第12話 こんこん。ドアをノックされたので、
こんこん。
ドアをノックされたので、するりとユリアがそちらに向かいました。この部屋に来てノックをするのは、ダーヴィド様かハッリでしょう。ですから、ユリアが応答するので良いのです。
まだわたくしは、この家の住人ではありませんから。応答することも出来かねます。
「ダーヴィド様がお迎えにいらっしゃいました」
ユリアが戻ってきて、そっと教えてくれます。
「わかりました」
お出かけから戻ってきたときに着替えた部屋着は、確かに少し楽なものですけれど。それでも実家にいた時ほど気楽なものではありません。わたくしの中ではお出かけ着に含まれる程度にはちゃんとしたものです。
ですから、そのまま、ダーヴィド様のエスコートを受けてお夕飯の席まで行っても問題がありません。
最初の日、わたくしの持ってきたこの部屋着に、ユリアたちは驚いておりました。アハマニエミ伯爵家では、これが部屋着なのかと。
フィルップラ侯爵家には女児がおりませんでしたから、分からなかったようで。こっそりと、新しく部屋着ということにして卸したお出かけ着であるとお伝えしましたら、ほっとされていました。
それは、そうでしょう。お出かけ着であっても良い仕立てのものを部屋着とするとなると、お金のとてもかかる奥様になってしまいますもの。
けれど伯爵家の娘が。侯爵家にお見合いに来ているのですから。こういったものを部屋着とすることになるのは、致し方のない事なのです。もっとも、侯爵家に仕えるもの達は下級とはいえ貴族の出も多いので、わかって頂けましたけれど。
ダーヴィド様にエスコートされて、一階の食堂に参ります。贈って頂いたご本は、わたくしたちが夕食をいただいている間に、一階の応接室にユリアたちが運んでおいてくれることでしょう。
お夕飯は貝のオムレツに、兎のお肉のパイ。
ダーヴィド様とは、舞台のお話をしたりして、楽しく夕食の時間は過ぎていきました。
応接室の一つへ移動して。勿論、たとえ短距離であっても、ダーヴィド様にエスコートしていただきます。
わたくしも、ダーヴィド様も。エスコートするのもされるのも、慣れなければいけませんから。たとえ相手が誰であっても、勿論できますけれど。そうではなくて。
夫婦ですとか、婚約者ですとか。そういうのが一番、丁度よくエスコートできるべき、という風潮があります。ですから、お披露目の時のための練習ですね。最短は明後日ですけれど、それはお披露目のお式で身内しか来ないので数えなくてもよろしいでしょう。次は、王宮の夜会かしら。
腕の位置ですとか、歩幅ですとか。今は意識しないと丁度良く、出来ませんけれど。いつか両親のように、丁度よくできるようになりたい、というのが、貴族子女のちょっとした憧れだったりします。
ローテーブルの上には、買っていただいた本の包みが二つ。ハッリとその奥方、それからユリアと、興味のあるメイドたち。顔も知らぬ方もいらっしゃいますけれど、わたくしはおすまし顔です。
食後のお茶の類は、ハッリの奥方のそばのワゴンに置いてあります。まだカップには淹れられておらず、きっと、ポットにも入れていないでしょう。だって渋くなってしまいますもの。
ダーヴィド様はゆったりと向かいのソファに深く腰掛けています。開けるのは、わたくしにゆだねて下さっているのでしょう。
「皆も楽しみにしていることだし、開けてから、明日について話そうか」
「ええ、そういたしましょう」
ここで明日の事を先に相談、となったら、メイドたちからブーイングが起きそうですもの。私がメイドでも、文句を言いたくなりますわ。
わたくしはそう言って、一つ目の包みに手を伸ばします。包装してある布は赤。小さく、店名が刺してあるきりです。寡聞にして知りませんでしたけれど、こんなことが出来る程度には、有名店なのでしょう。
包まれていたのは、イラリの書いた三作目の脚本の、第二版でした。この回が大ヒットをし、超ロングランになったのです。少しずつ手を加え、確か八年ほど上演されていたはずです。
「まあ! この回、お祖母様のお気に入りだったの!」
黒い革の装丁に、銀の飾り文字。ちょっとかすれてしまっている所もありますけれど、それはそれで風合いがあってよいと思います。
お祖母様がとてもお好きで、実家の書庫に数冊御座います。これは、フィルップラ侯爵家の書庫にないのであれば、こちらの蔵書にいたしましょう。
「それでは、ご実家に持って行かれる?」
「いいえ、実家は書庫にありますわ。お祖母様、何度か興業掛けられましたのよ」
お願いをすれば、劇団の皆さんがこの演目をやってくださるのです。領地でのお祭りの際、良くかけられておりました。ですから、アハマニエミ伯爵領では、みんなよく知っています。
ですからフィルップラ侯爵家の書庫に、とお伝えしたら、メイドさんたちが喜んでおりました。どうぞ皆様でお読みになってね。
それとも、わたくしが読書会を開くべきなのかしら? 後でユリアたちに相談してみましょう。
フィルップラ侯爵家ではどうかわかりませんけれど、メイドが書庫の本に触れるのを嫌がる家もあります。別に彼女たちが、現在勤めている彼女たちが何か粗相をする、というわけではないのですけれど。大体そう言うお家は過去に何かあって皆が過敏になっているのです。
それに、この革の装丁の本を自室に持って帰るのは、ちょっと勇気がいりますしね。
もう一冊は、緑色の光沢ある布に包まれています。こちらに入っていたのは、先ほどと比べると小さい本。そういえば気にしませんでしたけれど。戯曲も詩集も、厚さや大きさ、装丁などが違うはずです。そういったところで、わかる方もいるのではないでしょうか。
わたくしは、お店の方に選んでもらってしまいましたけれど。
この本は、詩集でした。そうです。アーダ・ヤコイラの! 『赤い薔薇には棘があるが』です。
表紙に描かれているのは棘のある枝を持った赤い薔薇です。もしかしないでこれは、初版ではないかしら?
「ねえどなたか。どなたかわたくしの代わりに確認してくださらない?」
どなたか、といっていますけれど、視線はハッリの奥方に向かっているのは否めません。ダーヴィド様が分かるのでしたら、ダーヴィド様に確認していただいてもよいのですけれど。
「ではわたくしが」
ウキウキと、という表現がぴったりと当てはまるように、ハッリの奥方がこちらへやってきてくれました。メイドさん達も、目をキラキラさせて見ています。多分、わたくしも同じようになっているでしょう。
「失礼して」
「ええ、お願い」
ハッリの奥方に本を手渡して。彼女はぺらりと、表紙をめくりました。
「ああ!」
そうしてその唇から飛び出すのは感嘆。
「おめでとうございます、お嬢様! 初版ですわ、これは初版です!」
「まあ! ダーヴィド様、ありがとうございます!」
これが結婚後であったのなら、抱き着いてキスの一つでも、お母さまがお父様にやっているように、するくらいの喜びです。けれどまだわたくしたちは婚約者ですらないのですから、お礼を口にするにとどめるしかできません。
ハッリの奥方はそっとテーブルに本を置くと、元居た場所に静かに戻っていかれました。
「喜んでいただけたようで何よりだ。贈り物で喜んでもらえるのは、なんとも嬉しいものだね」
ダーヴィド様は穏やかにほほ笑んで、こちらを見ておられます。ちょっと、気恥しいですね。
気を取り直して、明日のお話です。
ローテーブルの上に置いてあった本をユリアが恭しくわたくしの部屋と持ち帰り、ハッリの奥方がわたくしたちにお茶を供してくださいました。今夜よく眠れるようにと、ハーブティーだそうです。
明日は、ダーヴィド様のご両親がこちらのお屋敷にやってきます。そして、さらに翌日に、フィルップラ侯爵家にてお披露目のお式を行うとの事です。
わたくしはてっきり、明後日ではなく、もう一日後にお披露目のお式だと思っておりました。明後日は自宅に帰って、その翌日にこちらに伺ってお披露目のお式だとばかり。
「明日、私と一緒に両親を出迎えて貰いたい」
「承りました」
王命とはいえ、年頃の男女が一つ屋根の下でお目付け役であるご両親がいらっしゃらない状態ですもの。フィルップラ侯爵様は気が気ではないでしょう。それとも、ダーヴィド様の事を信頼しているからお気になさっていないかしら?
それらもすべて、明日会えばわかりますわね。
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