Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.5

「殺す!」

「本気で言ってるの?」

「当たり前だ! あたしはブラキンを殺す!」

「どうやって?」

「眼玉に硫酸ぶっかけて、指の爪剥いで、頬肉引き裂いて、全身の関節バキ折って、土手っ腹掻っ捌いて臓物引き摺り出してぶちまけてやる。あんな腐った性根のクソゴミ豚屑は反省なんてしないんだから、せめて生きてることをしこたま後悔させてから、地獄送りにしてやる」

 怒り任せに何らかの行動を起こそうとしていた絢を、千里は半ば力ずくで、体育館裏の人目につきにくい場所に引っ張ってきた。そしてこれまでの経緯を話させた後、どうするつもりなのかを問うた結果が、この残虐表現の羅列だ。

「無理だね。あなたにはできない」

 千里は、口ではきっぱりと、その可能性を否定した。しかしながら彼女の内心は、逆だった。

この鷺沢絢ならもしかしたら、殺人とまではいかずとも、何らかの不法行為に手を染めてしまいかねない。現に、千里が止めなければ、彼女は体育用具倉庫から鈍器になりそうなモノを持ち出していた勢いだ。


 千里が中学三年になりたての頃、ピアノコンクールで失敗してしまった時のこと。終了後、凹んでいた千里に対し、すれ違いざまに嘲笑した他校の出場者に対し、絢はすかさず喰ってかかった。更にはその出場者の学校に自ら電話して抗議するなど、ちょっとしたトラブルになった。

 絢の一途さと情の深さは、千里の気に入っているところだ。自分の為に本気で怒ってくれたことは、心から嬉しかった。

 一方でそれは、敵と見なせばどこまでも残虐になれることでもある。その危うさが、千里には怖かった。


「そんなに黒王が許せない?」

「当たり前だ! ……悪口ってさ、言った方が絶対悪いじゃん。だけど大抵、言われた方は我慢しろだとか受け流せだとか言われるじゃん。最悪、言われた方が悪いみたいに言われるじゃん。扱いが軽いんだよ悪口って。それが原因で死ぬ人もいるってのにさぁ。あたしは、そんなの許せない」

「それでもやっぱりダメだよ! 暴力に頼っちゃぁ、あなたの方が悪くなっちゃうんだよ」

「はぁ〜? あんたまで正論の押し売りかよ? あんたからだけはそんな言葉聞きたくなかったよ! 殺るったら殺るんだよ! 悪口言ったら殴られるってガキでも分かる話がさぁ、そんな話が分かんないゴキブリの脳味噌なんてさぁ、今すぐ踏み潰して滅菌して――――ッッ?」

 論戦に業を煮やし、激昂する絢の肩を、千里の両手ががしりと掴む。何すんだと身体を揺さぶる彼女を、ゆっくりと、ドスを効かせたトーンで制する。

「…………何て名前だったかな。この前殺されたってニュースになってた、あなたの大嫌いな漫画家。ああいう見下げた人間と同じになっちゃうよ」

 千里が口にしたその大御所漫画家は、社会風刺の作風と過激な発言で知られていた。三ヶ月前に出版した漫画の中で、戦争や犯罪、疫病の犠牲者を侮辱する描写で大きな非難を受けたが、その数日後、自宅で何者かに殺害されたのだった。犯人は未だ不明だが、金品も奪われていたのだという。

「あたしは、アレとは違う……あんな腐った神経なんてないし、あんな表現の暴力なんて絶対しない……」

「あなただって何時だって何かを叩いて生きてるじゃん。思想信条が違うだけで、あの最低漫画家と心根は似てるんだよ。だから、ここで暴力を振るったら、本当にアレと同じに堕ちちゃう。今度は絢が叩かれる側になっちゃうよ」

 吐き気を催す程蔑んできた存在と自分は同等だと告げられ、薄寒い感覚に襲われる絢に、千里は更に追い討ちをかける。耳が痛くて仕方がない正論。だがそれは、凶暴な猛禽を諌める手段にして、単なる前置きだ。

「私は、絢が叩かれるのが許せない。だからやり方を間違えないで。私も……私だって黒王は許せないッ!」

「……っ!」

 千里からのダメ押し、本当に伝えたかった言葉が、絢に直撃した。

 実際に敵に暴力を振るうよりも、本当はその言葉、自分の味方であるという返事を求めていたのかもしれない……絢はそう気付かされた気持ちになった。少なくとも、元凶である黒王夏来への怒りは、間違っていなかったのだ。目頭が熱くなった。

「あんたは、あたしの味方でいてくれる?」

 縋るように潤んだ瞳を浮かべた絢に、千里はごく自然に答えてみせた。

「勿論だよ。本当言うとさ、あなたを馬鹿にするような奴等なんて、ロケットランチャーぶっぱなして、家ごと木端みじんにしてやりたいよ」

「……何だよそれ。あんたの方がダークサイドじゃん」

 意外な言葉に吹き出してしまう絢に、あなたの言う通りかもねと、千里は笑ってみせる。反省とか後悔する暇も与えず、一方的かつ理不尽に粉砕するのだから、ある意味では無慈悲かもしれない、と。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 校門を出てから分かれ道まで、ふたりはいつもよりゆっくり歩きながら、とりとめの無い雑談をした。

「あたしの美学も、あんたなら分かってくれるよね? 最近またネットで下ッ品な漫画が流行ってるみたいだし、あたしの嫌いなアレも新曲出したし、テレビで流れてうざったてぇの何のって」

「それはまた別問題。そーゆう嫌いなモノを口に出すのはやめなさい」

 一応は感情を処理できた絢は、いつもの調子を取り戻したが、彼女の心根自体は全く変わってないことに、千里は苦笑した。

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