#5 インタビュー・ウィズ。
「えぇ。堤防のヒビは、やがて無視できないほどに広がっていく……もうすぐ、二人のあいだに、雨が降りますわ。たくさんの雨が……」
ジュディ・ガーランド。ふたりを見下ろしていた。
エライザの傍らに、新たな男。爪を噛む。強く強く。血がにじむ。
『私情を持ち込むのは、よしなさい』
通信。こちらを見透かすような。自分以外の全てを支配出来て当然とでもいうような、傲慢な女の声。ジュディが、好きでいるわけがない。
それでも取り引きをするのは、すべて、『彼女』のためだった。
「あの子は……騙されているんですのよ。若さに触れて、感化されて……目に見えて、頭に乗っている。タフな女を気取って、その仮面がほんとうの自分だと信じ込みそうになっている……」
決してそうではない、あの子は。あんなんじゃない。エライザは、あんなんじゃ。
ジュディのなかで、激しい感情が湧き上がる。
頭のなかで炸裂する、渇望の、血の雨のイメージ。それをあの男に。
だが気取られてはいけない。とくに、自分が通話している女に対しては。
『哀れね』
「……貴女が、そうさせたのではなくって……貴女が仕組んで、貴女が結果をもたらす。何も感じないと言いたげですわね、マダム」
『だとしたら、どうだというの。この取引には一切の関係がない』
そこで、含み笑いのような声を、聞いた。
『それとも何かしら。私に、小娘の嫉妬の肩代わりをやれと?』
……ジュディは、端末をつよく、つよく握りしめた。ヒビが入り、ささくれが指に刺さって、出血する。
「とにかく。約束は約束。きちんと守ってもらいますわ。あの子を……」
『えぇ。分かっている。あの子を、貴女のもとに、かえしてあげるわ。必ずね』
「……裏切ったら、許さない」
『裏切らないわ、私は。だって、私は、あの子の……』
それ以上は聞きたくなかった。
ジュディは端末を投げ捨てると、ヒールのかかとで踏みつぶし、完全に粉砕する。それを幾度となく繰り返しても、彼女の心は晴れなかった。
もし、その瞬間が訪れるとすれば。
それは、彼女が……エライザ・ドリトルが、再び孤独になり、その埋め合わせを、誰かに求める、そのときにほかならないのだ。
「急いて、急いていらっしゃいな、エライザ……貴女は、私が守ってあげる……どんな姿に、成り果てたとしても」
◇
通話を終えたマダムはこめかみを揉んだ。
「お疲れで、いらっしゃいますか」
深く椅子に座り込むと、傍らで執事が囁いた。
トレーを差し出される。ロックグラスのブランデー。
手に取り、口をつける。
「品位の低い連中と話すと、自分まで厭になってしまう。分かるかしら、同じ肉の部位があるのなら、なおさらよ」
「お嬢様は、聡明でいらっしゃる」
「えぇ、そうよ。私は強く、美しい。だからこそ、誰も彼もを征服しなければならないの、それが使命であり、責務であるから……だけれど、疲れるわ」
彼女の滑らかな肌に、小皺が寄っている。隠しきれない年輪と、疲労。
執事は謎めいた笑みを浮かべて、彼女に寄り添った。
「わたくしは、理解しております。されど、踏み込みはいたしません。すべては、立場。立場こそが人間を定義すると……そう考えておりますれば」
「……ああ。誰もが、貴方ほどに賢明であればいいのに。私は急ぎすぎ、多くを持ちすぎた……」
酔いが回った影響か、幾分か潤みを持った瞳で、執事を見つめ、その手が、頬に添えられる。彼は受け入れ、もう一つの手を、彼女の腰に回した。
赤い唇から漏れた吐息が、次のことばをつぐむ。
「ねぇ。いいでしょう……」
「まったく。しようのない
そう言うと、執事は彼女の顎を持ち上げて、くちづけをした。
強く、強く。
ブラインドは閉められて、薄暗い空間のなかで、互いの身体をまさぐる衣擦れの音と、ちいさな喘ぎが交錯した。
グラスが落ちる。
琥珀色の液体が、写真立てにかかる。
顔のない男と、彼女と、まだ幼い少女の。
やがて、ひとりの男とひとりの女が身体をむさぼり合うときには、それは無視されて、床に放り出されていたが、朝になって掃除婦が拾い上げるまで、その存在は忘却されているのだった。
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