#6 ムード・インディゴ ①

 それからも、忙しく、そしてハバキにとっては、極めて過酷な日々が続いた。

 エダといえば、すっかり彼のことを助手ないしは『相棒』と認識しているようで、渋る彼を容赦なくこき使った。


「いいのかな。断れば、君は私のちからを見抜く千載一遇のチャンスを失うことになるんだぜ」


 それが殺し文句だった。ハバキは腹芸を教わったことはなかった。

 思えば口喧嘩であっても、アオイに一度も勝ったことがなかったのだ。


【ケース1】ねこさがし


 うちで飼っている黒猫がいなくなったの。

 片手の指がふつうの子よりも多くて、目立つ外見をしているから、すぐわかると思う。

 もう少し詳しく。

 あの子は高いところが好き。それも、高くて細いところ。

 それに――妙な話だけれど、ゆでたまごに、めがないの。


「頑張れ、もうちょっとだ青年、がんばれっ」


 エダの対応。

 ねこさがしそのものは、エダが聞き込み調査。

 結果――とある建設途中のビルの、鉄筋の上にまで登っていたことが判明。

 対応――ハバキを登らせる。ぎりぎりまで近づいて、さらに、カタナの先端(もちろん峰だ)にゆでたまごを載せて、近づく。


「うるさい、し、静かにしろ……」


 なぜ自分がこんなことをと思わないわけもなく、そろりそろりと鉄筋を歩きながら、その先端に座り込んでしまっている猫の注意をひく。確かに片手がいびつな形をしている。幸運を呼ぶあかしだと聞いたことがある。だったら、このままちゃんと大人しくしていてくれ……。

 格闘の末――猫は、ゆでたまごにとびついた。

 しかし、そのとき、足を滑らせる。


「また、このパターンかッ」


 咄嗟に、宙を舞う刃を口にくわえて、猫をわきに抱える。

 落ちる――ぎりぎりで、鉄筋の端につかまる。

 猫は、安心しきったようにゆでたまごを食べ、そののち喉を鳴らしていた。

 十数分後……彼は血走った目で猫をエダに預け、仕事を終えた。


【ケース2】浮気調査


「だから、言ってゆ。すきピ。他におんな居る。やむ」


 エダが資料をそろえて持ってくるまでのあいだ、ハバキは極めて特徴的な出で立ちの彼女に向かい合って話をきいていた。しかしながら、それも限界が近づいていた。服の色が、濃すぎたのだ。


「ね、ね、ね。捕まえて。そしたらあたしが殺すから。殺す。ころすころすころすころすころすころすころすころす…………」


 顔が引きつって、目の前の女をひっぱたきたくなる、アオイの教えてくれたことに、こんなやつのデータは載っていない。そもそもジャンルからして、あまり食指が動かなかった。いい加減にしろ、と――言いそうなところで、エダのインタラプト。


「必ず現場を突き止めてみせますよ。あなたの『好きピ』の……浮気現場を」

「きゃあきゃあ。どうしよっかな。お姉さんが好きピになっちゃいそう。どうしよ」


 ……ハバキは、エダがわずかに冷や汗を浮かべているのを見逃さなかった。

 そして、悪い予感は的中する。


 数時間後。


「ひぎいいいいいいいいい! 殺、殺っ、殺してやるうううううううう!」


 いまその女は、もう一人の女に刃を向けていた。


「あんたなんか、あんたなんかどうせテ〇ラー・ス〇フトが好きなくせに、なんの工夫もない髪型も、カバンも! きえええええええっ!」

「あー、お二人さん。ちょっと落ち着…………」

「「あんたは引っ込んでてっ!」」


 エダに投げられたのは半解凍状態の冷凍ピザ。ハバキがすばやく前に出て叩き伏せる。


「どうするんだ。仕事は達成しただろ」

「かといって、そのままにしておくわけにはいかない」


 二人の女が向き合って、獣のような咆哮を剥き出しにしている。

 ランプシェードは砕け散って、情事の現場にはカラフルな光が散っている。


「ひどい女だろ……僕は被害者だ」


 ハバキの後ろに隠れていた男の襟首をつかんで、前に差し出すと、獣たちは彼に掴みかからんとしていた。このままでは本当に死人が出る。

 ラジオでは旅行とかいう名前のバンドが分かたれた道といういかにも古臭いシンセポップを鳴らしている。男が情けない悲鳴を上げて、先ほどまでフル稼働していた逸物をタオルで隠している。エダは……熟慮ののちに、答えを出した。


「よし、決めた。決闘だ」

「……は??」

「「乗った!」」


 ……場所は変わる。

 屋上。二人の女が、ジュラルミン製のカタナをもって睨み合っている。

 その後ろ側にハバキが控えている。隣には、手足を縛られてアザだらけの男が三角座りをして盛んに現状を嘆いていたが、聞き入れなかった。そもそもその気がなかった。

 エダはといえば、ルール説明と称したたわごとを二人に向かって投げかけている。女たちはすっかり目がギンギンに冴えていて、状況の異様さにいささかの疑問も抱いていない。

 ――恋は人を変えてしまうんだよ。おそろしいね。

 ――おれには関係のないことだ。

 いつぞやの、アオイのことばを思い出す。ハバキは気が遠くなりそうだった。

 数時間後、決着はついた。


「…………」

「だからぁ、許してくれよぉ」

「もう知らん。おれは二度と協力しない」

「どうしてかな。いまのところ感染者案件はないじゃないか。それは君にも組織にもいいことじゃないのかな」


 そういう問題では。


「そういう問題ではないっ! カタナをつかわせるなこんなことでっ! いいか、カタナは斬るために使うものだっ! おれに、カタナを、つかわせるなっ!」

「……わかった」


 ハバキは言ってから。


「カタナをつかわないなら、いいんだねぇ」


 ひどく、後悔した。

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