第6話 無価値人間と錨

「お待たせしました」


 驚愕館に訪れて、案内された部屋で待っていると外から二人の男が入ってきた。一人は三十代の眼鏡をかけた男性、イメージ通りの編集者と言う見た目の細身の男性。もう一人は恐らく四十代後半の強面の男性、表情だけで相手を威圧するような迫力に満ちた男性だ。


「よ、よろしくお願いします」

「はい、私はジャンボコミックの編集者をしてる南平です。よろしくお願いしますね」


 眼鏡をかけた男性から、ジャンボコミックのマークが書かれた名刺を渡された。南平和生という名前と役職、メールアドレスなどが記載されている。名刺を渡されたから返さなきゃと思ったが、そもそも名刺なんて持ってないことに気付いた。


「久嶋次夢です。ペンネームと本名が一緒で……あ、名刺、無くて」

「大丈夫ですよ」

「こちらがジャンボコミックの編集長、実栗康生です」

「よろしくお願いします。お会いできて光栄です」

「あ、こちらこそ」


 やっぱりお偉いさんだった。名刺を受け取って内容を見ると名だたる経歴が書かれている。


「凄い……」

「あまり経歴とかを書くのって嫌いなんですが、こんな人だってことを伝えられるかなと」

「よ、よろしくお願いします」


 お二人が席に腰をかけると、突っ立っていた僕に座るように手を向けた。


「さて、本題に入りますが、読み切り掲載について、書面でもお伝えしたことをもう一度、確認させていただきます」


 南平さんはDNで送ってきた内容とほぼ同じ内容を伝えられた。


「ここまではご存知かと思います。ここからが本題ですが、久嶋さんには連載をしてもらおうと考えています」

「れ、連載……ですか?」


 聞くことはないだろうと思っていた言葉に耳を疑った。思わず聞き返すと南平さんは静かに頷いた。


「実栗さんが久嶋さんの作品を非常に気に入りまして、編集部員に勧めたところ絶賛の嵐、この才能を他に取られる前に……と言うのが本音です」

「世間のことを考えなければ、今すぐにでも連載を開始したい。しかし、すぐに連載した時の世間の反応は厳しい」


 当たり前だ。僕の漫画を読んでいる人なんて限られている。読者の中で僕のことを知っている人なんて存在しないに等しい。比喩ではなく、文字通り存在しない。

 そんな無名を連載させれば、コネだ何だと騒がれてジャンボコミックは炎上してしまう。


「……十分、承知しています」

「ご理解ありがとうございます。そこで、読み切りを掲載し、その反応によって連載に繋げていこうと言う試みです」

「そのため、連載確約というわけではなくて……申し訳ありません」

「や、やめてください」


 南平さんは頭を下げて謝った。連載のつもりで来ていないから、謝罪された理由が理解できなかった。その行動に思わず、あたふたと手を動かしてしまう。


「連載のつもりじゃないですし……読み切りが載るだけでありがたいです」

「ありがとうございます」

「読み切りについてですが、普段の久嶋さんの作風でお願いします。ジャンボコミックの読者層はご存知ですか?」


 ジャンボコミックの読者層は主に少年誌よりも少し上、中学生以上のヤング誌だ。しかし、実際は10代後半から20代後半、特に大学生が読んでいる印象がある。中でもサブカル系に精通した人に人気で、読者から神格化される作品を多く排出している。


「ヤング誌ですが、メインは大学生から20代後半まで……と認識してます」


 考えていることを口に出すと南平さんは静かに頷いた。


「久嶋さんの作風はメルヘンとリアルの狭間、幻想的な表現でリアリティのあるドラマを描く内容が主ですが、それを崩さずに自由に書いていただきたいです」

「もちろん、私たちも培ってきたノウハウを駆使して最大限サポートします。その上で読み切りの原稿を書いていただきたいです」


 南平さんは頭を下げた。こんな無価値人間に、頭を下げた。僕は無価値だけど、南平さん、実栗さんみたいな価値のある人間が僕に価値を見出してくれた。彼らの価値観を、彼の下げた頭を裏切ってはいけない。

 社会から浮いていた僕の手足に鎖が絡みつき、錨を下ろした。もう、適当には生きられない。


「よろしくお願いします」

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