#5 チャイナタウン ⑤

 あまりにも鮮烈な、『サムライ』の戦いだった。

 店外から様子を伺っていた者たちは歓声を上げる。


<いいぞぉ、やっちまえ!>

<おい、あの『バケモノ』、小便漏らしてやがるぜ!>


 その様子を入り口付近で眺めながら、ただ一人、彼女だけは。


「……ばか。やっぱり、きみもばかだ」


 眉をひそめて、非難するように、唇を噛んでいた。


「あぁ……あ……」


 ハバキの眼前に、虚ろな目をしたクリスが倒れている。

 スクラップになった片腕。その周囲に、彼の言う『すべて』が散らばっている。

 無慈悲に見下ろして、黒刀を振り上げた。切っ先を、剥き出しの心臓部に向ける。


「案ずるな」

「いやだ、いやだ……やっと俺は、この力で自由に……」

「一突きで、終わらせてやる」


 悲鳴を聞いていないわけじゃない。

 ただ、意味がないだけだ。人が死ぬ、そのことに。


「嫌だ……厭だ、助けてくれ、アンジェリーナぁ……っ!」


 まもなく。一人目の感染者を始末して、初陣がおわる――。


「……よせっ!」


 疲労か安堵か。

 クリス以外に注意を払っていなかったのが問題だった。

 真横から胴体を抑え込んできた彼女の存在に、直前まで気付けなかった。


 残ったカウンターの部分に押し込められる。黒刀を取り落とす。

 エダ。ちょうど、抱き着くような恰好で、とどめを妨害してきた。

 あまりのことに、混乱する。精神が乱れて、殺意が攪拌されてしまう。

 奴が、目の前にいるのに!


「何をするんだ」

「殺すな、殺すなって……そう言いたいんだ、私はっ」


 ろれつの回らない状態にもかかわらず、彼女は存外に力強く、離れようとしない。

 突き飛ばそうとする……首筋で、チョーカーがアラートを発する。

 ぞっとして床に落ちたカタナを確認。

 伸長した刀身が……塵へと変わりつつある。

 時間切れ、だ。もはや先程までの統一された精神は戻らない。

 奴はそこに居る。

 放っておけば、また起き上がって、片腕を再構成するだろう。


「バカ言うな、『処理』が遅れたら、また破壊が広がるんだぞ」


 当たり前のことだ、あんたもおれと同じ仕事をしてるんじゃないのか。

 なんなんだ、こいつは。足元がふらついてるくせに。

 理解不能な感情で頭がパンクしそうになる。

 思い切って突き飛ばそうとするが――そこで、がくんと、身体から力が抜ける。

 同時に、重圧の如き疲労感。

 黒刀がもとのサイズに戻っている。


「離せ、おれは感染者を殺す! それが仕事だ、はなれろ!」

「それでも人間だ……人間なんだよ、青年」

「まだ言うか、この――」


 渾身の力を込めて突き飛ばそうとした、その時。

 彼女と、目が合った。

 その瞳に宿るものを見たとき。ハバキは、心臓に釘を打ちこまれた。


「私が、させない。私が、もう一度話す……あいつは、かわいそうなやつなんだ」


 それは、驚くほど、『あいつ』に似ていて。

 硬直した、わずかな合間に。背後で、奴は起き上がった。

 崩れた人形を、逆再生するように、不自然な動きで。

 ……間に合わなかった。


「……はぁぁぁ…………」


 クリスは、『嗤って』いた。

 人間の笑みではない。何か別の、おぞましいもの。

 エダは振り返り、拘束を弱める。その隙に、突き飛ばす。

 背に腹は代えられない。

 彼女がしりもちをつくのを横目に、小刀を拾って。

 飛びかかり、心臓に一撃。

 薬剤の追加投入と同時に黒刀でとどめを刺す。

 二度目の完全なる死を、すみやかに与える。リスキーだが、それしかない。


「……っ!」


 瞠目。

 クリスの、破壊された腕部の付け根から、無数の肉の触手のようなものが伸び、身体全体を包み込んだ。

 ハバキは弾き飛ばされて、その変貌を目の当たりにする。

 感染第二段階――暴走。


「ああ……『また』だ、私はまた繰り返す」


 エダの不可解な嘆き。クリスのシルエットが、おぞましい肉の奔流によって変貌していく。

 床がさらに破砕され、のたうつ触手が、壁を砕きながら店外へとあふれ出る。

 逃げまどう者たちの声が聞こえ始める。チョーカーに触れようとするが、うまくいかない。

 苛立ちが募る。仮に、この女が『先任者』であったなら、級友たちの誰よりも愚かだ。人間、だと。

 アレがそう見えるのか。理解できないまま、叫んでいた。


「邪魔なだけだ、とっととここから失せろ!」


 だが、後ろの女は、そんな声など聞こえないかのように。


「畜生、私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ……っ」


 そう叫んで、挙句の果て、床に何度も額をぶつけ、血を流し始めた。

 常軌を逸した何か。狂気。目の前の存在とは異質の。


「あんたは……」

「ああ……『酔いがさめた』」


 その一言。彼女は立ち上がった。足取りは先ほどよりも確かだった。

 そして……『嗤っていた』。クリスと同じように。


 戦慄。再び視界が揺れる。

 すべてをなげうって、奴に向かって駆けだそうとするところ。

 前に、出た。額から流れた血が、床に澱を形成している。

 肉の渦のなかで、クリスの姿が確立されていく。

 それは、一見して、あの二輪車に騎乗している彼の姿そのものに見えた。

 だが、触腕がその姿の内側に呑み込まれていくうちに、相対するのは、それ以上の異形であることが分かる。

 ハバキにとっては、初めての、『渇望そのものとなった』姿。


「ふーっ、ふーっ……」


 激震が止まる。もうそこには、あの醜態をさらす男の姿はない。

 そこにいるのは、脈動する血管のごときものが至る所に這いまわる二輪車、そのサドルと『一体』になった、彼の姿。

 毛むくじゃらの二の腕も髭面も、すべてが鋼鉄に覆われている。

 車輪部分の刃は更に鋭利になり、肥大化したエンジンは、どす黒い煙を一面にまき散らしている。

 なにより――その背丈は、およそ二倍近くになっていた。

 差し掛かってくる影がこちらを完全に覆いつくし、捕食者と餌のありさま。

 そんな姿になってまで、何を望むのか。

 仮面からはくぐもった唸りしか聞こえない。

 ハンドルそのものになった腕が唸りを上げる。ヘッドライトがハバキ達を照らす。


「いいさ……私には、わかる。私にしかわかってやれない。だから、私がやる」


 何を、と、制止する暇もなかった。

 車輪の回転とエンジンの叫びが同化した瞬間に、エダは、狂った女は。


 フードを、目深に被った。不定形の怪物ブギーマンのように。

 その瞬間、ハバキはありえないものを垣間見る。

 彼女の首筋に、チョーカーがなかった。

 それが意味するもの。まさか。


「ぐっ……」


 鈍痛。一瞬の隙をついて、鳩尾に拳が叩き込まれる。

 意識がかすんでいく。手を伸ばすが、届かない……不覚をとった。


「さぁ、さぁ。怖けりゃ逃げろ、だが目を離すな、私はお前を……追いかける!」


 そのさいごの一瞬、芝居がかった大音声だいおんじょうが、車輪の怪物と対峙するのがわかった。



「感染者でありながら、感染者を守る。渇望に呑まれることなく。よほど強靱な精神を持っているのか、それとも狂っているのか」

「夢を見ているだけよ。むかしから、あの子はそうだった」


 執事の問いかけに、マダムは吐き捨てるように答える。


 日付が変わる頃、エライザ・ドリトルは、感染者の処理を終えた。



「ふうん。そうすることに決めたのですね、ドリィ」


 その様子を、遠くで眺めている者があった。

 ビデオカメラを構えて、今しがた録画を終えたところ。

 その女は、離別ののちに、毎度、記録にいそしんでいた。

 すべては、『彼女』のため。


「自分で選んだくせに。けっきょく、ひとりじゃ居られないのね」

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