#11 ファスト・アンド・フューリー ⑩

 事務所に寝室はない。彼女はソファで毛布をかぶって眠っている。

 ハバキはといえば、デスクを借りて、コンピュータの画面に向き合っていた。

 自身の荷物は、投宿予定だったホテルからこちらに移動させていたので、のちのことを考えれば、早く眠るべきだった。途方もなく疲れていた。


 だけど、そうしなかった。窓の外を見ると、ビルの街並みに赤い誘導灯。

 対照的な、眼下のストリートの喧騒。

 またどこかで誰かが何かをやったのか、サイレンの音が遠雷のように響いている。すくなくとも、街は眠らないのだ。


 組織のデータベースには、とうぜんエダもアクセスできるようになっていた。

 そこから彼は、彼女のパーソナル情報を得られないかと考えた。

 しかし、不思議なほどに、なにも記載されていなかった。ただ彼女が感染者であったということだけ。

 そして、そこで、『便利屋』まがいのことをやっていた、ということ。


 強いて興味を惹かれるものとしては、彼女の雇い入れていた『仲間』が、組織の手のものだけに限らないということだった。

 ある時期を境に、エライザ・ドリトルは彼らを一切、寄せ付けなくなった。


 その代わり――彼女は、この街で苦境にある若い女性たちを救済し、その代わり、助手として雇い入れていた、ということが記されていた。


 シェンメイに対する、あの慈しみ。それは、この街で迷い、苦しんでいる多くの者に分け与えられていたということだ。

 それでも彼女は、ひとりになった。その理由は何となく、分かる気がした。

 ソファから寝息。心地よさそうではなかった。眉根を寄せて、もぞもぞと姿勢を変えながら、なんとかして楽な姿勢を探っていた。身体を丸めている様子は、幼子にも見える。


 長続きはしない。見ていられないような醜態をさらす未来が、すぐ近くにある気がした。そうなる前に、自分は任務を遂行しなければならない。心に決める。迷うな。


「…………いかないで、くれ……」


 エダ。枯れた声。天井に、意識が混濁したまま手を伸ばしていた。

 半ば無意識に、その手を取っていた。するとそれは、安心したように弛緩する。

 ――つよい孤独。焦燥。なかば自棄にも似た使命感。

 彼女の多くを知らない。ただ、なにかから逃げている。逃げて、ここまで来た。そして、その内面のなにかが、この街に対する思いやら、なにやらに転化した。

 ――いったい、この女は。これまでの時間のなかで、何があったのだろう。

 ……つよい頭痛。

 知ってどうするのだ、という声。そんなことで、彼女を斬ることが出来るのか。

 ここまでにしよう、と思った。

 画面を閉じて、彼女の側へ動く。ソファの端に背中を預ける。慣れた姿勢。横になるよりかえって楽だ。


 さきほどよりも、多少安らかになった寝息が聞こえてくる。

 ずっと聞いていると、さきほどまでの声が、更に膨れ上がる気がしたので、早急に意識をシャットアウトすることに決めた。

 明日から、また、やることがいっぱいだ。

 

 意識が落ちる直前、テーブルの上、夕食の残りが視界に入った。

 冷蔵庫に買ったまま手の付けられていない大量の食材を利用して、ハバキがすべて作ったものだった。

 調理の仕方はすべて、アオイにならったものだった。食わなきゃ死ぬ、ということも。


「……おれは、いつまで…………」

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