#3 チャイナタウン ③

 剥き出しのエンジン。クリスの腕は、大型バイクそのものへと変貌を遂げていた。ウェイトをに持っていかれて、苦しげに身体のバランスを崩す。ガリガリと、フレーム部分で地面を削りながら、獰猛な吐息を漏らす。

 濁った瞳に宿るのは狂気。呆気にとられた周囲を威圧している。


「く、クリス……そいつは一体……」


 取り巻きの一人。弾かれるように目線。『ハンドル』部分の赤いスイッチを押し込んだ。片腕全体に駆動音がみなぎり始める。男たちは怯えて腰を抜かす。


「こいつはな……俺そのものだ」


 意味が分かるはずもない。だがそうなのだ。悲鳴、しりもちをついたまま引き下がる二人に、クリスは口元をゆがめて迫っていく。

 ハバキは、自分のすぐ近くにポリバケツがあるのに気付く。


「おい」


 奴に向けて、投げつける。

 ぎょろり。感染者は敵意に反応。異形の腕をぶん回した。

 鉄の車体が横一文字に振るわれて、バケツを薙ぎ払う。その一瞬。

 車体下部のレバーが衝撃で押し込まれ、火花を散らす。

汚いゴミが地面に散った時には、作動を完了していた。

 駆動音の唸り声は異形の片腕全体を大きく振動させながら、装甲の狭間から絶え間なくどす黒い蒸気を発し始める。

 ハバキは、自分に向けられる激情を感じ取った。店内からは悲鳴が上がり、混乱の坩堝になっている。知性のある『敵』には見えない。大勢を巻き添えにするだろう。


<逃げろ、お前たち>


 叫ぶ。


<で、でも。兄ちゃん。そいつは>

<逃げろったって……>

<こいつの狙いはおれになった。そこに居れば死ぬ。後ろを通れ、今すぐ>


 なおも顔を見合わせて、何事かを言い合っている。もう一度叫ぶ。


<早くしろ。殺されたいのか!>


 鶴の一声だった。彼らは一瞬ためらいながらも、すぐに店内から溢れ出した。半狂乱になりながら、酔漢たちが這う這うの体で逃げていくのを、背中で感じ取る。二人の男も、いまや後方の建物の影に隠れて、様子をうかがっている。


 夜の路地に響き渡る、猛獣を思わせるエンジンの唸り。奴の敵意は、まっすぐこちらに向かっている。『欲望』の発散を邪魔されたのか、それとも、自分を相手にすることに切り替えたのか。いずれにせよ、初陣として不足はない。瞳を閉じて、深呼吸。

 ……目を開いて、柄にゆっくりと手を触れ、握りこむ。


「『無銘』、参る――」


 その時だった。


「その立ち合い、ちょっと待った」


 声とともに。目の前に、あの女が立ちふさがった。

 さすがのハバキも、目を丸くする。

 彼女の足取りはおぼつかないが、店内の時よりは酔いがさめているようにも見える。


「なんのつもりだ」

「まぁ、お姉さんのお色直しを、よぉーく、見ておくことだね」


 そう言って笑い、首元に両手を添える。

 ……まさか。この女が、ほんとうに。

 息を呑む。彼女はその動作を、怒気を孕んだ向かいの男に見せつけて……。


「…………おえっ」


 嘔吐した。気のせいだったらしい。


「ふざけるんじゃねぇッ!」


 モンスターバイク。振りかぶってこちらへ。一瞬で緊張に変わる。

 ハバキは前に出た。ゲロをする酔っぱらいの襟首をつかんで、後方へぶん投げる。

 瞬間。鋭利さを取り戻した感覚が、それを見た。

 回転する漆黒のホイール。その表面が鱗のように逆立ち、鋭利な刃物へと変貌し。

 ハバキの眼前数ミリの地面が、荒々しくえぐり取られた。


「……っ!」


 なおも散る火花。殺意の車輪がアスファルトを破砕していき、細かな礫を無数にまき散らす。強引に引き抜く。相対する。ハバキはコートをたなびかせながら姿勢を整える。

 後方。女は頭を振り、夢と現実の狭間で揺れている……おれはなんて間抜けなんだ。

 状況判断。男の顔。怒りに満ちた瞳は、なおもこちらを見ている。

 視線をそらさぬまま、摺り足で、店の側へ動く。相手は大股で同調する。

 数秒後……ハバキは、意を決して店内へと飛び込んだ。

 直後、男がそれに続いた。


 ドアが車輪によってずたずたに引き裂かれ、ガラスが砕け散った。

 クリスはからっぽになった店内に足を踏み入れ、獲物をさがす。

 怒りの荒い息、エンジン音。回転するブレードの鱗が上げる金切り声。

 奴はどこだ、俺を侮辱しやがって。

 ……そこで。

 眼前の丸テーブルが、突如として跳ね上がった。

 料理と皿、酒がぶちまけられて、こちらに飛び散ってくる。一瞬驚くが、すぐにブレードを振り下ろした。

 木片をまき散らしながら、テーブルは真っ二つに裂けた。そこで彼は寒気。

 ふと、その横を見た。黒いコート。息を呑む。


「……野郎、」


 真下に隠れていたのだ。

 気付いた時には、ハバキはクリスの懐近くへともぐりこんでいる。

 無論、そこから車輪を引き寄せても間に合わない。鍔から、ギラリとひらめき。

 抜刀。外套の色彩がクリスの目を奪い、太刀筋が見えなかった。

 それは、ごく短い短刀。鞘の長大さからは想像もつかないほど。


「ぬあああああああ!」


 車輪の腕を振るい、テーブルの残骸をめちゃくちゃに蹴散らす。同時に、反対の腕で、すぐにでも喉元に飛び込んできそうな黒コートの男に掴みかかる。

 だが、ハバキの表情は冷徹そのもの。あっさりと、身を引いて。側面に回り込んだ。

 車輪はさらに、アジア料理の残飯で埋まった床を引き裂いて弧を描く。

 空振りを終えたときには、再びさむけ。

 黒コート。背後に。やられる……クリスは怒り狂っていた。

 さらに、ブレードが振るわれた。

 筒状の電灯が粉砕され、空間が明滅する。

 椅子が放り出され、そのはざまにも、先ほどまで大勢をもてなしていたものが、ぐちゃぐちゃになって周囲に飛び散った。

 それが、何度も繰り返される。そのたび、破壊が進んでいく。

 それでも、ハバキには当たらない。

 彼はつかず離れずの距離を維持しながら、短刀を相手にねじ込むチャンスを伺っていた……ごく平然と。表情ひとつ変えずに。


「なんだ、てめぇ……何をしようってんだぁっ!」


 裂帛の雄たけび――再びブレードが振り落とされ、何個かめのテーブルが粉砕された。



 店外で悲鳴が上がる。

 窓ガラスがぶち割れて、食器や椅子の残骸が吐き出されたのだ。


<いったい何が起きてやがる……>

<あの兄ちゃん、死ぬ気か……>


 戦々恐々と遠巻きに見守りながら、口々に客たちは呟き合う。


<バケモンだ。噂はウソじゃなかった。あのチンピラ、マジでバケモンになったんだ>


 サイレンの音が夜闇の向こう側で聞こえる。警察がやってくるのも時間の問題だろう。


「……」


 エダは、ミネラルウォータ―の瓶を片手に、頭をおさえながら壁にもたれていた。


「閉所への移動……定石通りだけど、それ以上でもない」


 一気に飲み干して、「うっぷ」と言ったあと、瓶を握ってつぶやく。


「……さめちゃったな」

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