27.大声で泣けて安心したわ

 旦那様の休暇は三日で終わり、お屋敷を離れる日が来た。きっとまた数ヶ月は顔を合わせなくて済むだろう。そう思うと頬が緩んでしまった。


 この顔でお見送りは失礼かも。そもそもお迎えもしなかったんだし、いいわよね。私は玄関ホールが見渡せる廊下の隅で軽く一礼した。気づかなかったようで、旦那様はそのまま出ていく。使用人の間に紛れ込ませてもらえてよかったわ。


「奥様、本当によろしいのですか?」


 心配そうにリリーが尋ねる。専属侍女となった彼女は、男爵家の三女だった。マーヤも男爵家出身で、次女らしい。無駄口を叩かず、さっと散開する使用人を見ながら、私は足早にレオンの部屋へ向かった。


「おか、ちゃ……うわぁああ」


 かなり急いで扉を開いたんだけど、わずかに遅かった。母親がいないと気づいて大泣きするレオンが、ベッドの上にちょこんと座っている。マーヤを残したけれど、ダメだったみたい。


「レオン、お母様ですよ。抱っこしましょうね」


 大急ぎでベッドに座れば、這いずったレオンがしがみ付く。大きく口を開けて、大声で泣く姿は私の罪悪感をかき立てた。小さな手がぎゅっとスカートを握るのを、優しく解いて膝の上に乗せた。


 向かい合わせで両手を脇に回し、顔を押し付けて泣き続ける。泣かせてしまって、こんな感想どうかと思うけれど……いい傾向ね。自分の感情をきちんと示せるようになってきた。


 愛されている自信がついて、我が侭になったの。もっともっとと愛情を欲しがる。ここで与えて満たされれば、レオンは劇的に変わると思う。ぽんぽんと背中を叩きながら、少しだけ体を揺らした。


 眠気を誘われたレオンを強く抱きしめ、大好きよと何度も伝える。出会った頃のレオンだったら、声もなく涙を流したかしら。子供でいられる時間は短くて、目一杯騒いで愛されて幸せを溜め込むには足りないくらい。


「おかぁ、しゃま」


「ええ、ここにいるわ。レオン」


 朝食が遅くなりそうなので、先に食べるよう家族に伝えてもらう。顔を洗う水やタオル、着替えを用意した侍女二人は壁際に控えた。悪いわね、もう少し待ってちょうだい。目配せで合図し、レオンの黒髪にキスをした。


「ここ、なぁに?」


「キスよ。大好きって示したの。頬にしたことがあるでしょう?」


 ちゅっと音をさせて、頬に唇を触れさせる。嬉しそうに笑ったレオンは、目が覚めたのね。背伸びして私の頬に唇を押し当てた。歯がぶつかりそうなほど、勢いがあった。


「ありがとう、レオン。そろそろお腹が空く頃かな?」


 ぺたんと平らになったお腹を撫でる。背伸びした幼子は、口より早くお腹で返事をした。ぐぅ……いい音がして、レオンがお腹を手で押さえる。


「待ちきれないって言ってるわ。顔を洗ってお着替えしましょうね」


「うん!」


 すっかり機嫌の直ったレオンは、小さな手で水を顔につける。ぺちゃりと音がする程度で終わりだ。濡らしたタオルを受け取り、私がしっかりと拭いた。最初は真似事でいいの。徐々に上手になるはずよ。


「でぃた!」


「ええ、立派に顔が洗えたわね」


 素早く着替えたレオンを抱き上げ、私は食堂へ向かった。

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