第14話 額縁、思い出、何も
「活躍聞いてるよ」
玄関から招かれて靴を脱いでいる時に母は話しかけてきた。
活躍と聞いて想起するのは漫画家デビューしてからの一連の活躍だが、母は漫画を読むとは聞いたことがない。娯楽に制限はなかったが、僕が買った漫画以外には家になかった覚えがある。
「テレビで見たんだよ〜」
居間の扉を開けると家族写真の中に単行本が飾られていた。僕のインタビューが載った雑誌も並べられている。家族写真の中には、小学校の入学式の時に二人で撮った写真が飾られており、この写真の中の母は酷く疲れた顔をしていた。今とは似ても似つかない。
「知ってたんだ」
「うん、手紙でも伝えたけど……あ、デビューしてから引っ越したでしょ? 最近、手紙が戻ってきてさ」
「アシスタントを雇わなきゃいけなくなって、貯金もあるしそれなりの所に引っ越して」
「無事に生活できてそうで安心した」
「ちょっと待っててね。座ってて」
外に出ていった母を見送ったあと、並んだ写真を見ていた。母と今の夫、そしてその娘の写真がほとんどだ。当たり前だ。僕が小さい頃に母と撮った写真なんて限られている。
こうやって自分の思い出が、たった数年しか生きていない娘よりも少ないのだと考えると自分の存在意義がわからなくなるな。
母は自分のことを自慢の息子と思ってくれているのかもしれないが、幼い息子だったころの僕の記憶なんて一切ない。
その幼い僕の記憶を持っていた祖母も死んでいる。僕の小さい頃は誰かの記憶の断片に存在しているだけで、確実に覚えているのは僕だけだ。忘れられた時に人が死ぬというのなら、幼い僕はとっくの昔に死んでいるだろう。
「写真見てたの?」
お茶とお菓子を持ってきた母が話しかけてきた。手に持っていたものをテーブルに置くと僕の横に立った。
「小学校の入学式、懐かしいね」
「中学と高校には出れなくてごめんね」
「……今の人とは仲がいいの?」
言葉が足りなかったのか母はポカンと僕の顔を見た。すかさず今の夫を指さすと、母は「そうねぇ」と言いながら頬に手を置いた。
「仲はいいのかな? あまり喋る人じゃないから、わからないけど」
「子どもとは」
「結夢はいい子よ。聞き分けがよくてね」
「そうだ。結夢って夢が結ぶって書くの、次夢と同じ夢」
夢が結ぶか。僕は次の夢、二の次なのに、夢が結ぶ。叶うことを前提にした名前だ。嫌な気分だな。
「仲良いんだね。色んなところに行ってる」
「うん、不自由なく育てたいって思って」
不自由なく。僕は不自由を強いられてきたのに?
たとえ自由だったとしても、一人だったのに?
父親が居て、母親がそばに居て、それだけで僕よりも恵まれているのに、それだけに飽き足らず僕が手に入れることが出来なかった思い出も持とうとするの?
この娘はこんなに小さいのに僕が欲しいものを全て持っている。
「次夢はお母さんに任せちゃったから」
おばあちゃんに任せたんじゃない。おばあちゃんが居ない日も僕は一人で生き続けた。寂しくても僕は小さい体で生き続けた。小学生からずっと、僕は一人で生きてきた。
一人で、自分で選んだ漫画を目標にして安全綱にして生き続けて、こんな楽しいことなんて少ししかない世界を一人で歩み続けたのに、母はどこか他人事で自分がここまで育ったから成功だと思っている。そんなの、ないだろ。
僕は僕で生きただけ、僕は普通に生きることが出来ていたら漫画家になんてならなかった。成功はしなかったけど失敗もしなかった。ただ、普通の人生を生きていくことが出来た。世俗に骨を埋められた。
なのに、僕が成功したからって母親が成功した顔をしているのは許せない。どうしても心がざわついてしまう。
僕は僕の人生を大事なものと思うことは出来ない。どうしても過去に囚われてしまう。今あるものも大切にせず、過去だけを見続けてドツボにハマり続ける。そんなことはわかっている。でも……何か、忘れて、あぁ、心美か、忘れていた。話さなきゃな。帰る前にそれだけは
「……母さん、話があるんだ」
事の顛末を話すと母は喜んでいた。僕の人生なんて見たことないくせに、断片を見て何が面白いんだよ。本当に何もない。
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