Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.2
「絢さんは、好きなモノを語っている時より、嫌いなモノを叩いている時の方が楽しそうに感じます。担任として、とても心配になります」
人生経験が豊富とはいえない、まだ二十代の若手教師にも三者面談でそう語らせてしまうくらい、ある意味では分かりやすい性格。鷺沢絢は小さい頃から、好き嫌いの拘りが強すぎて、周囲との衝突を度々引き起こす少女だった。
皆が大好きな餡子やカスタードは嫌い。クラスメイトが好むドラマやバラエティ番組は、自分にとって不快なものばかり。ドッジボールは合法化された暴力。…………子供は得手して、自分の価値観と世界の現状とのギャップに悩まされるものだ。そして成長する中で、そんな世界との折り合いをどうつけるかを学んでいくのだが、絢が選択する行動は大抵、不愉快なモノと徹底的に闘うことだった。
朝の一分間スピーチで、まるで独裁者の演説が如く、嫌いな漫画を焚書にすべきだと力説したこともある。結果、その漫画の大ファンだったPTA会長の娘が泣き出し、絢の両親が学級の保護者会で糾弾される騒ぎとなった。
夏休みの宿題の定番、読書感想文では、あらすじを見ただけで不愉快だと感じた流行の本をわざわざ図書館から借りてきて、徹底批判する内容を書き殴った。文章力はほぼ文句無しながら、一部の教員たちからの心象が最悪だったため、コンクールへの応募推薦はされなかった。
そんな絢ではあったが、本質的には曲がったことが嫌いなだけの、ごく普通の少女。別に不良行為に手を染めるわけでもなかったし、一応はそれなりに、仲良くできる級友とはうまくやれていた。
中学二年になりたての春のこと。絢は、小学校時代に転校で離れ離れになっていた同級生、伐採来果苗(ばさら かなえ)と、偶然再会した。
同じM市内の他所の中学に在籍している彼女。久々の再会を喜び、積もる話で盛り上がり、アドレスを交換。それから高頻度で通信アプリのやりとりを行ううち、話題は思春期の少女にありがちな話題、恋愛トークにまで発展した。
そこで果苗から、ちょっといい感じの男子がいるから、会ってみないかという申し出があった。誰かを好きになった経験に極めて乏しい絢だったが、旧友の紹介であればと、あまり何も考えずに会ってみることにした。
その男子は、待ち合わせ場所のファミリーレストランに果苗に連れられてやってきた。名前は黒王夏来(こくおう かくる)。背が高く大人びた顔立ちで、世間的にも格好の良い男だといえるルックスだ。果苗によれば、勉強も運動も学校一であり、ピアノも上手。更には弁護士の両親を持つ、中学生の地位的には最上位に在る人間といって差し支えない。
一日目は、まずは果苗の付き添いでファミレスで歓談した後、アミューズメントパークで軽く遊ぶという流れ。
正直なところ、相手の高いスペックに伴う優越感もあったのだろう。どんな話をしたのかはあまり覚えていないが、そのときの絢は正直、少なからず舞い上がっていたし、男子と仲良くなるのも悪くないと思いはした。当たり前のようにアドレスを交換して、夕方五時に解散した。
それから数日間、通信アプリで何度かやり取りを行った。黒王は学習塾やピアノで忙しいながらも、丁寧に積極的に会話に付き合ってくれていた。
だが、いざ冷静になってみると、この男は自分とは合わないのではないかという思いが、日増しに募っていった。彼の言葉の節々からは自己愛の強さと、旺盛な差別意識が感じられたからだ。
とはいえ、旧友の紹介故に性急な判断は悪いかもとも考え、もう少し関わりは持ってみることにした。
そして二回目。今度は黒王から誘われるかたちで、土曜日にふたりきりでの面会。黒王のご馳走で、中学生には似つかわしくない喫茶店での会話。そこで絢の疑念は、確信へと至った。
この黒王の本性は、あたしの一番嫌いなタイプ。少女漫画や恋愛ドラマで見かけるような、性格『だけ』が悪いタイプ。容姿も頭脳も体力も経済力もすべて兼ね備えているが、俺様気質で、平気で他者を踏み付けるタイプ。たとえばこのまま果苗の厚意のとおり、流れで『お付き合い』という関係になったとしても、この男はあたしのことを、自分の装飾品か何か程度にしか思わないに違いない。
もう、この男とは関わりを持ちたくない。
ではどうやってその話を切り出そうか。あれこれ思案しながら結局は相手に促されるまま、喫茶店から場所を移動する流れとなり、そして事件は起こった。
人通りの少ない裏路地を通っていた時、隣を歩いていた黒王から、
「なぁ、ちょっとアブナイことしてみない?」
そう呟かれ、絢は建物の壁に追いつめられた。その動作はいわゆる、壁ドン。そしてすかさず、顎クイ。
「ひ…………ッ」
悲鳴にすらならない空気振動。絢の苦手とする恋愛モノにありがちなシチュエーションだが、いざ自分が当事者となってしまうと、そこにドキドキという名の性的興奮など皆無。
逆に、絢の心の奥底から湧き上がってきたのは、恐怖とそして、不快感。嫌だ。怖い。抵抗できない。怖い。怖い!
だが此処で何もしなければ、好きでもない男に身体を弄ばれることになる。俺にこうされて悦ばない女はいなかったとでも言いたげな男に口唇を奪われ、すぐにそれ以上のことをされるだろう。フィクションで見るのも嫌な展開なのに、自分がそうなってしまうだなんて、絶対に受け入れられない!
「嫌ッッ!」
悪夢から抜け出すために自刃するが如き勢いで、力の限り叫んだ。抱きつこうとする腕を振り解いた。一瞬できた隙を見逃さず、相手の右頬に全力で平手打ちをかました。怯んだ隙に両脚に力を込め、一気に駆け出した。
そこからどう帰宅したのかは覚えていないが、事故に遭わなかったのが幸いだった。
その日の夜。食事も摂らずにベッドに突っ伏し、絢は数時間、頭を抱えた。
流石に暴力は悪かったか。いけ好かない相手ではあったが、加害者はこちらである以上、謝るくらいのことはしなければという気持ちが湧いた。その上で、もう会わないと丁寧に伝えよう、それがふたりのために一番いいことだと決意した。
夜の十時。絢は短い文章で、もう一度会いたいとメッセージを伝えた。すると相手もアプリ越しに、その申し出を受け入れたようだった。
翌日の日曜、場所は駅の西口。絢は手土産のお菓子を準備して、謝りに行った。黒王も、あんな反応をされて驚いたとは言っていたが、こちらこそ早まって悪かったと謝った。
だがその後、黒王が冗談めかして言い放った言葉が、絢の逆鱗に触れた!
「もしかして男じゃなくて、女が好きだとか?」
この男は勝手に、絢の性的指向を邪推していた。ふたりで会ったからには自分のことを好きで当然と思っていたし、そうでなければつまり、マイノリティに属する存在だと思っていた。
それ以上に、今まで誰にも決して話してこなかったことなのだが……奴の言葉は図らずも、最低でも半分は当たっていた。故に、この男の発言は、鷺沢絢という人間の存在の何もかもを、侮辱していたのだった。
「糞がッッ」
昨日ぶっ放した箇所に再び、ダメ押しの平手打ち一閃。慈悲は無い。
「死ね! 永遠に死ねッッ」
とどめに、個人の尊厳を否定するものの中でも、最悪レベルの言葉をぶちまけた。相手がどんな反応か観ることもなく、駅前を歩く無数の市民からの視線を気にすることもなく、前日を上回る勢いで、絢はその場を去った。
帰宅後、黒王のアドレスなど速攻で削除したし、翌日、何度か着信が来ていたので、通話でもう一度、死ねと一言だけ叫んでやった。
心配した親には一言、見りゃ分かるだろ、クソ野郎とケンカしたんだよ、それだけ説明した。
以降。放送委員という立場を利用して放送室ジャック事件を起こし、暴力的な副担任に対する抗議演説を行ったり(結果、放送委員をクビになり、保護者が学校に呼び出された)、研究活動に参加しない男子と衝突したり(結果、藤守千里という友を得ることになった)、波瀾万丈というほどではないが刺激的な出来事が、絢の身にいくつか起こった。
そんな彼女の中学生活に、関わりを拒絶した他校の男子のことなど、入り込む余地はなかったし、その男子を紹介した少女とも、疎遠になってしまった。
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