第3話 「ご滞在の間、ビルギッタ様のお世話をさせていただくことになりました、ユリアと申します」

「ご滞在の間、ビルギッタ様のお世話をさせていただくことになりました、ユリアと申します」

「そう、よろしくね」


 ダーヴィド様を見送ったわたくしに、これからしばらくわたくしが暮らしていく客室で待っていたユリアが頭を下げてくれました。わたくしは一人掛けのソファに座って、一息ついたところ。ふぅ。


「お茶にいたしましょうか」

「助かるわ」


 今回はお呼ばれなので、メイドは連れてきていません。もしも本当にお嫁入することになったら、何人かには着いてきてもらうことになるのでしょうけれど。

 だから現在、わたくしの一週間ほどの滞在分の荷解きを行っているのは、フィルップラ侯爵家のメイドたち。

 ユリアは暖かいお茶を入れてくれました。お砂糖を入れて飲むこともあるけれど、わたくしはそのまま飲むのが好きだとユリアには伝えて。この後ダーヴィド様とサロンでお茶を飲むのですけれど、まあ特に問題はないでしょう。伊達にお茶会で鍛えられておりませんわ。


「ダーヴィド様も、お砂糖はお入れになりませんね」

「あら、おそろいだわ」


 ふふ、と声を出して笑う。


「政略結婚とはいえ、仲良くしたいものだわ」


 別にフローラ様からお借りしたご本のように溺愛されたい訳ではないけれど、いえやっぱりほんのちょっと憧れはありますけれど。そうではなくて。

 わたくしの両親も先王陛下からの王命による政略結婚であったことが昨夜分かりましたけれど、二人は仲が良く見えました。わたくしも、ああありたいと思うのです。

 恋愛感情は互いに持たなくてもよろしいので、反目したりはせず、それなりに仲良くできれば、と思うのです。やっぱり、憧れはありますもの。


「まあ、こちら、ヘリスト伯の所の最新ドレスではございませんか?」

「ええ、姉の嫁ぎ先になりますわ」


 それは先だって姉が発見した、正確に言うと姉の嫁ぎ先の領地のとある村に視察に行った際に、現地の子供たちと遊んでいた際に発見した塗料で染められています。その村の人たちにとってはよく使う色であったようだけれど、姉の手に、これも正確に言えば姉の嫁ぎ先の領地の職人の皆さんの手にかかれば、黒のように見える、深い青になった。藍よりも、深く。けれど、黒よりは青く。まだ完全には暮れ切っていない、夜空のような。

 夜会に着ていくようなドレスよりはレースが少ないけれど、ワンピースというには少し高級な仕上がり。総レースの同色のボレロを羽織れば、気軽な間柄の夜会には着て行ってもいいかもしれない。

 それよりは、お茶会などに着て行く方が向いている。もしくは、歌劇に行くなどの気合の入ったお出かけとかかしら。

 姉から、わたくしに送り付けられてきたものです。王都で着用して宣伝するように、という意図であろうことは特にカードはついておりませんでしたけれど、察して余りあります。ありがたく、乗っからせていただいていますけれどね。


「まあ! あちらは今、色々な新作ドレスが飛び交っておりますでしょう」

「羨ましいです。……いいえ、フィルップラ侯爵家にお嫁に来ていただければ、沢山みられるのでは?」

「そうですね! お嬢様、ダーヴィド様をよろしくお願いいたします!」

「ええ。いえ、そんな理由でお願いされてよろしいのかしら」

「坊ちゃまはお優しい方なのですけれど、いかんせんお忙しくて」


 どこのお家に勤めるメイドであっても、やっぱりお喋りが好きなようです。我が家のメイドたちも、よくさえずっておりますから。問題のない会話であって、そして手を止めなければ特に怒られはしません。

 そして皆様、てきぱきとわたくしの荷解きを終わらせてしまいました。あるべきものを、あるべき場所へと収めると、一礼して部屋を辞していかれます。

 それからしばらくして、玄関先でお出迎えをしてくださった執事の方が、わたくしを呼びに来ました。お名前はハッリさんとの事。呼び捨てで構わないと言われましても、悩んでしまいますね。だって今はまだ、わたくしはお客様ですので。

 そうそう。サロンの方に、お茶の用意が出来たそうです。


「伺いますね」


 と言っても、サロンの場所を知らないので、案内していただくしかないのですが。

 階段を下りて一階へ。エントランスの反対側が、サロンになっておりました。まあ、大体建築様式的に、こちらになりますね。

 子供の頃、両親が親しい方を呼んで食堂で晩餐会を開いて。その後、サロンで歓談しているのをお姉さまたちと二階の自室前の廊下から覗いていたものです。


「お待たせいたしました」


 ハッリさんにサロンのドアを開いて頂いて、中へ。中ではすでに、ダーヴィド様が待っておいででした。というよりも、先ほど別れた後ここで作業をなさっていたのでしょうか。

 開いたカーテンからは自然光が入っていて、部屋は明るく。今の季節、暖炉に火は入っていません。

 ソファは最近流行の木枠タイプのものです。白木が人気なのですよね。お母様と一緒にお父様におねだりをして、我が家のサロンにも導入していただきました。流石はフィルップラ侯爵家です。


「いや、」

「坊ちゃま」

「ああ、テーブルの上が片付いていなくてすまない」


 ダーヴィド様は立ち上がってわたくしをエスコートしようとしてくださいましたが、その前にハッリさんにたしなめられました。ノックされた時点で、テーブルの上を片付けなければ確かにいけません。自宅に持ち帰る仕事に重要なものは含まれておりませんでしょうけれど、もしかしたら国に関することではないのかもしれませんけれども。

 少なくともわたくしは、まだ奥様ではないのですから。そもそも本日初めてお会いしたお客様ですので。


「ダーヴィド様はお疲れのご様子ですから、手早く終わらせてしまいましょう」


 簡易にテーブルの上の書類をまとめて、ひっくり返しておいてから、改めてわたくしをエスコートしてくださる。

 エスコートされたのは当然、別のソファセット。おそらくダーヴィド様は最初からそうするおつもりで、あちらの書類がそのままだったのだろう、とは、思うのですけれど。

 まあ、それを叱責するのは、わたくしの仕事ではまだありませんわね。将来的にはお咎めするかもしれませんけれど。

 いいえ、その頃にはきっと何の書類かを尋ねても許される身分になっているでしょうから。きっと叱責はしないでしょう。ため息はつくかもしれませんけれど、お母様や、お姉さまたちのように。


「お気遣い、感謝する」

「お気になさらないでくださいな。父も似たようなもので、よく母に怒られておりますもの」

「アハマニエミ卿が?」

「ええ。家では外向きの気遣いはしたくない、といつも仰っておいでですわ。いえそうではなく」


 ついうっかり、お父様の話題になってしまった。共通の相手の話題は盛り上がってしまうから、仕方のないことなのでしょうけれど。ごめんなさいね、お父様。

 ソファセットに向かい合わせに座って、談笑している間にお茶とお菓子が供されます。グラスに入った温かくはないお茶に、お花の形のクッキー。中央には、ジャムが盛られていて。それも、色とりどりのジャムで、とても綺麗。フィルップラ侯爵家の料理人の方は、とてもきれいな感性をお持ちなのだわ。


「わたくしは昨夜、父より陛下からの王命による政略結婚である、と伺いました。相違ございませんでしょうか」

「その通りだ」


 壁際に控えたハッリさんが息をのむ声が聞こえた。あらいけない、ご存じではなかったのかしら。でもそれだと何と言ってわたくしを受けれたのか、とても気になるわね。ちょっと後でユリアにでも聞いてみましょう。


「特に問題がなければ、一週間後にお披露目のお式を行い、婚約者になるとの事です。不束者ではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします」


 わたくしはそう言って、ソファの席に座ったまま頭を下げます。貴族の家に生まれたのですから、政略結婚は致し方のない事です。勿論できればフローラ様からお借りしている物語のようにいきたいですけれど、どうしてもお家の事はついて回りますから。

 それも含めて愛されるなんて、素敵ですけれど。


「貴方はそれで、よろしいのですか」

「ええ。今現在婚約者もおりませんし」


 いたら陛下だって、ご下命を下しやしないでしょう。いない少女の中で、選ばれたのだと思っております。いくらなんでも、陛下の友人であるお父様の娘だからなんてことは、そうそうないとは思うのですけれど。


「特に恋い慕う相手もおりませんから、ダーヴィド様を愛することが出来ればよいと、思っております。それともダーヴィド様には、想うお相手が?」


 例えば地位の低い方であるとか、娼婦であるとか。だから結婚をすることが出来なくて、わたくしに身代わりというのは違いますわね。表向き? の妻になれ、というのであればお断りしたいところですけれど。


「いや、私の方もそういうことはないけれど、あなたぐらいの年頃であれば、縁談も沢山来るでしょう」

「以前は来ておりましたけれど。その」

「お伺いしても?」

「ええ、お伝えしないのは、よろしくないですわね。父が、お断りの連絡をしてしまうようなんですの」


 数年前までは、よくお茶会をしていた。お姉さまたちのお茶会に参加することもあったし、お母様たちのお茶会に伺うこともあった。女性のみのお茶会の場合もあれば、特にお母様方の世代のお茶会に参加すると、そのお家の娘さんや息子さんに紹介されることが度々ある。

 フローラ様だってヘイディ様だって、そうやってできたお友達ですもの。偶然を装って、装えていないと思うのですけれど、ご子息に引き合わされたこともありますし、ちょっといい感じになったことももちろんあります。

 お手紙をいただいて、お返事をお送りして。それと同じくらいの時に、お父様がお断りのお手紙を送ってしまう。と、お母様が嘆いていらっしゃった。


「ここだけのお話ですけれど、王太子殿下のお妃候補だったこともあったのです。あの頃はみんな、誰もが、候補だったのですけれど」


 ふふ、と笑っておく。本当のお話ですもの。

 わたくしが王太子殿下のお妃さま候補だったのは五歳の時。特に王太子殿下と親しくなることもなく、一度だけお茶をして終わった。一緒にお花を見たわ。

 その後、確かわたくしが七歳くらいの時に、王太子殿下の婚約者がキーア・ヒーデンマー侯爵令嬢に決定したと伺った。キーア様にお会いしたことありますけれど、とてもいい方でしたわ。本当に、未来の王妃様に向いていらっしゃる方で。


「殿下の? じゃあその頃に、お会いしているかもしれませんね」

「そうでしたわね。あの頃は、皆で遊ぶ形式でしたものね」


 王城のプライベートスペースにあるお庭で、王太子殿下のお友達候補と、お妃候補がまとめて遊ぶ日、というのがあったのだ。わたくしも確かそれに参加した、のだと思うのですけれど。生憎、子供の頃の記憶はそれほど鮮明でもなく。


「それでは、話を進めていただくように、伯爵にも連絡をしておきます。出来るだけあなたの要望にも応えたく思いますが、ビルギッタ嬢のご尊父である伯爵と同じように、私も城に詰めていることが多い」

「はい。ですから選ばれたのだと思っておりますわ」


 帰って来ないことが当たり前で、勿論お体の心配は致しますけれど、浮気をしているのだとかそんなことの心配はしなそうな、お相手として。本当にお城にいるのかどうか、実家のお父様に確認すればいいだけですものね。


「ご理解感謝します。出来うるだけ、朝食と夕食は共に取りたいですが、無理な時には連絡いたします」

「ありがたいことですわ。別の場所で食べるにしても、必ず何かは食べて下さいましね」


 こちらに訪れる前に、お母様に入れ知恵をされていますの。邪険にされなければ、必ずそう言いなさい、と。

 正直なところ、現時点ではダーヴィド様の健康に興味はありません。いい年をされた大人なのですから、それくらいご自身で判断できるでしょう。と思いますけれど、けれども、婚約者になる相手からの可愛いおねだり、だとすると、王太子殿下の側近の皆様もご飯にありつけるようになるかもしれない。とお母様に言われてしまえば、わたくしが泥をかぶるくらい問題ないと思ってしまいます。


「そちらからは、なにか」

「三日後に、夜会がありますでしょう」

「ああ、クリスタ殿下の」

「わたくし招待を受けているのですが、ダーヴィド様がエスコートしてくださいますか? それとも一旦実家に戻りますか?」

「…………。私がエスコートいたしましょう」

「ありがとうございます。実家にはそのように手紙をしたためますわ」


 ダーヴィド様は少し考えこむ仕草をなされた。別にわたくしのエスコートをしたくない、と思っているわけではなく、単にご自身の業務状況を考えられたのだと思います。お父様もよくされるもの。

 ダーヴィド様がエスコートしてくださるのなら、実家からドレスを持ってきてもらわなければいけません。それともやはり一旦実家に戻り、お迎えに来てもらうべきかしら?

 その辺りは、明日以降に決めればよろしいわね。


「あとその夜会に関しまして、父にお城で会いましたら、ダーヴィド様がわたくしをエスコートしてくださることになった、とお伝えくださるかしら」

「構いませんが、意図をお伺いしても?」

「母にも招待状が来ています。ご存じとは思うのですが、父は立場上陛下のお側に侍ることが多いでしょう。母はわたくしやお姉さま方と一緒に入場いたしますが、わたくしがダーヴィド様にエスコートされてしまいますと、一人になってしまいます」

「なるほど。お伝えしておこう」


 本当はお父様や陛下が配慮しなければいけない問題をまだ知り合いでしかない、お見合い相手のダーヴィド様にお願いするのはどうなの、と思うのですけれど。外野から問い合わせされて、慌てればよいのだわ。


「今のところは、そのあたりでしょうか」

「ありがとう。それではどうか、これからよろしく頼む」

「こちらこそ。よろしくお願いいたします」


こうして、初めての顔合わせは終わりました。

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