#7 ムード・インディゴ ②

【ケース3】


「……エライザ・ドリトル」

「なにかな」


 日を改めて。彼の目の前には、いま。


「おにいちゃん、へんなかみがた。おでこ、はげみたい」


 小さな子どもがいる。後ろに撫でつけた髪をしきりに触ってくるが、どうすることもできなかった。ただ中腰で座り、向かい合っていた。

 場所は警察分署のロビー。つい先ほど、ふたりでこの怪獣を保護して、連れてきたのだった。ついでに言うと、現在のハバキはといえば、コートは汚れ、髪は大幅に乱れていた。これまでのどんな戦いよりも体力を使ったという自負があったのだった。


「……なんでおれがこんなこと」

「カタナを使いたくないと言ったのは君じゃあないか。雇用主として、従業員の相談にこたえるのはとうぜんで……」

「どれだけ鼻水つけられたと思ってんだっ!」


 思わず叫ぶ。周囲の者たちの顔が一斉にこちらをむき、静寂が広がる。

 ……しまった。


「…………ぴぇ」

「あ。まずい。ほら、へんがおだ」

「は?」

「いいからはやく」

「…………~~~~~~~~~~~~っっっ」


 その後、ハバキは、恥辱に満ちた時間を過ごした。

 買い物中毒のシングルマザーが血相を変えてやってきたのはしばらくしてからだったし、そのあいだ彼は確かに、一度もカタナをつかわなかったが。

 ダニエルズに感謝され、その仕事を終えたときには、もう夜が更けていた。

 ――ケース3。

 まいごの保護。


 一日、一日。

 日々が過ぎていく。そのなかでハバキは、エダと共に、事務所に持ち込まれるさまざまな『依頼』を受け続けた。

 ときにそれは、学生の宿題を見てほしい、というものから、明らかに反社会的な組織(エダとは旧知らしかった。ダニエルズは黙認しているようだった)の構成員から持ち掛けられるような怪しい運び屋の仕事で合ったりした。

 窓口はエダであり、実行員としてハバキは働いた。彼は明晰な頭脳と、訓練で培った運動神経を存分に発揮した。


 ……夜更けになる時には、彼とエダはへとへとになって事務所に帰還し、シャワーを浴び、飯を喰らった。

 エダの家事スキルといえば壊滅的で、これまでのあいだどうやって生きてきたのかと言われたら、にべもなく『仲間がやってくれていた』と答えた。そして言った。


「あと一日、君が来るのが遅れたら……私は泥酔したまま、路地裏で冷たくなっていたのかもしれないな」

「……」


 これはあとで知ったことだが、エダはそもそも下戸であり、あの出会った日に酔いつぶれていたのは、仲間である『さいごのひとり』が去ったからだった。

 戦闘訓練よりも、初日の『実戦』よりも、なによりも、ハバキにとっては過酷だった。


 しかし、それでも、ソファに身を沈めているときに向けられる、エダの笑顔。

 彼は、それに何かを見出さざるを得なかった。あの日も、そしてあの日も。

 丸くなって眠る、年齢よりもずっと老成しているように見えて、そのじつ、不安定で幼い印象の女。ハバキはかき乱され、困惑し――それがゆえ、彼女のことを、心底、憎むことができていなかった。


 危険な兆候だ。


「えぇ……分かっています。迷いなどありません」


 電話口で、そう告げるものの。


 果たしてそれがほんとうかどうか、彼は自信が持てなかった。

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彼女は、刃搏(はばた)きを手にして。~ふたりの異能事件簿~ 緑茶 @wangd1

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