Episode:1 トラスト・ナンバー1 part.1

「ねぇ、あやちゃん。もしかしてだけど螢くんって、あやちゃんのこと好きだと思うの」

「おい待て。何でそうなるユーコ」

 知り合ってから約一か月半。親友と呼べるまでになった仲間からの突然の発言に、鷺沢絢は呆れ顔になった。

「だって螢くん、いつもあやちゃん相手にすっごく楽しそうに喋っているもの!」

「…………ッ。そうか? ……あ、いや、思えば確かにそう見えるかもしれないけど」

 机の上に大柄な身体を乗り出し、眼鏡のレンズを逆光で輝かせ、いきなりの恋バナをふっかけてくる香坂優子。家庭的で心優しい彼女だが、こんな突拍子もない言葉を放ってくるキャラだったとは。果たしてどう反論しようかと、絢はウルフカットの頭を掻き毟るのだった。


 確かに絢は、このバンドサークルの一員である美純螢とは、他の男子より会話する頻度は多い。だがその会話内容は、一般的な高校生が口にするには随分と不穏なものばかりだ。

 昨日は某国の独裁政権が引き起こした大量虐殺、その前は宗教右派による憎悪犯罪、さらにその前は未確認生物と、美純は理系文系を問わずブラックな話題に強い。端正な顔立ちが台無しになるくらいの、かなりの変人男子だ。

 もっとも、そんなブラックな話で盛り上がれる絢自身も、我ながら変わり者だと内心自嘲しているのだが。


「あのねユーコ。あいつは単に自分の知識を話すのが好きなだけだ。でもってあたしが楽しそうに聞いてるから、上機嫌になってるだけ。あたしのことが好きって気持ちは、多分ない」

 絢の丁寧な回答に、そっか、と漏らす優子の顔には、安堵感が浮かんでいだ。少なくとも、絢にはそう見えた。

 なお、『そんなワケないと思うよ。美純きゅんが好きなのはきっと、ユーコちゅわんだよ』……という、九割方確実な絢の推測は、敢えて口にしなかった。このふたりについては、あれこれ口を出さずに放っておいた方が、きっと面白く甘酸っぱいモノが見られそうだから。


「優子。あなたの大好きな絢は、心配しなくても恋愛なんかに靡いたりしないよ」

 そんなふたりの微笑ましい成り行きを見守っていたサークルのリーダー、藤守千里が口を開いた。絢とは中学二年からの付き合いで、暴走しやすい彼女のストッパー役でもある、生真面目な性格だ。

「それにそんなの、私が許さない」

 だがそんな千里の発言は、まさかの燃料投下。ボブカットの髪を指でくるくる弄り、悪戯な笑みを浮かべた態度は、どう考えても確信犯。規律を大事にする反面、意外とノリはよく、たまに冗談めかしておふざけに参戦することも多いのだ。

「チサト、まさかあんたまで話をカオスに持ってくだなんて……本当手に負えない奴っ」

 そう呟く絢の苦々しい顔は、しかし何処かわざとらしい。最も信頼していると言ってよい旧友からそう言われるのは、絢にとっても悪い気はしていない。それに、そんなふたりの絆色を目の当たりにした優子も、ラブラブだね羨ましいなぁとニヤニヤ顔を隠さない。


「そういえばさ。眞北くんに喬松くんって、誰か好きな子いないの?」

「あー。眞北は音楽以外だと、アニメか二次元美少女の話しかしてない。喬松はどうか知らないけど、結局アイツ、女子が沢山いる社交ダンス部抜けちゃったしさ。ふたりとも恋愛にはあんまり興味ないんじゃない?」

「そうなんだね」

 ちなみに残りのバンドメンバーである男子二名、眞北和寿と喬松慧希に関する恋バナは、絢の簡潔な解答により、一分足らずで終了した。


 M県内でも有数の進学校、県立MW高等学校。近年では生徒の文化活動を広く奨励しており、その結果、いくつかのバンドや音楽ユニットが結成され、思い思いに活動している。

 此処は、所謂ヴィジュアル系と呼ばれるバンドの楽曲コピーを主目的に結成された高校生バンド、『PRAYSE』の部室。職員室や音楽室も含まれる部活動棟の三階に位置している。少人数教室を改装した部屋には長机やキャビネット、楽器スタンドにホワイトボードも設置されており、六人のメンバーが集結してしまえば手狭な印象を受ける。

 二学期が始まったばかりの火曜夕方。男子三匹は沢山の宿題だったり、家族行事だったり、補修だったりで、皆欠席だ。この日の活動は女子三名だけということもあり、年齢相応の取り止めのない雑談だけで終わってしまった。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 三人で下校しようと靴箱まで移動したあたりで、絢は部室に忘れ物をしてしまったのを思い出した。再び職員室で鍵を借り、小走りで部室へと戻った。

 探し物はすぐに見つかった。部室で少し進めようとして結局全く手を付けなかった、数学の問題集だ。これ以上此処にいる理由はないと、きちんと施錠し、職員室へと向かう。

 だが、ちょうど二階に降りた時、予想外かつ厄介な光景が、絢の視界に飛び込んできた。

(あれは……)

 数十メートル先の階段から、ふたりの男子生徒が姿を表すのが見えた。ひとりは部室でのガールズトークで話題になった、バンドメンバーの美純螢。そこまではよかった。

(……っ)

 その美純に話しかけてきている、もうひとりが問題だった。絢にとって絶対に会いたくない相手。噂には聞いていた。進学実績は県内トップクラスと云われるこの高校の特別進学科に、この男も入学していたと。

 さぁ、此処でどうするか。同じクラスなのだから当然接点もあるだろう。だが絢が知る限り、あの男と美純とはタイプが違いすぎる。相性がよいとは思えない。何か面倒事なのだろうか。

(まぁ、一緒のクラスらしいし、話していてもおかしくないし……ッ)

 しかして今、此処で出ることは得策ではないと、絢は判断した。個人的な理由ではあるが、とにかく今回ばかりは、相手が悪かったのだ。

 それに、今は千里に優子を待たせてもいる。何事もないことを祈るだけにとどめ、絢はこの場を立ち去ることにした。

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