64.不敬になるギリギリの発言

 レオンを抱いてヘンリック様を見送る。何度も振り返り、フランクに背を押され、ヘンリック様は馬車に乗り込んだ。今まで興味がないから知らなかったけれど、ヘンリック様の乗る馬車に王家の紋章が付いているわ。


「旦那様がおられぬと、政務が滞るそうで……国王陛下のご配慮により、王宮の騎士と馬車が派遣されております」


「……国王陛下は何をなさっておられるの?」


 どういう意味か問い返され、どう伝えても不敬になるので言葉を選ぶのをやめた。


「ヘンリック様が仕事を片付けないと書類が溜まるのよね? ならば、国王陛下は何をしておられるのかしら。国政が一人の公爵の能力によって左右されるなんて、怠慢だと思うわ」


「……奥様?」


 フランクは意味ありげに笑い、けれど私を咎めるような響きで呼んだ。本音は表情のほうね。


「最近は、旦那様の改革でかなり改善されたと伺っております」


「そう。それもヘンリック様の功績なのね。無能でも務まるお仕事でよかったわ」


 不敬になると叱るかと思ったら、ベルントもフランクも何も言わなかった。固有名詞が入っていないから咎めない。だって事実だもの。


 馬車はとっくに見えなくなり、レオンは私の腕をぺちぺちと手のひらで叩く。降りたいと訴えるから、しゃがんでから手を離した。勉強用の部屋へ、てちてちと走る。扉にぺたりと張り付いて振り返った。可愛いしか言葉が浮かばない。


 追いかけた私が頷くと、同行したマーサが扉を開いた。中を覗いたレオンは、唇を尖らせる。朝食も終わったので、皆がいると思ったのね。今日はまだ朝食に伯爵家が加わっていない。だから時間がズレたのだと思う。


「先にお勉強して待っていましょうか」


「うん」


 お絵描きは左側、中央に積み木、粘土は右側だった。粘土といっても、焼き物用の土なので硬い。使うなら侍従に捏ねてもらう必要があった。つんつんと指先で突いてから、レオンはお絵描きの道具に手を伸ばす。


「これ!」


 あら、発音がよくなったわ。喜びながら箱を押すレオンを褒めた。嬉しそうに笑うレオンと一緒に、道具を机の上に並べる。


「お待たせしました」


 お父様達が顔を見せ、部屋は一気に人口密度が高くなる。今日はお父様の提案で、地図を読む勉強をするらしい。エルヴィンは地図を書き写す作業を始めた。見て覚えるより、書いて覚える方が忘れにくいのよね。


 私も経験した懐かしい勉強方法を、隣の双子は手分けし始めた。地図の地形を写すユリアーナ、文字を書くユリアン。


「ぼくも」


「レオンも地図を描きましょうか」


 お絵描きのクレヨンを手に取り、壁に飾られた見本の地図をじっと見つめる。それから手元の紙に線を描き始めた。楕円に近い丸だけれど、全体の位置関係は掴んでいる。そこへ文字の代わりに色を塗り始めた。


「ユリアーナより上手だ」


「え? やだ、本当に上手だわ」


 大きさのバランスが絶妙なレオンの地図に、双子が驚く。同時に上手だと口々に褒めたため、レオンはご機嫌で線を引いた。


「あっ……」


 思わず声が漏れて、手で口を覆った。紙から絵がはみ出たけれど、叱ったら萎縮させちゃう。今すぐ拭き取りたい気持ちをグッと堪えて、お絵描きの終了を告げた。

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