#8 ムード・インディゴ ③
日々は流れ、朝は昼に、昼は夕方になる。
街は動き続けている。雲がはやく流れて、行き来する車や人々の真上から複雑な陽の光のモザイクを落とし込んでいく。
ビルの窓が白く輝いて、街中に塔が張り巡らされているようにさえ見える。仕事を終えた操車場では、作業着の男たちが疲れた顔をして歩いている……ニューヘルメスの、ありふれた光景。
誰もが、怪物の躍動など知らずに生きている。
ただ、騒ぎが起こるたびに、一時の注目が集まるが、それだけだ。
誰も彼もが、日々の忙しさのなかに埋没していく。そんな街。
その店の再建は進んでいた。
誰もが突然の事故と、それによる建物の崩壊にショックを受けたが、彼ら曰くのくそったれの日々の鬱憤を晴らすためにも、誰もが助け合った。
硬質な、金属の音が響く。ふもとには、地元の者たちが大勢集まっている。
「……ふう」
ハバキは額の汗をぬぐう。
彼はいま、店舗の修繕の最終段階を手伝っていた。
「おい、そこのやつ。とってくれ」
「分かった」
コートはとうぜん使えない。
その真下に着ていたタンクトップと、ヘルメットの姿。鍛えられた身体に疲労が染み込んで、ひどく喉が渇く。はやいところ、終わらせたい。
「おおー、すげぇな、にいちゃん!」
「エダは、良い買い物をしたってもんだ!」
真下から声が響く。群衆がつどっている。見知った顔がいくつもあった。
あの日、この店に居た者たちだ。
今朝のことを思い出す。
「……たのむ。力が必要なんだよ」
アロハシャツをした、小太りの男。『ここら一帯の御用聞きだ』と自分のことを呼んだ男。建築業者に任せればいいじゃないかと言ったのはハバキだが、それじゃあ色々と面倒になる、と返したのはエダだった。
そんなわけで、彼に白羽の矢が立ったわけだ。
「……あの店にゃあよ。ろくな奴らが集まってこねぇ。だけど、そんな場所が必要なんだ…………」
――ハバキには思うところがあった。ゆえに、引き受けた。
そしていま、最後の工程が終わった。
拍手と歓声が、地上で爆発する。皆が口々に、ハバキのことをほめたたえた。
「やったぜ、サムライボーイ!」
「次に来た時にゃ、一杯目を奢ってやるよ!」
疲れた男たちと女たちだった。しかし、誰もが、再建された店の看板を見て、喜んでいた。肩を組み、笑い合っている。
何人かが、その輪の中に入るように薦めているのがわかった。むずがゆくなって降り立つと、彼らに気付かれないように、そっと離れる。自分の居場所はそこではない。
「……」
店の裏側に、エダが居た。そしてなぜか、腕を組んで、こちらを見ようともしない。
「なんだ、その感じ」
「君ね、いやぁ、その、なんだ」
彼女が顔を赤らめて、歯切れの悪い口調でいる理由を、ハバキは気付かない。
鍛え、絞り込まれた身体。その表面に刻まれた無数の傷。汗に濡れたそれは、彫像のようであった……が、彼自身は、どうでもよかった。
「もう少し、いろんなことを考えたほうがいい」
「なんのことか、わからん」
彼はそう言ってヘルメットを取り、頭を振って汗をきらきらと飛ばし、スポーツドリンクをごくごくと飲んだ。喉ぼとけが艶めかしく動く。
「……」
エダは変顔をした。ように見えた。実際は呆れていたのだが、ハバキには違いが分からない。
なのでとうぜん、彼に向けられている、群衆からの複数の熱っぽい視線にも気づかなかった。
「まぁいいや。ほら、いくぞ青年」
強引に手を取られる。
「いくって、どこへ」
「決まってるだろう――みんなのところに、だろう」
彼女はまた笑った。ハバキには抵抗ができず、そのまま、皆のいる夕方のひかりのなかに連れ出された。
彼は喝采を浴びて、執拗にもみくちゃにされた。
『謎のサムライ男』は、いつの間にか、『エダの仲間、つまり、街の仲間』になっていた。彼ははじめ抵抗していたが、だんだんとそのやる気を失っていた。
「ほら、お前ら! 動くな、じっとしてろ!」
掛け声とともに、知らない男たちに囲まれ、肩をなれなれしく掴まれながら、フレームの真ん中に収まる。
「……な、青年」
エダの声。彼女はすぐ後ろ側に居た。
「誰もが持つ幸せを、少しずつ拡大させていけば。それでいいんだ…………たとえ、感染者キャリアだったとしても」
なにかに気付く直前に、激しくフラッシュが焚かれた。
その閃光のなか、彼はひとつの光景を思い出す。
――死んだアオイ。殺されたアオイだったバケモノが目の前に倒れていて、組織の研究者たちが、容赦なくカメラをかざした。
被写体となったハバキは、ただの処刑人だった。
……シェンメイが、いない。
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