第19話 電車
暗闇に落ちていく。瞼から漏れ出る光は存在しない。完全な闇、恐らくは無がここに存在している。体は動かないし、瞼も開かない、音も聞こえないが、それも慣れてしまった。
今は感覚だけで落ちていることを感じとっているが、この感覚だって正確だとは限らない。
落ちて落ちて、果てなく落ちていく感覚に身を委ねていると、いつの間にか体が重みを感じた。
体を動かそうとすると、鈍重だが少しづつ動いている感覚がある。おそらくは果てに辿り着いたのだろう。目は上手く開かないが背中は地を踏んでいる。
耳は未だに活動していない。完全な無音だ。目は開かない。開かないが薄らと光がこぼれている。その光が耐えきれないほど眩しくて、ゆっくりと手で覆った。
しばらくして、瞼に力が入るようになった。無理矢理、目を開けると見慣れた空間が広がっている。電車だ。吊革が宙吊りにされ連なり、その間には吊り広告が並んでいる。所狭しと並ぶ座席には精気を失った男女が座り、項垂れていた。
「夢だったのか」
あの時、吸い寄せられて浜辺に降り立ったのも、死のうと思った海に包まれたのも、無限の無に漂ったのも、夢だったのだ。
床に寝そべっていたのに、誰も何も言わなかったのか。と思いながら、立ち上がり窓の外を見ると見慣れた暗黒があった。純粋な暗闇がそこに存在している。
当然、窓の外は移り変わることがなく、止まったと錯覚するほど何も無かった。ただ、電車だけは横に揺れ、ガタンゴトンと音を鳴らしている。
「ここは」
無の中を走っている。と考えてしまった。そう考えてしまうと思考はそれに支配される。トンネルを走ってるだけだと考えても、電灯ひとつない窓の外の暗黒を見ると気休めにもならなかった。
「誰か、誰か」
誰か知っている人が居るかもしれない。座席に座る人たちに話しかけるが、誰も顔を上げることはない。ただ項垂れて虚無を見つめている。
「誰か!」
誰か反応してくれないかと、慣れない大声を上げてみると優先席に座る金髪の男がビクッと体を揺らした。意識があるならと男の方に歩いていくと、男も同様に項垂れて宙を見ていた。
「何か知りませんか?」
男に声をかけると、瞳が僕の方を見た。酷くやつれた頬を動かし、言葉にならない声を「うぅ」とあげた。
「おえんなさい、おめんああい、おめんなさい」
たどたどしく謝り始め、男はポロポロと涙を流し始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
泣いている人にどう話しかけたらいいのかわからない。取り敢えず背中をさすってみたが、落ち着くことはなく、ただ一心不乱に謝り続けるばかりだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
男の涙は引っ込んだが、共に虚空を見つめ謝り続けている。もう話すことは出来ないと感じ取り、ゆっくりと男から離れていく。
ただならぬ所に居ることは明らかで、何よりも自分の居る所が何かを知りたい。先頭車両まで行けば見つかるだろうと思ったが、どっちが先頭かもわからない。取り敢えず、自分が向いている先へと歩いていくが、全員が項垂れていた。
車両に入る度に大声を出してみるが、数人しか反応がない。その数人もさっきのように同じ言葉を繰り返すだけだ。
ついに先頭車両まで来た。操縦席をよく見ると男が立っている。明らかに他の乗客とは違う姿に、扉を開いて相手の顔を見た。
「迷い込んだのですね」
地響きのような低い声が聞こえる。ようやく話が通じる相手を見つけて心が高鳴り質問攻めしたくなる気持ちを抑え、自分が今、話すべきことを考えた。
「ここは……どこですか?」
「ここ、ですか。わかりません。恐らくは死後の世界でしょう」
「死後の世界、あなたも?」
「えぇ、自殺しました。ここに来る皆様も共通して自殺をしたと言っています」
「自殺者が迷い込む車両」
「えぇ、恐らくは」
自殺者が迷い込む電車、よりによって嫌いな電車が死後の世界とは考えたくもない。
「いつ止まるのですか?」
「さぁ? 私が乗ってから一度も止まったことはありません」
「いつここに」
「800年から数えていません」
「その何十倍も何千倍も何億倍も長い時間を過ごした気がします。もしくはそれよりも何倍も何百倍も何万倍も短いかもしれません。そもそも、時間なんてないのかもしれませんね」
そんなに長い時間を過ごして正気を保っている。もしかしたら、正確には保っていないのかもしれない。車掌さんごっこと言う役割にハマることで維持しているだけかもしれない。
「この電車はどこに」
「さぁ? 二代目ですから、知りませんよ」
「先代に聞いてみてはいかがですか?」
「もっとも、先代が一代目とは限りませんが」
「本当は揺れているだけで走っていないのかもしれない。しかし、扉は開かない。壊せもしない以上、進んでいるとしか考えられない」
「どうせ、人生の落伍者なのです」
僕は電車が嫌いだった。電車は常に走り続け、目的に向かい続けるからだ。それが、僕にとっては現実に向かっていくような感じがして息が詰まるような気持ちだった。現実なんて真っ暗闇で、先なんて見えないのに電車は走り続ける。
あぁ、そうか、僕は現実に走るのが嫌いなんじゃない。この人生が未来なんて見えないのに刻一刻と進み続けることが嫌いだったんだ。未来が怖いから電車が嫌いだったんだ。逃避するには途中下車しかないのに未来に向かって走り続けるのが嫌いだったんだ。
だったら、この電車は……
暗闇の中に宛もなく走り続ける。本当に真っ暗闇な世界を、夢を見ていない正気の自分が延々と走り続ける。きっと延々ではなく永遠なのだ、暗闇の中を永遠と永遠と永遠と永遠と永遠と永遠と永遠と永遠と永遠と
全て上手くいく 人子ルネ @hitokorene
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