#5 インタビュー・ウィズ。

「えぇ。堤防のヒビは、やがて無視できないほどに広がっていく……もうすぐ、二人のあいだに、雨が降りますわ。たくさんの雨が……」


 ジュディ・ガーランド。ふたりを見下ろしていた。

 エライザの傍らに、新たな男。爪を噛む。強く強く。血がにじむ。


『私情を持ち込むのは、よしなさい』


 通信。こちらを見透かすような。自分以外の全てを支配出来て当然とでもいうような、傲慢な女の声。ジュディが、好きでいるわけがない。

 それでも取り引きをするのは、すべて、『彼女』のためだった。


「あの子は……騙されているんですのよ。若さに触れて、感化されて……目に見えて、頭に乗っている。タフな女を気取って、その仮面がほんとうの自分だと信じ込みそうになっている……」


 決してそうではない、あの子は。あんなんじゃない。エライザは、あんなんじゃ。

 ジュディのなかで、激しい感情が湧き上がる。

 頭のなかで炸裂する、渇望の、血の雨のイメージ。それをあの男に。

 だが気取られてはいけない。とくに、自分が通話している女に対しては。


『哀れね』

「……貴女が、そうさせたのではなくって……貴女が仕組んで、貴女が結果をもたらす。何も感じないと言いたげですわね、マダム」

『だとしたら、どうだというの。この取引には一切の関係がない』


 そこで、含み笑いのような声を、聞いた。


『それとも何かしら。私に、小娘の嫉妬の肩代わりをやれと?』


 ……ジュディは、端末をつよく、つよく握りしめた。ヒビが入り、ささくれが指に刺さって、出血する。


「とにかく。約束は約束。きちんと守ってもらいますわ。あの子を……」

『えぇ。分かっている。あの子を、貴女のもとに、かえしてあげるわ。必ずね』

「……裏切ったら、許さない」

『裏切らないわ、私は。だって、私は、あの子の……』


 それ以上は聞きたくなかった。

 ジュディは端末を投げ捨てると、ヒールのかかとで踏みつぶし、完全に粉砕する。それを幾度となく繰り返しても、彼女の心は晴れなかった。

 もし、その瞬間が訪れるとすれば。

 それは、彼女が……エライザ・ドリトルが、再び孤独になり、その埋め合わせを、誰かに求める、そのときにほかならないのだ。


「急いて、急いていらっしゃいな、エライザ……貴女は、私が守ってあげる……どんな姿に、成り果てたとしても」



 通話を終えたマダムはこめかみを揉んだ。


「お疲れで、いらっしゃいますか」


 深く椅子に座り込むと、傍らで執事が囁いた。

 トレーを差し出される。ロックグラスのブランデー。

 手に取り、口をつける。


「品位の低い連中と話すと、自分まで厭になってしまう。分かるかしら、同じ肉の部位があるのなら、なおさらよ」

「お嬢様は、聡明でいらっしゃる」

「えぇ、そうよ。私は強く、美しい。だからこそ、誰も彼もを征服しなければならないの、それが使命であり、責務であるから……だけれど、疲れるわ」


 彼女の滑らかな肌に、小皺が寄っている。隠しきれない年輪と、疲労。

 執事は謎めいた笑みを浮かべて、彼女に寄り添った。


「わたくしは、理解しております。されど、踏み込みはいたしません。すべては、立場。立場こそが人間を定義すると……そう考えておりますれば」

「……ああ。誰もが、貴方ほどに賢明であればいいのに。私は急ぎすぎ、多くを持ちすぎた……」


 酔いが回った影響か、幾分か潤みを持った瞳で、執事を見つめ、その手が、頬に添えられる。彼は受け入れ、もう一つの手を、彼女の腰に回した。

 赤い唇から漏れた吐息が、次のことばをつぐむ。


「ねぇ。いいでしょう……」

「まったく。しようのないひとだ」


 そう言うと、執事は彼女の顎を持ち上げて、くちづけをした。

 強く、強く。

 ブラインドは閉められて、薄暗い空間のなかで、互いの身体をまさぐる衣擦れの音と、ちいさな喘ぎが交錯した。


 グラスが落ちる。

 琥珀色の液体が、写真立てにかかる。

 顔のない男と、彼女と、まだ幼い少女の。

 やがて、ひとりの男とひとりの女が身体をむさぼり合うときには、それは無視されて、床に放り出されていたが、朝になって掃除婦が拾い上げるまで、その存在は忘却されているのだった。

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