったのは、絢の方だった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 あらゆる面において自分よりもハイスペックな人間がほぼ、面喰らった表情しかできなかったのは事実。これを論戦というのならば、絢の完全勝利と言ってよいだろう。

 しかして何の快感も悦びも、絢は得られなかった。相手は無様に泣き叫び這い蹲って頭を下げたりもしなかったし、慰謝料が発生するワケでもない。そもそもこれから状況がいい方向に向かう保証なんてないし、下手したら説教自体が悪手だったかもしれない。

 ならばどうするのが正解だったのか。折角ダチに相談して考えた方法が、この程度の結果にしかならなかったなんて。

「だぁ糞ッッ!」

 重く穢れたモヤモヤ感が一気に発火し、カッとなって一発、曲がり角の柱にヤクザキック。十五歳の女子としてははしたない真似すら気にならない心理状態だが、その蹴り付けた柱の陰には、絢のよく知った顔があった。

「げっ……チサトあんたいたのかよ」

「ちょっと前から、ね」

「もしかしてユーコも?」

「いや、私だけの方がいいよって。今日は優子は自宅待機」

 予想外のタイミングでのマブダチ登場に、怒りのボルテージを乱され、意図せず正気を取り戻した絢。ふたりきりという状況を理解したこともあり、その辺は少し安心できそうだ。

「……聞いてた?」

「うん。あなたにしては、上出来」

 恐る恐る聞いてみた絢に対し、千里は、少しだけ背の高い相手の頭をがしっと掴み、自分の右肩に抱き寄せた。

「そっか、うん……」

 そのぬくもりとやわらかさに拘束され、たまらず頭から足先まで震えてしまう。密着した両瞼から漏れ出す涙が、千里のブラウスを、下着を、いや素肌を濡らしてしまっているのがわかる。けれども止められない。今は自分を抱きしめてくれる、背中をとんとんとしてくれる、彼女のこの存在に、ただ浸っていたい――――


 実質的に九十秒程度の嗚咽だが、どうしようもない感情の整理はできた。

 ひと呼吸、ふた呼吸、深い呼吸を何度か繰り返し、しばし無言の時を過ごした後、絢が呟いた。

「あのさぁチサト、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

「どうしたの?」

 どうぞ何でも話してね、と微笑む千里に、絢は推し偲んだ表情で、思いを吐露した。傷付いた気持ちを千里に受け止めてもらった過程で、突如絢に湧き上がってきた、これからやりたいことだった。

「はぁ〜?」

 それは、さっきまで抱き止めてくれた千里に奇声を吐かせ呆れさせる程の、非常識な内容。千里の顔はどう考えても、優しくしたことを後悔しているようだった。そればかりか、これからお説教しなければという感情すら見てとれた。

 それでも己の衝動に嘘はつけない。絢の選択は、いつも欲望に正直なのだから。

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