#4 チャイナタウン ④
そう、定石だ。
自分に向けて異形の腕を振り回す男は、まるで吹き荒れる暴風雨。テーブルや食器の残骸で足の踏み場もなく、料理と酒はことごとく無駄になった。
一瞬でも巻き込まれたら、自分も終わる。
「こそこそ動き回ってんじゃあねぇぞぉ!」
瓦礫を踏み越えて、奴がまた襲い掛かってくる。
――『来訪者たちが地球にやってきたとき、我々の命運は決まった』。
実践演習とは違い、座学での講義は、いつもマダムが壇上に立っていた。
語られるのは、感染者の歴史、そして自分たちの存在意義。反芻しながら、ブレードを回避。同時に、異形機械の駆動を視線でスキャンする。
――『彼らの恩寵によって、人びとは、心の奥底に巣食う渇望を、実体化させられた』。
同席していた指導教官たちの苦々しげな表情が浮かぶ。これまで対峙してきた感染者たちの姿を思い描いているかのようだった。
目の前に居るのは、『バイク男』と言ったところか。血走った目で、報復を叫ぶ。肥大化した自己顕示欲がそのまま形になったような。願うのはここに広がる破壊そのものなのだろう。どこまでも不毛で……教官たちの語った、感染者の典型例。初陣には相応しい。
――『あまたの星がそれで、滅んできた。それが彼らのビジネスだから。わたしたちが侵入を許した時点で、これは遠回しの死刑宣告に他ならない。ゆえにあなた達は、希望をもってはいけない。ただひたすら、死期を伸ばすことだけを考えて。そのための、力……』。
級友の表情が青ざめていたのを思い出す。情けないな、と感じた。
それじゃあ感染者どもと何も変わらない。感情に支配されるのは愚かなことだ。ゆえに断罪しなければならない。この、確かな力をもって。
テーブルの断片が飛んでくる。回避すると、壁に激突してさらにこわれた。
眼前に、クリスの巨躯。
下からすくい上げるように、床をえぐり取りながら、車輪が迫った。
神経を研ぎ澄ませる。細部を観察する。数分後の決着、そのための布石を。
……見えた。勝てる。
車輪と小刀の刃が正面からかち合って、火花が散った。ハンドルが握りこまれて、 勢いが強まった。競り勝つことは、ぜったいにできない。
脂ぎったやつの顔がそれ以上迫る前に、衝突から離脱することにした。
小刀を、手放す。奴の驚いた顔。すぐさま膝を折って、しゃがみこむ。
「っ、うおおおおお!?」
車輪は、破壊する対象を失ったまま、ちょうど真上を通った。髪が少し持っていかれたが、床に落ちた小刀を拾った瞬間には、それはあらゆる障害物を粉砕しながら、エンジンの指向性のままに、店内のカウンターの方向へと激突した。
轟音と煙。立ち上がる。コートのほこりを払う。
同じく姿勢を正そうと苦慮している巨体が、被害を被ったカウンター近くに見える。あとは近づいて、とどめを刺すだけだ。
「――青年っ!」
あの女の声。いつの間にか店の入り口に立っていた。カウンターを見る。
舌打ち。
二人、逃げきれていない者が居た。ガタガタと恐怖に震えながらうずくまっている。あの性別不祥な店員と、その母親らしき中年女性。向かい側には、立ち上がり、再びエンジンを駆動させ始めたクリス。
こちらは向いていない。目の前の二人に向いている。
ハバキは、己の未熟さを恥じた。人々の愚かさを、低く見積もっていた。
駆けだす。瓦礫の上を飛ぶように移動し、脅威へ向かう。
最悪のビジョンが浮かぶ。間に合え、振り払え。真上へ掲げられた車輪。振り下ろせばそこにいる二人はカウンターごと肉塊へと変わるだろう。そして、決して拭えない汚名とともに、最初の仕事が終わる。
――そんなのは嫌だ。絶対に。アオイに、合わせる顔がない。
乾いた口を開けて、声を出さずに叫んで。
首元のチョーカーに埋め込まれたスイッチを、力の限り押し込んだ。
<ア厭ぁーーーーーーーーーーーーーっ!>
<お助けぇーーーーーーーーーーっ!>
悲鳴が交錯し、抱き合う彼女たちの眼前に、黒の外套がはためいた。
「てめぇ……っ」
車輪はそれ以上押し込むことが出来なかった。
二人の前に滑り込んだハバキが、その腕に掲げたもので受け止めていたからだ。
何もかもを呑み込む、漆黒のカタナだった。
先ほどまでの小刀とはまるで違うことにクリスは驚愕し、相手が自分と同じような『変化』をしたのだと気付く。
車輪と刀身の衝突。
夥しい火花を浴び、歯を食いしばりながら、ハバキは叫ぶ。
<逃げろ――はやく>
顔を見合わせた二人は、へっぴり腰でカウンターから離れて、出口へ向かっていく。
<ああ、お兄さん……あたし、結婚相手見つかったかも……>
<しゅ、修理代がぁぁぁ…………>
小うるさい声は、去っていった。刀身を辛うじて両の腕で支える。刃は目と鼻の先。
その向こうに、獰猛な笑みのクリス。
ミンチにする対象が変わっただけだと言わんばかり。
その通りだ。このままカウンターに倒れこめば、そのままカタナと一緒にバラバラ。
「てめぇ……もう終わりだ、俺の前から、消えちまえ――」
死が、すぐそばに居た。
ハバキは刹那、瞳を閉じて、大きく深呼吸する。
――『【渇望】を純化させ、兵器として振るう人工感染。それがあなた達の力』。
チョーカーに仕込まれた薬剤が体内に浸透する。精神が、より研ぎ澄まされていき、ひとつの純粋な意思のみに統合される。思い出せ。おれの渇望を。
――『躊躇も容赦もなく。【患部】を破壊する、純然たる存在になりなさい。彼ら以上の超越を、ヒトからの超越を。ここはそのための全て。利用し、乗り越え、蹂躙なさい』。
イエス、マム。おれの渇望は、託されたこのカタナそのもの。
他になにも、いらない。
「……えない」
「あァ?」
「おれは消えない。少なくとも、貴様などには……終わらせない」
殺意の視線。クリスは一瞬ひるみ。
側頭部に迫る酒瓶に、気付かなかった。
鈍い悲鳴。姿勢が崩れて、黒刀から車輪が離れた。
強引に手近な瓶を掴んだせいで、片手が出血している。構うものか。
奴の足元にしゃがみこむ。
切っ先はすでに、奴の機構に向いている。息を吐き切る。
何か言おうとしていたようだった。だが、もう聞こえなかった。
黒刀は、バイクの精密動作部分に差し向けられて、ひらめいた。
一閃。
車輪を駆動させるハンドル部分を切断する。
キルスイッチと握り手の混合物が廃線と一緒に飛び出して宙を舞う。
連なった刃が急激に速度を落とし始める。
時間は緩慢になり、奴はその中でようやく、自分が『解体』の対象となったことに気付いたらしい。
酒と血のしぶきを拭ったあと、ぎょっとして手元を、続いて――自分を無感情に斬りつける黒衣の剣士を凝視した。
何の抵抗も、できずに。
さらに、一閃。フロントフォークを切断。
車輪がぶら下がってちぎれそうになる。
奴は倒れ込む寸前。火花が散る。さらに、刃を振るった。
黒刀は、鈍足の時間の中で、明確に、鋼鉄を寸断する。
空間ごと断ち切るように。
ハバキは長く息を吐く――己にとっての、唯一の真実を反芻する。
――『戦いなさい。戦いなさい。女子供が相手でも。たとえ……肉親が相手でも』。
渇望とは、信念だ。ゆえに、おれに、斬れぬものは、なにもない。
「やめろ、」
時間が戻る。
さらにもう一閃。
前輪が支柱から寸断されて、カウンターの残骸を荒らしまわったあとで転がる。
吐き散らかされた残骸が、内臓のように見える。
奴の顔はもはや恐怖に歪んでいる。ハバキはそれを見ない。
手首を滑らかに半回転。後輪を支えるブリッジに、斬撃を刻み込んだ。
「やめてくれ、俺の、俺の――」
俺の、なんだ。興味はない。カタナとなったおれは聞く耳持たん。
斬る。斬る。斬る。
奴がたたらを踏むたびに、二輪車の機構が破壊されていき、スクラップが周囲に散らばっていく。
追い詰めていく。うしろへ、うしろへ。
血の記憶。リズムとともに。
生きるか死ぬかの実技訓練。必死になった後には、級友たちの崩れ落ちた姿。
血がべっとりついている。踏み越える。
斬る、斬る、斬る。斬る。
それはもはや蹂躙だった。
先刻までの『様子見』で、敵の『渇望』のメカニズムは頭に入っていた。
あとは、それを分解してしまえばいいだけの話。
イレギュラーな要素は多々あったが、終わったことだ、もうどうでもいい。
血の記憶。横たわるアオイの身体。
微笑みが、真紅に塗りつぶされている。
その前に立って、呆然と自身の渇望を構えていた。
カタナはその時から傍にあった。はじまり。
「俺の、俺の……すべてがぁ…………っ」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、奴は眼前で散らばるチェーンの残骸を見た。
もはや腕部に残るのは、わずかなフレーム部分と、エンジンの中枢のみ。
倒れこむ。
同時に、血の記憶は脳内を通り過ぎていき、あとには、奴がすべてと呼んだ、鉄くずが散らばるばかり。
ハバキは、黒刀を振って残身した。
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