30.聞いてあげることも大切

 赤いクレヨンが不恰好な丸を描いた。その中を塗りつぶす。大人の目から見たら、トマトか林檎を想像する。でも勝手に決めつけたらいけないわ。


「あら、素敵な赤だわ。これは何かしら、お母様に教えてくれる?」


「おそと、あるの」


 外にあるもの? 花かしら。他に赤いもの……考えている間に、今度は黒を手に取った。周りに何か線を引く。続いて黄色を選び、小さな丸をいくつも足した。


「これ、おはにゃ」


 黄色いのはお花、黒は何だろう。赤の正体も不明のままだ。たくさんの色を散らして、レオンは機嫌よく絵を描き続ける。だが、半分ほど紙を埋めると、クレヨンを離した。


「お絵描きはおしまい?」


 小さく頷くレオンがクレヨンを箱に並べた。紙で巻いてあっても、幼子がクレヨンを使うと手につく。その手で顔を擦ってしまい、目元に赤が付いた。くすくす笑って、侍女に濡れたタオルを用意してもらう。


「レオン、ちょっと上を向いて。そうよ、上手ね」


 手にした温かいタオルで丁寧に顔を拭いた。また顔を汚さないよう、手も拭き清める。さっぱりしたのか、レオンは眠そうだった目をぱっちり開いた。


「あんね。ここ……おか、しゃま」


 黄色い棒を指差す。隣の小さな棒は黒かった。


「ぼく」


「じゃあ、こっちはエルかしら」


 髪色で線を引いたのね。納得しながら私とレオンの中間の長さを指差した。頷いたレオンは、自分よりやや大きいピンクに指を移動させる。


「あにゃ、ゆん!」


 緑色の棒はユリアン、隣のピンクはユリアーナ。こちらは服の色だろう。笑顔で聞いて、次を促した。


「これは?」


「じじぃ」


 ぷっと吹き出しそうになって、頬を引き締める。笑ったらダメよ、じぃじと言いたかったんだから。堪えているせいで、神妙な顔で頷いてしまった。


「べう!」


 ベルントのことね。頷いてわかっているわと示す。話を聞いてもらえるのが嬉しいのか、レオンはご機嫌で次々と紹介してくれた。たくさんの丸と歪な四角、長さが違う線はすべてに意味がある。最終的に赤は屋敷だったことが判明。


 屋根や壁の色とも違うけれど、抽象的な意味があるのかも。目立つ色にしたかったとか? 理由はなんでもいい。レオンが楽しんで机に向かってくれたことが、一番の収穫だった。


「お勉強、頑張ったからご褒美よ」


「ほん」


 絵を描く間も机の上に置いていた絵本を引き寄せ、読んでほしいと強請る。ちょうど双子も集中力が切れたようで、ぐったりしていたから誘った。エルヴィンはまだ頑張るみたいね。


 一緒に移動し、部屋の奥にあるソファーに腰掛けた。膝の上にレオンを乗せると、双子は両側に座る。小さな子猫が親を探して冒険するお話だった。黒いカラスに連れ去られ、知らない場所から始まる。母親や兄弟を尋ねながら、様々な動物や虫と交流し、最後はきちんと再会できた。


 めでたし、めでたしで終わる内容だ。泣きそうになったり、唇を尖らせたり、はたまた喜んだり、レオンは百面相だった。こういった読み聞かせが、幼い子の情緒を育くむ。それだけではなく、安心して寄り添える親の存在も精神的な安定の材料だ。


「おしまい。そろそろお昼ご飯よ」


 絵本はおしまい。言い聞かせるために、必ず口にする。聞き慣れてしまえば、この言葉で終わりを理解できるから。レオンは残念そうに絵本の棚を見ていたが、こくんと頷いた。


「えらいわ。ご飯を食べてお昼寝した後で、また絵本を読みましょうね」


 レオンはうーんと考えて、話を理解しようとしている。だからもう一度、今度は短く次の動きを示した。


「ご飯、お昼寝、絵本よ」


「うん!」


 口の中で「ごあん、お……ひるえ、ほん」と繰り返す。やっぱり舌ったらずで、そこが可愛い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る