#5 ファスト・アンド・フューリー ④

 真横では、メインストリートから離れた路地の光景が、タペストリーのように高速で過ぎ去っていく。

 想定を超えた速度ゆえに、エンジンからは甲高い音が漏れている。

 古風なポーチを持つ住宅ビルや、英語ではない表記を掲げた商店の前を通行する人々は、小型車のスタンピードに心底驚いた顔を向けていた。

 何度か指をさし、こちらに何か言葉を投げかけているように見えた。それもまたさまざまな種類。頭上で電線や赤い提灯が、絶えず不安そうに揺れている。

 バックミラーでは、エダがシェンメイの肩を抱き、背をさすっている。


「幹線道路に出たら渋滞で面倒だ。このまま、裏道を縫っていこう」


 当たり前かのように言われる。

 既に彼女の指示で、何度も右折や左折を繰り返していた。

 決して規則正しくはないドライビング。だが、文句を言う暇はなさそうだ。

 ふたりのさらに後ろから、影法師のように何台かの車がつけていた。


「マス連中は面倒なんだよ。余計な詮索が常だから、記憶処理も効きづらい」

「どうするんだ。こんな無茶をして、捕まったらどうなる」

「ある程度、現場から離れたらなんてことはないさ。ちょっとしたドライブだな」

「……あんたが運転すればいい」

「そうもいかないよ。君にメンタルケアが出来ると思うかな」


 シェンメイの様子。憔悴したようにぐったりしている。

 エダの言うことには残念ながら、異論がなかった。


「ひとまず、海沿いまでいこう。運転手さん、カーステレオの66番をつけてくれ」


 しぶしぶ、従った。

 大量の雑音混じりの音楽。

 彼女は真っ赤で辛いとかいう歌詞を、はじくようなギターの音と一緒に、甲高いがなり声で歌っている。

 ひどい音質で何が良いか分からないが、なんだか、彼女を元気づけようとしているようにも思えた。


 いくぶんか広い道路に出る。

 街路樹や交通標識の類が目立ち始めるが、通勤時間のピークを過ぎていることもあってか、さほど混雑していなかった。

 後方を確認。シャトルバスや宅配バンが多い。

 黒い追跡者は幸い、もう居なかった。

 そのまま進んでいけば、海を臨む大橋と並走して、点在する自然公園のうちどれかにたどり着くことになる。

 そういえば、まともに海を見たことないな、と、ちらりと思った。


「……気付いたら、あたし。店の外で倒れてて」


 想念を断ち切るように、シェンメイの声。意識を向ける。


「なかも外もぐちゃぐちゃで。既に騒動になってて、たくさんパトカーやら、消防車やら。だけど、お母ちゃんがいなかった。止められたけど、探したの。そしたら、見つかった……」


 夜の戦いの痕跡を思い出す。

 エダと、あのバイク男の、見えざる戦い。ビルにへばりついた車輪の轍。


「瓦礫に足を挟まれて、気を失ってた。血も流れてて……命に別状はないけど、まだ病院で眠ってる……」


 被害は決して少なくはなかったということ。

 それを隠ぺいするために、組織は記憶処理を行った。

 結果として、人々のなかには、大型車両の狂乱という代替の真実が植え付けられた、ということになったのだ。


「再開だって。どれだけかかるか分かんないし。厭だよ、出てった男を頼るのも……」


 シェンメイのことばはなかば独言となって、エダはただ黙って受け止めていた。

 ほかの方法はあったのだろうかと考えてみる。

 たとえば、彼女の母が重傷を負わず、何も傷つくことなく、感染者の処理を終えることが出来た未来。

 自分ひとりなら、出来たかもしれない。だがそれは、自分が勝てた場合の話だ。

 あのまま戦えば、負けていたかもしれない。となれば、どのみちエダの協力を仰ぐことになっていて、彼女の流儀に巻き込まれることも必然で。

 ……つまり、起こった出来事以外のことは、想定できない。いまのハバキには。

 歯噛みする。シェンメイのことばが、胸に突き刺さる。 

 それは悔しさだ。己に課した戒律を貫けなかった、自分の未熟さへの。

 感染者を、殺すんじゃなかったのか、ハバキ。

 お前は、そんなことで、アオイに……。


「ねぇ。あたし、悔しいよ、エダ……」


 ことば。少し、ハンドルが揺れる。滲んでいたものが、変わった気がした。


「なんで、あたしだけ。あたしたちだけ。ほか、誰も。そんなこと、なってない」


 怒り。現実と言う理不尽に対する。エダの内側で肩が震え出す。


「お母ちゃんのお店に戻ってきて、あたし、新しい自分になれて。こんな街だけど。自分を受け入れてくれて。それが、あんなに一瞬でなくなるものなの。あたし、見てなかったよ、なにも。本当に、気付いたらそうなっちゃってた」

「シェンメイ……」


 すべては、あの時ハバキが目覚めたときに終わっていたことだ。

 事実は覆らない。

 不随になった下半身はそう簡単に戻らないし、死者は生き返らない。


「あンたはいいよね、エダ。実家、お金持ちなんでしょ、うちとは違う……親友だと思ってるけど……本当は、ほんとうは」


 ……だから、そこであふれ出る感情の奔流を、押しとどめる方法も、簡単には見つからない。

 ハバキが不穏さを感じ、道路脇に停車すべきか思案し始めたときには、すべてが始まってしまっていた。


「本当はさ、うちらみたいなの、見下してたんだ。こんなわけのわかんない、ついてンのかついてないのかも分かんないカッコした奴見てさ……観察して楽しんでる。ぜんぶが終わろうって時にふらっとあらわれて、あがりをいただくんだ……」

「シェンメイ。とにかく落ち着け。深呼吸だ。いま考えてることは……」

「間違いじゃない。間違ってない、あたしはいい子で、かわいくって……」


 反対車線を車両が通過する。アスファルトの微妙な凸凹。

 何度も。ガタンガタン。

 そのリズムに合わせて、顔を両手で覆ったシェンメイが、膝と肩を揺らす。かたかた。呑みの客にからかわれていたシェンメイ。愛想よく話しかけてきたシェンメイ。その『彼女』がいま、別種のなにかに、内側から変貌しようとしている。


「あたしは、あたしはあたしはあたしはあたしはあたしは…………」

「シェンメイ。シェンメイ……っ」

「エライザ・ドリトル……判断を誤るな。そいつは、そいつは……」


 繰り返される独言。

 ことばが膨れ上がるたび、感情が色づいて、おさえきれなくなる。

 それは不可逆な変化だ。そう習った。その通りの現象を、つい半日前に目撃したばかりだ。

 あのバイク男の、濁った瞳。

 ヒトが何者かである限り、『それ』になる可能性は普遍的に存在する。例外はない。『天から来るモノ』が目をつけた街の、すべての人間の頭上には、毒針が向けられている。

 運転が荒々しくなる。信号をひとつ、ふたつ無視した。

 後続車が混乱し、さかんにクラクションをかきならす。すんでのところでクラッシュしそうになるのを避けて、じぐざぐを描きながら先に進む。悲鳴を上げ、罵倒を飛ばす通行人。

 すべてぶっちぎり、ナビの画面を操作。数度押し間違えて、ステレオがごちゃごちゃになって、雑音をまき散らす。

 入り込めそうな路地を探す。襟元をゆるめて、すぐにでもチョーカーに触れられるようにする。そこまでしてもなお、エダは声をかけている。


「シェンメイ。私がついている。どうか耐え抜くんだ。頑張れ、頑張れ――」

「ああ、あああああああ…………」

「エライザっ! そいつはもう手遅れだ……そいつも、『感染者』で――」


 赤い信号がついていて、目の前の横断歩道を、小さな女の子が通ったのは、その時で。

 ハバキはギリギリで、ブレーキを押し込んだ。

 大きく車体がバウンドする。ハンドルに額をしたたかに打ち付ける。

 理解が追い付いていない少女を抱えた母親らしき女性が、とんでもない狼藉を働いた異国の若者に対して怒鳴りつけてくる。

 声は聞こえなかった。ただそこにあるだけだった。

 世界に音が戻ってきたとき、信号は青になっていた。

 後方からのクラクションでようやく我に返り、アクセルを踏む。

 ふたりは、どうなった……?

 振り返る。


 シェンメイは、エダに抱きしめられていた。

 異様な所作は停止していたが、その腕は首筋に伸びていて、爪が皮膚に強く食い込んでいる。血が一筋流れる。

 エダは、苦痛をかみ殺したような表情をしていたが、それを強引に笑顔へ作り替えた。


「よく……我慢した……私にぶつけるのは、正解だ……」


 なおも血は流れるが、そのままにしていた。

 振り向いて声をかけようとしたが、彼女の瞳は、それを強く拒絶した。

 あの夜、同じ色のそれを、見た。


「私が巻き込んだ。私の渇望ゆえ、親友の君をひどい目に遭わせた。私を殺したいなら、そうすればいい。君には、その権利がある……」

「……え、ダ…………」

「だけど、駄目なんだ。私は、みんなを守りたい。たとえ嫌われても、すべてから拒絶されたとしても、守り切ってみせる。この身が朽ちるその瞬間まで、私は私をやめない」

「……」


 ハバキは、それ以上なにも言えなかった。

 無数の思いが去来して、叫びとなって口から溢れそうだった。

 冷静さを取り繕うためにハンドルをさばいて、交通標識に従って、海沿いの公園へと、フィアットをはしらせた。

 まもなく、堰を切ったように、シェンメイの泣き声が聞こえてくる。

 それは、彼女が人間としてこちらに戻ってきたことの、まぎれもない証左でもあった。


 首筋は、いちども赤熱しなかった。

 カタナを振るう瞬間は、ついに訪れなかった。

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