#4 エイジ・オブ・イノセンス ③

 ハバキは建物の裏側で、仮面をとった。


「こんなこと、二度とやらないからな」

「そうか。意外と堂に入っていたように思えたけれど」

「……そっちじゃない。あんなパフォーマンスのことだ。次は本当に死ぬぞ」

「その時も、君が助けてくれるんだろう?」

「~~~~っ、二・度・とだッ」


 憤激し、エダに強く言い含めたところで、後方から声がかかる。


「リーサルウェポンはよしてくれ。心臓がもたん」


 大柄の黒人刑事。


「……おじさまっ」


 エダが飛び出して、彼に飛びついた。

 さすがに目を疑った。自己同一性という言葉について考えたくなってしまう。


「よせ、若い衆が見たら、どう言い訳すりゃいいんだ」

「なら、見せつけてやればいい」


 参ったな、という感じで頭を掻く『おじさま』。エダは退行を起こしたまま甘えている。あまりの光景にくらくらとするが、彼はこちらを見て、言った。


「君が……今度の、エライザの相棒かな」

「単なる、仕事の付き合いだ」


 すると、若い部下らしき男。


「警部。奴が降りてきましたよ」


 反射的に、エダのほうを見る……何事もなかったかのように離れていた。


「ああ、すぐ行く……ほら、エライザ。声をかけてきてやれ。お前の新しい因縁だ」

「そりゃあいい。またね、おじさま」


 エダは、『バンディーニ』が保護されて、車に乗せられるところに向かった。



「あんたはなんなんだ、って、顔に書いてあるな」


 『おじさま』はそう言い、簡潔に自分の素性と、エダとの関係性を明かした。

 実に明快で伝わりやすかった。悪い奴ではなさそうだ、という正直な気持ちが浮かぶ。


「苦労をかけているだろう、彼女」

「別に。おれの仕事だ」


 通りから、部下の呼びかけ。彼は「今行くよ」とだけ言って、こちらを見た。

 会話を楽しんでいるように思えた。『組織』の、事実上の関係者。それでいての、この振る舞い。ただものではなさそうだ。


「ということは、これから苦労するということだ。自分からそうしにかかるのが好きでね。若い十年を、そいつに費やした……あいつの過去を、知っているかね」

「いや、あまり」

「それも、これから知るのかもしれんな」


 含みのある言い方だ。過去に何があった。

 過去のエライザ・ドリトルは、何を経て、どのようにこの街に来た?

 疑問が膨れ上がるなか、彼は……頭を下げた。


「おれは運よく、生かさず・殺さずでいさせてもらってるが、これからは分からん。どのみち定年を控えてるからな。だから、お前さんのようなのに、頼み込むしかないんだ」


 なにを、と問う。


「エライザ・ドリトルをだよ。やせがまんを、皮肉を、状況をやり過ごす手段を教えたのはおれだ。しかし、未来を生きる方法までは、ついに伝えきれなかった。彼女には荷が重いことだ、人一倍感じやすくて、孤独に弱い彼女には」


 断片がよぎる。シェンメイを助けたとき。さきほど。

 そして、夜、幼女のように、背を丸めて、何かを求めていたとき。


「ゆえに、恥を忍んで頼んでいる……彼女もまた、おれにとって、守るべき市民だ」


 ハバキはすでに、この大柄の男に好感を持っていた。それだけに、戸惑いも大きい。

 あの女のやり方は長続きしない、自分は疑問を持っている――そんなことを言えるわけもなく、曖昧に、顔を上げるように諭した。


「きみの名前を、教えちゃくれんか」


 刑事はポケットからしわくちゃの四つ折りノートを取り出す。


「老眼でな。電子画面は堪える……それに、こいつのほうが、大事なことを忘れんで済む気がするんだよ。なにかとてつもなく、重要な場面で」

「……ハバキだ。ただのハバキ。姓はない」


 視線が交錯、何かが託される。耐え切れず、直視をやめたのは、ハバキのほうだった。


「そうか……愚痴を吐きたくなったら、『おじさん』をたよってくれ。できれば、取調室の外でな」


 彼は去っていった。



 入れ替わりに、エダが戻ってくる。


「いやぁ、困ったな。『急に構想が頭一杯に広がった、貴女は僕のミューズだ』ときた。私はどっちかというとコミックのほうが好きなんだけれど……」

「そう言う割に、上機嫌そうに見える」

「そうかな?」


 彼女は得意げな表情のまま、こちらを覗き込んでくる。

 ……さきほどの、刑事のことばがよぎる。どこからどこまでが、ほんとうなのだろう。


「ねぇ、青年。私たち、いいコンビになれるとは思わないかな」

「……さぁ」


 やはり、視線を外す。

 迷いを持つな、切っ先がぶれる。自分にとって耐え難いことだ。


「おいおい~~~~、どうしたい、照れちゃってるのカナ?」

「やめろ、髪に触るな鬱陶しい。あんた、死にかけたんだぞ、分かってるのか……」


 問題は、そういうことを考える前に、心身が疲弊してしまうことだな、と、思い直すのであった。

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