#1 チャイナタウン ①

 先任者と合流せよとはつまり、与えられた最低限の資料以外は何もないなかでそいつを自力で見つけ出し、共に戦う同志となれ、ということだ。

 それ自体を達成してしまえば、あとはたやすい。ただひたすらに、訓練通り、感染者に対して力を振るえばよいのだ。

 最初の任務としては、親切な設計ではないか。マダムのありがたい心配は、杞憂に終わるだろう。

 あとは、そこに至るための『経路』が短ければ短いほど、ありがたいのだが。


 自分に注がれる雑多な視線を意に介さず歩き続けて、目的地の近くまでやってきた。


「……ここか」


 先ほどよりもひとけが少ない場所だった。路地も狭くて、舗装があまり行き届いておらず、ゴミが散乱している。

 目の前には、瓦造りの飲食店。ハバキにとっては、英語よりも幾分か馴染みのある言語が看板とネオンサインを彩っていて、中空には提灯が吊り下げてある。小さくとられた窓の内側からは、決して広くない店内に、大勢の酒飲み客がごった返している様子。


 雲行きが、怪しくなってきた。

 あまり面倒が起きないことを祈りながら、意を決して扉を開けた。


 とたんに、外から伺った様子と、寸分たがわない状況が、目の前に広がる。

 敷き詰められた丸テーブルの周りに、人種年齢さまざまな酔漢たちがつどって、香辛料のきいた料理をつまみながら、酒を酌み交わしている。

 聞こえてくる会話の内容は、ほとんどが仕事の愚痴か、卑猥なジョークだ。カウンター席の近くにあるジュークボックスからは、ゆったりした節回しの民謡が流れている。興に乗った紅顔の老人が、その前に立って、ふらふらと歌っている。


<いいぞ、じいさん>

<やれ、やれ>


 ハバキは肩をねじ込むようにしながら、彼らの隙間を通り抜ける。途中何度かぶつかったが、誰も気にする様子はない。

 カタナを携えた出で立ちを見てもそれは一瞬で、すぐに目の前の享楽に戻っていく。カラまれるよりは、ずっとありがたかった。

 というわけで、カウンターの、店員らしき人物の真正面に腰を下ろす。


「あら。おかあちゃん、ユキムラ・サナダが来たわよ。彼よりも、ぐっと若くてイケメンだけど」


 訛りの強い、低い声。面食らった。目の前に居るのはドレス姿の若い女性にしか見えなかったからだ。


「……おれは」

「うーん。でも、後ろに撫でつけてるのが気に入らないかも。あなた、髪をおろしたほうが可愛く見えるのに……」

<シェンメイ! それで何人目だい!>


 奥の厨房から、母親らしき母国語の怒鳴り声。目の前の『美女』は、舌をぺろっと出した。


「それで、お兄さん。ご注文は。ついでに名前と、好きな香水を教えてもらえる。あたしはシェンメイ。神的に美しいって書いてシェンメイ。めちゃくちゃエモいわよね」


 とりあわず、息を吸い込んで、告げる。必殺の呪文。


「『レッスンをサボった馬鹿な娘がいるはずだ。探しに来た』」


 そして、先任者は振り向き、協働契約が完了する。

 はずだった……のだが。きょとん、としている。

 振り向く。誰も気にも留めていない。腰に差しているカタナを見て何かを呟くのが何人かいる程度だ。

 そんなはずはない。今度は、彼らのことばで言い直す。


<レッスンをサボった馬鹿な娘がいるはずだ。探しに来た>


 正面の表情が。変化した。だけではなく。

 周囲が黙り込んで、こちらを見た。何か、まずいことをしたか……。


「あー…………お兄さん。悪いけど、そっちの商売は、もうやめたのよねぇ」


 その言葉の、次の瞬間。

 笑いが、店内で爆発した。


<ひゃははははは! 最高だ!>

<若いのに、良い趣味してんじゃねぇか!>

<シェンメイちゃんは難しいぜぇ!>


 かっと、こみ上げるものがある。無理やり呑み込んで、カウンターから立つ。

「店を、間違えた」

 踵を返して、足早に退店する、つもりだった。


「お~~~~~~~~~~~~い、青年。聞き捨てならないぞぉ~~~~~」


 ヤギがのたうつような、酔っぱらいの女の声。

 いくつか離れた座席で、完全に『出来上がった』ひとりの客が、こちらを見ていた。

 白いフーディーとジーンズ姿の、若い女性。ある意味で、自分よりも浮いている。


「馬鹿ってのはぁ……私のことかい……いったい誰のせいでぇ、こうなったんだぁちくしょうめぇ」

<おいおい、エダ。ちょいと飲みすぎじゃねぇか>

<慣れないことするから……>

<うるせぇ、ばっきゃろー。白酒パイチュー、もっと持ってきやがれぇ……えへ、きもちい……>


 流暢な発音。ここの人間ではあるようだが、探しているのは『よっぱらいのエダ』ではないし、なによりこんな人間が『先任者』であるとは、とうてい思えない。

 移動中に再度確認した、対象のデータを思い返す。

 ……うむ。まずもって、あの女ではない。

 声を無視して、いったん店を出ようとする。


「青年や~~~~~~~~~い、お姉さんは待ってるかんな~~~~~~~~~」


 声が遠ざかるなか、扉に手をかける。


「……失礼」


 入れ違いに、別の客が入ってくる。

 レザージャケットを着こんだ大柄の男数名。

 明らかにここの客層とは異なっている。

 ハバキを無視して、店内に踏み込んでいく。


「……」


 まぁ、自分には関係ない。

 先ほどまでの不愉快な体験を頭から消して、外に出た。

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