Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.3

「二日ズレるってだけで結構、調子狂うなぁオイ」

「ふん、肆拾撥時間か。俺様は待ってたぜ! この『瞬間(とき)』をよォ!」

「…………」

 時刻は午後五時。一週間に一回、一時間しかない、防音室での練習。本来ならば練習は月曜の夕方六時だが、この週は学校行事の都合に伴う上級生ユニットからの相談により、水曜日にシフトされた。

 六人もいればかなりの密度になる面積だが、ドラムセットやアンプは勿論、パフォーマンス確認のための鏡張りも設置されている。古い校舎の一室を改装した割には、上等な練習環境といってよい。

「やっぱり音叉とか、自分の音感とかで調弦できるようにならないといけないのかな?」

「それをできるように努力するくらいなら、チューナーで楽して、その分たくさんギターに触れる方がいいと思うけどね、私は」

「えー、ゔほん。とぅ〜るるるるるるるん、るるん」

 雑談こそしながらも、時間は無駄にできないとばかりに、皆、手早くセッティングやチューニング、発声練習に取り掛かる。


 本日は、6人が共通してファンである大物ロックバンドが初めてチャート一位を取った、四枚目シングル曲の練習。

 結成してまだ二か月弱のPRAYSEは、防音室での練習もまだ四回目。プロ志向など一切持たない、あくまで高校生の遊びの延長のバンド活動だ。それでも今後、人前で演奏するチャンスがないとも限らない。そんな時に確実に演奏できる楽曲を確保するため、初心者向け、かつ知名度がそれなりにある曲を課題曲に選定し、練習し始めたところだ。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「おっけ。じゃあまず一番、絢。やっぱりミスると動揺が露骨に出ちゃってる」

 まずは一曲、通しで演奏した後で、リーダーである千里のターン。練習においては他のメンバーと違い、演奏する他の五人の正面に立ち、個々の課題を見つけ助言したり、音量調節の指示を出したり等、実質的な指導者としての役割を務める。

「二番、眞北君。この前も言ったけどソロ以外で目立とうとしない。暴れたくなる気持ちは分かるけどね」

 それぞれ割り振られた部員番号は、一般的なバンドスコアにおける記載の順番。演奏の主役たるヴォーカルの絢が一番、次に、紅いレスポール型のリードギターを操る眞北が二番。純白で鋭いシェイプのリズムギターを奏でる優子が三番。そしてキーボードの千里、ベースの美純ときて、地盤を支えるドラムの喬松が六番となる。ちなみに部員番号の設定は、お調子者の眞北が何かの漫画を参考にして提案したものだ。

「三番優子。エフェクターの操作は落ち着いて。っていうか、最後までディストーションで通してもいいや、って気持ちくらいでいいのかも」

 各々のナンバーを割り振られたメンバー達は次々と、四番を冠するリーダーからのアドバイスを受けていく。耳が痛い表情を浮かべるものの、不満に思ったり、ムキになって反論したりすることはない。

 音楽に明るい家庭に生まれ、ピアノは勿論、ヴァイオリンやサックス等、様々な楽器を経験してきた千里。大した受賞経験は無いからと本人は謙遜しているものの、五人の誰もが、彼女の音楽知識に信頼を置いている。


「五番、美純君。だいぶガタガタ。今日はリズムキープができてなかったよ」

 そして今回、千里の耳に最も拙く聴こえたのは、ベースの美純。ドラムの喬松との連携が取れていないばかりか、そもそもメトロノームが刻む拍子からもずれてばかりだった。

 この日の課題曲は、かつてバンド初心者の定番曲とも称された程、極めてシンプルな編曲。故に、ドラムとベースのリズム隊の出来が、曲の出来不出来に露骨に反映される。楽器を初めて二ヶ月弱だからという言い訳はできない。何故なら、先週まではきちんと演奏できていた箇所だからだ。

「えっと、……ッ、クソっ……っと、すまなかった……ごめん」

 ぐうの音を言わせない指摘に対して、苛立ちが洩れているような、しかして酷く怯えているような、形容し難い美純の挙動。枯木を思わせるフォルムをした紫のベース、その重みにすら潰されそうな顔色。対応を間違えてしまえば、今にもパニックを起こし暴走してしまいそうな様子だ。

 そしてその態度は、普段の美純の素直で従順な物腰を考えると、千里の指摘のせいだけではないようだった。いや、そもそも思い返せば、部室に集合した時から少し様子がおかしかった気がすると、千里は思い出した。

「っていうか美純くん、もしかして体調悪い?」

 千里が無難な言葉で暗に個別休憩を促すも、大丈夫だ問題ない、と美純は突っぱねる。

 そこに、あたしも練習開始前から調子悪そうに見えたと絢。ニブいオレにも悪そうに見えるってよっぽどキツいことだぞと喬松。逆に眞北はあまり気にしていないのか、やりたいならやらせてやろうぜと促す。

「問題は、ない。次は落ち着いて、やる」

 だが当の美純は、唯一賛同した眞北の言葉に乗っかるように、貴重な機会だからと、尚も意地を張るのだった。

「螢くん。お願い、休んだ方がいいよ。それにね、休んですっきりできたのなら、時には休んでみるのもアリって気付けたら、それだって立派な今日の成果じゃないのかな?」

「……ッ」

 そんな彼の意固地な心を見透かしたかのように、隣の優子が放った言葉、それで風向きが変わった。口下手な美純には、なめらかな気遣いの言葉に効果的な反論ができなかったし、何より優子が放った言葉というのが大きかったようだ。

「分かった。貴重な時間を俺のせいで消費させるワケにはいかない。消灯まで、教室で宿題でもしている」

 やや早口で呟きながら、焦った様子で楽器を片付ける美純。その勢いのまま逃げるように、一礼して防音室を後にした。


「それじゃ、再会しよっか。ベースは私が弾くよ。本物とは音色とか音圧だいぶ違うから、皆、その辺は意識してね」

 ベースパートが抜けた穴は、キーボードの千里がカバーする。不測の事態に対応できるよう、メンバー全員の楽器に近い音色をあらかじめ準備しているため、誰が抜けてしまっても、その代わりを務めることが可能。更にその気になれば、ヴォーカルの絢の代わりに歌うことも可能だ。むしろ音程だけなら、絢よりも正確なくらいだ。


「やっぱ、何か緊まんねぇなオイ」

「ごめん喬松くん、やっぱり完璧再現とまではいかないや」

「あ、千里さんのせいじゃぁなくてな。何かよ、一人抜けるだけでこうも違うとは、って思ってよ」

「確かにね。三回目の練習まではさ、ちゃんと螢くんも揃ってたからね」

「…………」

「それでも俺様達は止まっちゃいけねぇ。が……誰が欠けても始まれねぇ」

 しかしてメンバーのひとりが抜けた欠落感は、千里も、いや誰もカバーのしようがない。単なる体調不良や家族の行事とかではなく、明らかに心此処に在らずな状態での早退。たったひとりのスペースが空いている違和感が、大きい。それこそ極めて鈍い眞北でさえ気になり出したくらいだ。

 結局、その後は大して盛り上がりもせず、何処か淋しい空気のまま、短すぎる貸出時間は終わった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 次の使用者に防音室を明け渡し、部室に楽器類を戻して、後は部室で思い思いに過ごす時間、だったのだが。

「ちょっとあたし、先に帰るわ」

 そっけない言葉だけを放って返答も待たずに、絢は五人だけの部室を足速に出ていく。早退した美純のことを心配して、様子を見に行こうとしていることに、千里はすぐに気付くのだった。

「おっ! 俺様達も八組行くかぁ!」

「バカっ! 別にそんなんじゃぁねぇし!」

 更に空気が読めない割に、たまに察しのいい眞北も、絢の真意に気付いてしまうも、

「やめとけマキちゃん。んなことよりちょっとゲーセン付き合ってくんね? 新作稼働したってよ」

そこに、普段はいい加減だがたまに察しのいい喬松が、いらんことしいをブロックしに掛かる。結果、眞北は喬松に促されるままに、絢の向かった方向とは真逆に誘導させられるハメになった。


「……どうしよ」

 一方、行動の早い者共のペースに乗り遅れた優子。それを見た千里は、優子にも部室を出るよう促し、横開きの扉に鍵をかけるのだった。

「あなたも気になるんでしょう? ただね、絢は絢で、個人的に美純君に話したいことがあるみたい。だから、様子を見るだけにしよっか」

「……うん」

 一瞬だけ不服そうな気配を湛えながらも、優子は部長の言うことに従う。千里の推測は、言われてみれば確かにその通りだと思ったし、

「気になるのは、私も同じだし。……言っておくけど、絢の方がね」

そんな風に、自分の我儘な気持ちへの歩み寄りを示してくれたことが、優子の心に響いたからだった。

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