第4話 嫌な汗がびっしょりと
嘘のような出来事を飲み込めなくて、日が明けた。ずっと、ドキマギして、ずっと上の空で、バイト中に何度もミスをした。
昨日、ここちゃんが僕に対して言った言葉、僕はその返答を来週までにしなければいけない。これまでに何度か告白されたことはあるけど、大体がよく知らない人で、虚像でも知っている人から告白されるのは初めてだった。
もしかしたら、妄想と現実の区別がついていないのかと思って、写メ日記を見たら確かにお店を辞めることは書いてある。となると、お店を辞めると言われて、都合のいい記憶を作り出したのかもしれない。
ただ、後回しにした記憶が残っているのは確かであり、来週、お店に行って相手から答えを求められたら返さなければいけない。付き合う、付き合わないと言う極めて簡単な返答ではあるが、付き合えるほど、メンタルが充実してるかと言うと頷くことは出来ない。
最も誰かと付き合うことでメンタルが安定するかもしれないが、どうにも不確定なことで相手を不幸にはしたくない。それに、定職についているわけでもないし、幸せに出来るわけがない。
「次夢くん、ちょっといいかな」
休憩室に入ってきた店長が僕に向けて手を招いた。
強烈なデジャブを感じた。昨日と同じだ。
店長から呼ばれることなんて、面倒事か叱責に限られる。丁度、昨日当欠してしまった。そのことについて言われるのかもしれない。
ただ、呼ばれた以上、断ることも出来ない。
渋々、立ち上がろうとすると店長は「そのままで大丈夫」と言い、僕の真向かいに座った。
「昨日は大丈夫だった?」
「……すみません、頭痛が酷くて」
「寝れてる? 最近、くま酷いけど」
「ちょっと寝れてなくて……」
「大変だと思うけど、寝れる時は寝てね」
店長はかなり僕に好意的に接してくれている。理不尽に叱りつけるタイプではないが、僕には特段気に掛けてくれるような気がする。
この店長との関係は長く、高校を卒業して働き始めてから辞めずにここに居る。だからこそ、バイトリーダーとかを任されてるし、そういうところで道具として優秀だからこそ、僕に優しくするのだろう。
「本題なんだけど、社員にならない?」
「今すぐ決めなくていいんだけど、社員の人に君の話をしたら興味持ってくれてさ」
「社員になって欲しいみたい」
「確定ではないけど、取り敢えず情報共有って感じ、考えといてね」
店長は忙しそうに帰っていった。
半年くらい前に就職先が見つからないという話をしたことを思い出した。きっと、店長はいい人だから気を回してくれたのだろう。ただのバイトではなくバイトリーダー、だからこそ、気を回して紹介しやすかった。ただ、それだけの話だけど、ありがたい。
ここの社員になりたいかは抜きにして、何も上手くいかない状況に身を埋めているとどこかに収まり、普通の人生に合流したい気持ちもあった。だからこそ、この誘いは僕にとって道筋になるような誘いだったが、本心はそうもいかない。
昨日、今日と未来に続く道筋、成功体験があった。だからこそ、心のどこかで「漫画だったら」と思ってしまう。
漫画、高校の時に趣味で書いて公募に出したら紙面に名前が載った。絵も乗らず、文字も小さかった。でも、それが初めて自分を肯定してくれた気がして、僕は漫画に傾倒するようになった。
バイトをしながら、漫画を書いて、賞に出したり、ネットに出したり、自費出版したりした。ただ、どれもこれも中途半端だった。
最初の成功体験以降、何も芽吹かない。次第にそれが僕の呪いになって、身動きが取れなくなってしまった。だけど、半年前、急に体が動かなくなり、漫画と決別した。僕と漫画の苦しみの連鎖は終わり、それと共に僕は堕落していくのだと思っていた。
「まともに……」
なりたくない。まともになんてなりたくない。ずっと、浮世離れして、蓮の葉みたいにぷかぷかと浮かんでいたい。それなのに、世界は僕をまともな世界に押し込める。出来るなら、漫画で人の世の離れて、静かに生活したい。
ぶーぶーとスマホがポケットの中で震えた。
画面を覗くとSNSのアイコンと共にDMの内容が映っていた。アイコンの横にはジャンボコミックと書かれており、咄嗟に開くと公式マークがついていた。ジャンボコミックは大手の出版社、驚愕館が抱える有名レーベルだ。
僕なんかに用がある企業ではない。
もしかしたら、過去に投稿した作品が何かしらの著作権に触れていたのかもしれない。そう思って、DMを恐る恐る確認すると『掲載』『ご依頼』の二文字が見えた。嘘のような内容が過ぎる。
好奇心を抑えきれず、DMの内容に目を通した。
中身は要約すると『うちの出版社で読み切りを掲載しないか』ということだった。理由として色々なことが書かれていたが、強調して書かれていたことは『SNSで掲載されている作品に惹かれた』ということらしい。
僕の元に訪れた転機なのは間違いない。告白、社員勧誘、そして読み切り掲載、ありとあらゆる転機が自分の元に訪れている。高校を卒業してから選択なんて数えられるくらいしかなかったのに、立て続けに人生のターニングポイントとも言える選択が現れた。
「めんどくさい……」
昨日、注入した元気が目減りしている。
読み切り掲載に関しては宿願だ。ようやく、前に進める。だが、推進するには燃料が必要で、僕にとっての燃料は元気だった。
こんなにも前は輝いているのに、影に居た時間が長すぎて眩しすぎて前に進めない。即答すべきなのに文字が打てない。指が石のように重い。
「……しんどい」
嫌な汗が体から浮かんできた。下着がびっしょりと濡れている。気持ち悪い、家に帰ってお風呂入りたい。今日はそのまま、眠ってしまいたい。
「帰ろう」
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