71.やればできる子なんだわ

 レオンを寝かしつけた後でいいから、時間をもらえないか。ヘンリック様にそう言われ、わかりましたと承諾した。重要な夜会でもあるのかもしれない。公爵夫人として参加させたい行事とか。頭の中で色々考えながら、可愛い寝顔のレオンを見つめる。


 遅いお昼寝と夕食を済ませた幼子は、再びすやすやと夢の中だった。あんなに寝たのに、すぐまた眠れるのは健康な証拠ね。黒髪をさらさらと撫でる。手入れが行き届いているからか、すごく手触りがいいの。飽きないわ。


「奥様」


 促すリリーに頷き、マーサにレオンを預ける。もし起きて泣くようなら、私のところへ連れてくるよう頼んだ。普段からマーサが一緒にいるので、レオンも一人より安心なはずだわ。それに小さい子は事故も多いから、常に誰か大人がいた方がいいの。


 一般的な貴族夫人は社交のために、茶会や様々なイベントに顔を出す。もしヘンリック様がそういった役目を私に求めたなら、レオンといられる時間は少なかったでしょう。その意味では屋敷に引きこもって構わない契約は、本当に助かった。


 可愛いレオンと過ごす方が、社交よりよほど充実しているはずよ。もう一度だけレオンの寝顔を眺め、音を立てないよう部屋を出た。ヘンリック様の執務室は、二階にある。階段を登って、リリーのノックへの返事を待った。


「……っ、呼びつけて悪かったな。入ってくれ」


 まさか、ヘンリック様自ら扉を開くと思わなくて。驚いた私の表情に、戸惑っている様子が伝わる。フランクやベルントはいないのかしら。そう思いながら入室すると、すぐにベルントがお茶を運んできた。


「……いた」


 思わず言葉がもれる。まるで置き物のようにそっと……壁際でフランクが佇んでいた。意味ありげな表情から、動かなかった理由がありそうだけど。


「その……突然すまない」


「いいえ、お気になさらず」


 ここはヘンリック様の屋敷で、当主なのだから。もっと堂々としていいと思うわ。私を呼び出したのも、何か必要なことがあったのでしょうし。様々な意味を込めて短く返した。


「座ってくれ」


 勧められた椅子へ、素直に腰掛ける。向かいに座ったヘンリック様は、緊張した面持ちで切り出した。


「先ほどの中間管理職、という考え方は参考になった。それで……」


 要約すると、過去に迷惑をかけた部下を労いたい。中間管理職には、どのくらいの権限や給料が必要か。自分がいなくても動く仕組みを作るために、色々と教えてほしい。大きく分けて三つだった。


 公爵夫人のお役目じゃなかったのね。でも部下を労うのはいいことだわ。苦労させた分を補うことで、人間関係が改善するもの。至らなかった部分を素直に認めるのは、難しいこと。少し見直した。


 何か起きた時、責任の所在がはっきりした仕組みを作る方がいいし、給料はやる気に繋がる。王宮の文官達の大改革に着手するなんて、ヘンリック様はやればできる子なんだわ。


 褒め言葉を散りばめながら、私はいくつかのアドバイスをした。お茶が冷めれば、ベルントが交換する。穏やかな笑みを湛えるフランクは、まるでヘンリック様を見守るかのよう。そうね……父親か祖父みたいな表情だった。


 呼ばれた時は緊張したけれど、悪くない時間ね。

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