#6 ファスト・アンド・フューリー ⑤

 海沿いを走って、シェンメイが仮住まいをしているアパートの前にやってきた。

 正午を回って、まぶしい時間帯だ。


「ごめんね、エダ。鼻水もつけちゃった」

「いいさ。親友冥利だ」


 二人は強く抱き合って、別れを惜しんでいる。ハバキは運転席に座ったままだ。


「それから、ケン・タカクラも……ありがとね」


 シェンメイが近づいてきて、微笑みながら言った。


「やることを、やっただけだ」

「……エダの、新しいお友だちでしょう。あの子のこと、頼むわね」


 囁き声で。


「支えてやって。誰よりもおひとよしで、誰よりも意地っ張りで。そのくせ、寂しがり屋だから……」


 何を言うべきかは分からない。だからハバキは、沈黙をその答えとした。

 やがてシェンメイは、手を振ってアパートの中に消えていった。

 エダは、見えなくなるまで、ずっとその姿を見ていた。


「……さて」


 助手席にすわって、エダ。


「店の前に、つけてくれ」


 何が言いたいのかは、すぐにわかった。


 昨晩、たくさんのお客を抱え込んでいたあの店は、いまは廃墟同然になっていた。

 瓦礫が散乱し、傷ついた内部を、壊された壁を通じて、存分にさらしている。

 人々は指をさして、とおりいっぺんの心配を口にしながら去っていく。

 そう簡単に元には戻らないだろう。

 ここに通い詰めていた、あの赤ら顔の男たちは、今夜はどこで酒を飲むのだろう。

 エダは、ただその崩壊を見つめていた。

 バリケードテープのギリギリに立って、拳を強く握っている。

 唇をかみしめて、その端から、赤い筋が垂れているのがわかった。

 それは数分間続いた。

 その後、エダの住処の前に戻り、ハバキは公衆電話のなかにはいった。


「君が彼女を、そのまま帰してくれるとは、思わなかった」


 もどってきたとき、不意に、そう言われた。


「……渇望を表出させていない状態の人間を処理することは許可されてない。それをしていいなら、街のすべてを封鎖しなきゃならなくなる」


 もちろん、彼女がほんとうに活性化することになれば、話は別だ。

 マダムのことば――『衛星監視リストに入れた』、『疑わしきはなんとやら』。

 そう言おうと思ったが、言わなかった。じゅうぶんに伝わるだろうからだ。


「なぁんだ。私といっしょじゃないか」

「……」


 こちらがむっとした顔をしたのを察して、エダは言葉を継ぎ足した。


「優しいんだな、君は」

「やさしさじゃない。システムだ」


 システム。ふいに人類に訪れた災厄に対する、間に合わせのシステム。

 ひとりをうたがえば、すべてをうたがわなければならなくなる。

 そんななかにあって、エライザ・ドリトルというこの女は。


「ずっとこんなことを、続けてきたのか」

「ああ」

「あの……クリスとかいう男も」

「私の、友人の一人だった。奥さんと不仲になってしまったんだ」

「そして、渇望が活性化した。にもかかわらず、あんたは彼を説得しようと試みていた」

「残念ながら、私の手は届かなかったけれどね」

「あんたはひとりだ。あんたのやり方を、組織は肯定しない。だからひとりだ」

「そうとも」

「いつか、自分が殺されてしまうぞ」

「そうならないように、頑張りたいものだね」

「なぜ、そこまでして」

「おんなじだからだよ、私と、みんなは」

 彼女の視線は、宙を舞っていた。届かぬものを追うように。

「誰もが傷ついて、なにかを恐れて生きている。私がそうだったから、力になりたい。単純な話さ。だけどそれは、あまり理解してもらえないようだ。みんな、ひとりが寂しいはずなのにね」


 いま、語られていることはきっと、『世間』の真理なのだろう。

 だが、それを貫くには、この世は悪意に満ちている。

 彼女のことばは、あのバイク男には、届かなかったのだから。

 首筋には、赤い爪痕がくっきりと刻印されている。


「私は……間違っているんだろうか。いつも考えてしまう。考えすぎて、薬がないと眠れないし。たまに、悪夢を見て目が覚める。それでも、やらずにはいられないんだ。脅迫、されているんだろうね。過去の自分に。捨て去りたい自分に」


 虚飾のない言葉で自分に語ってみせる彼女の身体は、あまりにもか細く見えた。ハバキは、伝えたいことのために、一歩、近づいた。


「ああ、すまない。こんなことを君に言っても仕方ないね。なんたって君は、感染者を斬るのが仕事だ。私なんかは、軽蔑して然るべきで、」

「軽蔑は、しない」


 彼女の前にできた影に入り込む。太陽光が、自分の背を熱く照らしている。


「青年……?」

「あんたはいい人だ。きっと、あんたみたいな考えの人間が、この世には必要なんだと思う。だけど、それで世界は救えたりしない」


 ようやく、躊躇なく伝えられる段階に来ていた。

 エダは心底、虚を突かれた表情をしている。


「あんたがこの街で為したいことは理解した。だけど、おれはそれに賛同はできない。今までも、これからも。おれは、感染者を……受け入れることが、できない」


 納刀されたままのカタナを、エダに突き付ける。


「おれにとってあんたは、感染者だ。たまたま、おれの目の届く範囲に居るだけの。だから、あんたが暴走するようなことがあれば、おれはあんたを斬らなきゃならない」


 悲しみや怒り、それに付随する感情のあらわれ。

 自分に何が飛んできてもおかしくないと思っていた。

 しかし、エダは何もしてこなかった。

 そのかわり、微笑んだ。ひのひかりに包まれて、染み渡るような。


「分かって、いるとも」


 その表情。また、どきりとしてしまう。今度は、理由に確信があった。


「……ならいい」


 カタナを納める。

 背を向けて、さきに階段を上がろうとしたところで。

 彼女がふらついて、フィアットに背中を預けるのがわかった。

 支えて、抱き起こす。力が入っていないというよりは、抜けきった、ような。


「大丈夫か」

「すまない……だいぶ、無理をしていた気がするよ。怖かったんだな、きっと」


 足が、がくがくと震えていた。何度も、指で首筋を撫でている。


「……腹は」

「え?」

「腹は減ってるか」


 顔を逸らして。聞こえないならそれでいいとも思いながら、たずねる。


「そりゃあもう、だが。まさか、君……」

「…………おれは。減った」

「~~~~~~~~~~っ!」


 エダは、ハバキを支えにして立ち上がり、その勢いでわき腹を小突きはじめた。


「なんだい君は、いちいち、このっ、このっ、くく、はっはっはっ」

「やめろ、やめろっ。急に元気になるなっ」


 だが、内心では、安堵していた。

 そのまま憔悴されていたら、どうすればいいか分からなくなっていただろうからだ。

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