#2 チャイナタウン ②

 外気を浴びて、考え直す。

 メモを再確認しても、この店のカウンターで符牒を告げれば、聞きつけた先任者が反応する、とある。座っている座席もいつも同じだと。

 ならば、これは試練ということだ。

 マダムの示した憂い。現実を突きつけられてもなお、任務を遂行できるか。

 なるほど、やってやろう。気持ちを切り替えて、店に戻ろうとする。


 そのとき、扉がひらいて、複数人が吐き出された。

 レザージャケットの男たち。あの酔っぱらった女性を強引に引っ張りだしていた。

 店内から、心配そうな声が上がる。


「あーあー、大丈夫、大丈夫……」


 女性はふらふらした足取りで男たちに対峙し、店内に言った。


「大丈夫なもんか……俺はあんたを信じて、あいつのもとに戻ったんだぞ。あんたの言うとおりにした」

「そうだそうだ、この人はな、足りない頭で、頑張ってセリフを覚えたんだ!」

「俺たちも、朝までつきあったんだぞ!」

「……」


 それに対し、女性。


「決着は、ついたじゃあないか。きみは、正式に関係を終わらせられた」


 肩をすくめて……そして、彼女は、男に頬を平手打ちされる。

 よろめき、しりもちをつく。女性を男たちが取り囲む。この状況をなんと呼ぶか、 ハバキにも分かった。しかしながら、自分には関係が、ない。


「おいおい、落ち着け。目が血走ってるぞ。いつものきみ達らしくもない。あのかっこいいバイクはどうしたんだ」

「うるせぇ、そんなもんはなぁ、どうだっていいんだ……今はとにかく。裏切りの悲しさでいっぱいだ……」


 女性の頬は赤くなる。男のひとりは彼女を強引に引き上げる。

 店内で、警察を呼ぼう、という声が聞こえる。だが女性はそれを手で制した。どうするつもりだろうか。ハバキはいつの間にか……無視が出来なくなっていた。


「いいことを考えた。これから俺たちの仲間を呼びつけて……あんたで、あいつの復習をするってのはどうだ……あんた、ようく見ると、良い女だしな」


 卑猥な笑いが起きる。女性は抵抗していなかった。それどころか、もう一度笑い。


「……バカにすんじゃねぇ!」


 また、地面にたたきつけられた。たまらずせき込んでいる。彼女は細身で、誰がどう見ても、勝てるわけがなかった。

 大丈夫だなんて、嘘っぱちだ。何を思ってこいつらを挑発する。助けを呼べばいい。こんなクズどもの相手をするなんて無駄だ。

 いらだちが無意識からこみあげて、腕を震わせていた。やめろ、関わるな、という声も、目立たなくなっていた。男たちが、女性を取り囲む……。

 そして、かつての光景が目の前にひろがる。


 ――アオイが。また、いじめられていた。


「……悪いのは、おれじゃない」


 気付けば、前進していた。

 店内から、数人の客たちが制止に動いていたが、ハバキのほうがはやかった。


「おい」


 ひとりを呼びつける。

 ぜんぶで三人。


「あン?」


 振り返った。

 柄だけを掴んで、引き上げる。そいつの顎をめがけて。


「ごッ」


 ものの見事に命中する。男は顔面が上下から圧縮されたようになりながらたたらを踏んで、尻から地面に倒れこむ。汚い水たまりが、ばしゃりと跳ねる。


 一瞬、男たち皆が呆気にとられていた。理解が追い付いていない者も居た。

 だが、遅れて、二人目がこちらに向かってきた。こぶしを振り上げて、叫びながら。


 ……目の前に迫ったそれを、直前で胴をそらして回避する。つづいて、柄と反対側の手で鞘を掴んで両手持ち。ちょうど晒された二人目の背中を打ち据えた。


 ぎゃっ、という悲鳴。とうぜんだ。

 エダ、を羽交い絞めにしていたのは三人目の男だ。飾りのついたジャケットを着用している。リーダー格らしい。


 片手をあけて、自分のもとに強引に引っ張りこむ。二人目がよろめいているなかで、彼女は腕のなかにいた。


「…………わお」


 彼女は笑っていた。その瞬間だけが引き伸ばされるような、気がした。


「てめぇっ」


 すぐに、もどる。

 覆いかぶさるように、三人目が向かってきた。

 すばやくカタナを腰の定位置に戻し、空いたもう片腕で、彼女の腰を抱く。

 そのまま、勢いをつけてしゃがみこむ。

 彼女の身体は脱力して膝から折り曲げられる。三人目は両腕でこちらを掴みかかるはずが、そこに居ない。ぎろりとこちらに視線。


 再び、強襲。身体に影がかかったことで判断は容易だった。彼女は完全に身を任せている――回避。

 また、中腰で彼女の身体を支える。反対側で宙を掻く奴の腕。

 隙だらけのそいつの、ちょうど尻のあたりを、後ろ脚で蹴りつけた。

 また悲鳴。三人目が完全に地面に伸びた。

 わっ、という歓声。

 ちらりと見ると、店内から人があふれて、観戦していた。

 視線を、彼女に。ちょうど、舞踏会のようなかっこうだ。意図したわけではない。


「――ッ!」


 顔をそらす。なぜそうしたのか。わからない。

 地面を見ると、男たちはすっかり意気消沈している。

 もう戦えないだろう。こぶしや脚の一撃に、しっかり威力を乗せた。

 なにより――戦意を、削り取った。


<すげぇな、兄ちゃん!>

<あのクリスたちを、すっかりノしちまうなんて!>


 称賛の声。目立ってしまったという後悔以外に、感じることはなにもない。


「…………」


 強引に、女を立たせて、腕をほどく。


「ああ青年、助かったよ。けどね、もうちょっと……」


 無視をする。背を向けて――歩こうとする。

 たった今沸き起こったものはなんだったのか。なぜ、あんなことをしたのか。

 

 なぜ、アオイの、妹のことが、よぎったのか。

 分からないし、分かりたくない。肝心なのは、まだ自分には鍛錬が足りないということだ……一振りのカタナになる鍛錬が。


「……離せ、コラっ!」


 声。振り返る。

 先ほどの女のさらに向かい側、リーダー格の、クリスとかいうらしい男が立ち上がっていて、それを、すっかり及び腰の男二人が制止していた。


「クリス、もうよせっ!」

「また今度だ!」

「やかましいっ! こんな……こんな風に……この俺を、コケにしやがって」


 彼の、ひげ面の顔は、恥辱に震えていた。

 周囲に、誰も味方はいない。耐えられなくなったのだ。それが、その男の限界であると、ありありと分かった。


 剣呑な雰囲気を感じて足を止める。半身だけをそちらに向ける。今度やってくるなら、容赦をしない。そのつもりで。


 ……女が、前に出た。呆気にとられる。

 頭を、下げる。深く。


「済まない、クリス。私の力が、至らなかったばかりに。君を傷つけてしまった」


 至って真剣な声音。理解が出来ない。店側を見ても同様に、驚いている。


「時間は戻らない。仕事は失敗で、便利屋失格だ。君が納得するなら、また私を殴ればいい。ただ、それをやるなら――別の場所のほうがいいかな」


 この女は、何を言っている。聖人か、さもなければ狂人だ。この場所にあまりにも不釣り合いだ。酔っている勢いとしか思えない。思わず、馬鹿、と声をかけそうになる。

 ――バカ。そんな連中に、どんな慈悲が必要だっていうんだ……。


「……俺は」


 クリス。前に出る。男二人は、止めきれなかった。

 ジャケットの内側に、手を突っ込む。

 ナイフか何かが、飛び出してくるのかと思った。

 だからハバキは、また考えなかった。

 女の前に立って、柄に手をかける。


「俺はもう、


 その一言。知っている。目がどろりと濁り。呆けたような、憑かれたような。


 取り出したのは、バイクのキー。

 皮膚が粟立って、『よせ』と叫ぼうとしたときには、既に遅かった。


 片腕をまくったところにあったのは、盛り上がった瘢痕で、中心に、鍵穴。

 彼はそこに、キーをねじ込んで、引っ搔くように回転させた。


 途端に、肉が傷口から溢れ出し、腕部の形状を変化させ始める。

 ハバキは、首筋に赤熱するような痛みを感じた。

 警戒アラート。


 ――この男は、感染者ウーンガンだ。



 指先に、しびれのような感覚。


「お嬢様。ハバキ殿が、接敵するようです」


 執事は、感染者の励起を感じる力を持っている。

 それは、マダムしか知らない。


「早かったわね。だけど、彼の完成は早いほうがいいわ。あの街にも、あの子にも」

 マダムの視線は写真立てのほうを向きながらも、違うことを考えているようだった。


 彼は、そんな主人を数秒間見下ろして、また、影のなかへ戻っていった。

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