15.天使は寝顔も天使だった

 結婚式から怒涛の二日間だったわ。初めての屋敷に帰ったら、驚くほど生活水準が違って戸惑った。使用人の数がおかしいもの。この屋敷に、旦那様は住んでいないのにね。


 幼いレオンの面倒を見るのに、三人いたら充分よね。あとは家を維持するための人員だと思うわ。気が遠くなるほどの維持費だった。私なら家を売って、小さなお家に引っ越すけれど。


 でもお庭は素敵ね。実家の裏にあった森と違い、下生えは刈ってあるし、変な高さに枝が残っていない。一本ずつ丁寧に仕上げたのがわかるわ。


 自然の森を素敵っていう人がいるけど、現状を知ったら意見を翻すはずよ。人の手が入っていなければ、顔の高さに蔓が横切ったり、足元の茂みから飛んできた虫に足を食われたり、とにかく酷い目に遭う。


 森に食べ物がないかしらと考えて、安易に踏み込んだ私は大量の虫刺されやかぶれで苦しんだもの。あれって自然の洗礼よね。


 旦那様は数ヶ月に一度しか帰らないと聞いて、私は手紙を書いた。レオンと散歩に出た時に思いついた案を、そのまま連絡する。レオンの遊び相手として、弟妹を呼びたい。相談したら、フランクは離れの存在を教えてくれた。


 使っていない建物なので、公爵夫人の権限で使用できるとか。聞いていないと文句を言われないよう、旦那様にお伺いを立てた。その上で、レオンの乳母も頼んでみる。ダメなら私が面倒見ればいいけれど、社交がある日は相手ができない。


 普段から面倒を見る人って必要だと思うの。実母である前の奥様が亡くなった話は聞いていた。使用人がこんなにいるんだから、乳母だって雇えるはずよ。子守の上手な侍女だっていいんだし。要望書を手紙形式にして、旦那様宛に送ってもらう。


 あとは返事が来るのを待つだけね。のんびり構える私は、目の前に置かれたお茶を口元に運んだ。


「っ! すっ……」


「どうなさいました? 奥様」


「すっごく素敵な香りがするわ。甘酸っぱくて、色も綺麗だし」


 口をつける前に、思いきり香りを吸い込んでしまった。奇妙な所作に驚いた侍女は、にっこり笑ってお茶の種類を教えてくれる。お礼を言って、気に入ったと伝えた。また出してくれたら嬉しいわ。


 香りから想像した通り、真っ赤なお茶は甘酸っぱい。甘さは桃、酸っぱさは茶葉として使用した薔薇の果実だった。鮮やかな水色すいしょくも、薔薇の色かしら。


 午前中のお散歩から帰ったレオンは、眠くなってぐずった。周囲の侍女が何名か、微笑ましそうに口元を緩める。子育て経験があるのか、弟妹がいたか。経験していると、ぐするのも可愛いのよね。


 運動した後の幼子をあやして、寝かしつけたばかり。起きた時に見えない場所にいると泣きそうだから、寝顔を堪能しながらお茶を味わう。


 なんて贅沢なの。天使の寝顔だけでも、私では支払いきれないわ。公爵夫人は贅沢ができると聞いたけれど、本当ね。こんな可愛い子がいたら、贅沢どころではないわ。


 血の繋がらない継子を虐める話を聞いたことがあるけれど、想像できなかった。顔の良し悪しを除いても、子供って天使なのよ。成長が早ければ喜び、遅くても見守って励ます。どこに虐める要素があるのか。


 レオンが起きたら顔と手を拭いて、一緒に座って軽食を楽しむの。もちろん、夕食に響かない程度の小さなパンや焼き菓子。夕食の時、またお膝に乗ってくれると嬉しい。自然と綻ぶ笑顔をそのままに、眠るレオンを見つめた。

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