第3話 風が吹いたら倒れるような
「好き、好き」
「私も好き」
「愛してる」
偽物の愛を囁く。泡姫、金銭の授受、この世で最も確固たる関係。男と女ではなく、客とキャスト、絆とか友愛とか愛情とか風が吹いただけで揺らいでしまう関係よりも安心して身を任せることが出来る。
一通りの業務を終えると、心に渦巻いていた霞が晴れて、元気がある程度、充填された。経験則、一週間くらいは多幸感で元気は持つ。
最も、月二回程度しか来れないから、一週間を超えるとここに来るまでみたいな鬱屈とした状態に陥ってしまう。けど、来ないよりはマシだ。
「楽しめた?」
ここちゃんはこのソープの嬢、トキのような薄紅色の髪色が特徴的だけど、顔立ち自体は特筆すべきところはない。不細工ではないが、美人ではない。ただ、愛嬌はあるから可愛いとは思う。日記を読む感じ、特別、人気な嬢ではない。だからこそ、好んで指名してるって節はある。
人気で暇無く抱かれている人よりも、人気がなくて暇してる人の方が好き。出来る限り処女に近い方を選びたい。そんな気持ち悪い歪んだ欲望だ。
「良かったよ」
「私も良かった」
ここちゃんは看護学生らしい。実際、学生設定にしてるだけで看護学生ではないと思う。学生と言うのは推してくれるためにお誂え向きの設定だし、風俗嬢の自分とリアルの自分を切り分けるための設定なのだろう。
看護学生のここちゃんは、リアルで生活をする『知らない実名』よりもよく知っていて、僕の中では確固たる現実だ。
「あのさ、ちょっと、話があるんだけどさ」
あのさと言われて身構えた。何か指摘する時の言葉だから。
何か不快な思いをさせてしまったかとか、考えてみたけど彼女と関わる時は細心の注意を払っていた。存在が嫌とか、顔が嫌いとか、そう言うことから難癖をつけられる可能性はある。けど、何回も利用してる。今言われるとは思えない。
「お店辞めるんだぁ」
「え、や、辞めるの」
予想外の返事に慌てる僕を見て、彼女は楽しげに目を歪めた。
「い、いつから?」
「今月まで、実習始まるんだ」
彼女は終わり際まで虚像を見せてくれるようだ。終わりなんだから、もうどうでもいいのに。
「でさ、会えなくなるじゃん?」
「あ、うん、寂しくなるね」
「寂しい?」
彼女はまた、半月のような瞳で微笑みかけてきた。彼女のどこまでも明るく幻惑的な表情に惑わされつつも、彼女の表情に寂寥感がないことに傷つく自分も居た。
わかっていたことだけど、彼女にとって僕は客の中の一人でしかない。客とキャスト、望んだのは僕だけど、どうしても哀しみは募ってしまう。
せめて、彼女の変化を祝ってあげよう。そんなささやかな善心で、表情を慣れない笑顔に歪めた。
彼女ら僕の表情が面白かったのか、くふふと笑い出す。
「笑うんだね。似合わない」
「似合わない?」
「うん、似合わない。笑ったことないでしょ」
「少ない方だと思う」
「だよね。いつも、不満そうで、楽しくなさそうなのに、エッチするときは一生懸命に愛を囁く」
「そう見えてる?」
見え隠れする彼女の悲しさに気付いてしまった。
「ニヒルな感じなんだけど、寂しそうで、満足してなくて」
「全部嫌になってそうな目、その目が好き」
何も気付かないようにしろ。言葉と表情に一喜一憂するな。相手が抱いていない感情を深読みして、何回、傷つけられた。何も学習せず、深追いして、深掘りして、何度も何度も嫌になっただろう。
感受性を遮断して、人形になれ。
「付き合わない? お店辞めたら、お客さんじゃなくなるし」
パッと顔上げて彼女の顔を見た。これまで、見たことがないような恥じらいを抱えていた。俯いて、目を伏せて、でも瞳は僕を見て、口を噤んで、眉を下げて、耳を赤らめて、静かに答えを待っている。
「……に、二週間後まで待ってほしい」
逃げた。考えたくもない。風が吹いたら倒れるような関係を考えたくもない。
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