彼女は、刃搏(はばた)きを手にして。~ふたりの異能事件簿~

緑茶

【第一章】 ラプソディー・イン・ブルー

プロローグ

 その夜、ダウンタウンのバスターミナルは一時騒然となっていた。

 空港発のシャトルバスから、極めておかしな恰好をしたひとりの男が降り立ったからだ。

 映画の撮影か、はたまたテロリストか。実際は、どちらでもなかった。


 男は周囲のざわめきを一顧だにせず、携帯端末に表示された地図のポイントを凝視していた。

 短い黒髪に、季節外れのロングコート。

 ひときわ目につくのは、腰から下げた、『カタナ』のようなもの。


「なあ、あんた、外国から来たんだろ。かっこいいね。動画撮らせてよ」


 スマホ片手に近付いてきたのは軽薄そうな若者で、『サムライあらわる』のショートフィルムが世界中で拡散されて、一躍スターになる自分を夢想していた。

 しかし、次の瞬間には、それはかなわなくなった。


「……何か」

「ひっ」


 男の眼光があまりにも鋭かったために、腰を抜かしてしまったからである。

 そして、呆然とする若者や、周囲の人々を意に介さず、男は歩き始めた。


「あの時は本当に、殺される、と思ったんだ」


 若者はのちに、そう知人に語ったという。


「でも実際は、見かけで判断しちゃ、いけなかったんだな。ほんとうは、俺たちを守るためにやってきてくれたんだから」



 男が必要以上に殺気だっていたのは、『校舎』から街にたどり着く過程が、不馴れなことの連続でもあったからだ。


「バルベルデから15時間……なんで民間機なんだ」


 呟いた声は若く、よく見るとその顔立ちも、佇まいとは裏腹に、あどけなさが残っている。先ほどまでの殺伐とした雰囲気が実際以上に大人びさせていたのだろう。

 実際のところ、彼は、今月になってようやく、『校舎』の外に足を踏み入れる年齢に達したのだった。


 フライトは、これまでのどんな訓練よりも過酷に感じられた。

 いつどんなトラブルがやってくるともしれないのに、無防備な姿をさらしている乗客や、あれこれと世話を焼いてくる添乗員。任務中に腹いっぱいになって気持ちよくなんかなれるわけないと、あれこれのサービスを断った理由を正直に話したところで、彼女たちは真意を理解しなかっただろう。


「くそっ。アオイ、兄さんは不安でいっぱいだ」


 『カタナ』の鞘からぶらさげた、塗装のはげたキャラクターのキーホルダーに触れて呟く。

 そして、周囲を見渡す。


 ビルディングの狭間に張り巡らされた街路を行きかう、大勢の人々。

 彼らの流れを突っ切るようにして車道に連なっていく、自動車の群れ。

 多様な言語で記された標識が至るところに立ち並んで、彼らの動きにある程度の秩序を与えているようだったが、それも、けたたましいクラクションや飛び交う声の連なりのなかにうずもれて、いくつものまぶしい光の連鎖が、視界を覆っていく。

 さらに、そんな混沌とした流れを見下ろすかのように立ち並ぶ摩天楼。漆黒の空に突き刺さるような勢いだ。

 ここでは夜も、黒一色ではいられないらしい。山も川もなく、眠りもない。


『ようこそ、ニューヘルメスへ』


 そんな文言が、バスの電子公告で踊っているのを見た。

 ここは世界でも有数の大都市で、静寂に満ちていた『校舎』とは何もかもが真逆ではあるけれど、確かな、平和の『流れ』がある。


 しかし、同時にそれは、彼にとっては、愉快な感覚をもたらさなかった。

 帳の降りた街の享楽にふける若者たち。早足のビジネスマン。通行人に軽口を投げかけるタクシー運転手。彼らが、この街の背後で蠢いている『脅威』について、じゅうぶん認識しているようには、見えない。

 それは、システムがそうさせていることで、逆に言えば、彼らが平和を享受していることのあかしでもあったわけだが。

 その能天気さは、あまりにも、これまで学んできたことの血なまぐささと、違いがあった。


「……バカバカしい。おれは、おれの――『ハバキ』の、すべきことを」


 とにかく、任務の支障となる雑念を締め出し、目的地へと再び歩き出す。



 昨日の朝にさかのぼる。


「ハバキ。着任後の任務……最初の仕事は、『先任者』と合流することよ」


 呼び出しを受けて、『マダム』の部屋に入ると、その指令を告げられた。

 真っ白な壁に大理石の床。調度品のすべては整頓が行き届いている。静けさのなかに、柱時計の音が大きく聞こえる。

 来るのは初めてではないが、それでも、毎度、背筋が伸びる。ここでは誰もが丸裸にされるのだ。


「どのような、人物なのですか」


 求められる返答を、最小限に。

 マダム。鋭い視線がこちらを見つめた。

 漆黒の長髪に、夜会服のようなオートクチュール。年齢を覆い隠す白い肌、真紅の口紅。この空間では、異様に思える出で立ち。

 しかし、彼女のことを魔女と呼ぶ者は例外なく、今後のキャリアを失った。それ以来何十年も、この場所に君臨し続けているという。


「いま、送ったわ。確認して頂戴」


 彼女は、手元のタブレットを操作。ポケットの端末が反応。転送された文面を確認する。


 ――ニューヘルメスにおいて、『感染者ウーンガン』による脅威を、たった一人で退け続けている。

 ――その卓越した戦闘技術には瞠目するものがあるが、同時に組織的な動きを嫌う気質がある。


 いったいどんな凄腕なのか。

 息を呑みそうになるが、心の内で封殺。端的に、冷淡に。


「わかりました」

「多くは、求めないのね」


 そこで、唇が少しひきつれて、笑いのように見えたが、真偽は不明だった。


「おれはただ、敵を斬るだけです。そのために今日まで、訓練を積んできたのです」

「……学内きってのエリート。他を蹴落とすことで、ここまできた」


 彼女の後ろに大きくとられた窓からは、訓練場が見下ろせる。少年少女たちが、未来の任務のために、戦闘技術を磨き合っていた。


「そんなあなたに、いま一度覚悟を問うことになる」

「と、言うのは」


 そこで。背筋に冷たいものがはしる。視線に、はりつけにされたような。

 ……自分も、いまから試されるのだと感じ取った。


「あなたは、あなたとして完成するため……。だからこそ、心配なのよ」


 光景が脳裏によみがえる。

 闇のなかで生まれた自分。すくい上げてくれた光。

 おれにすべてを与えてくれた存在。

 あたたかさも、おいしさも、何もかも。


 光は、おれのなかで育ち切ったあとで、あっさりと奪われた。

 幼い笑顔が、空虚な死相に変わって、目の前に横たわっているのが見える。

 それ以来だ。おれが、戦うことだけを考えるようになったのは。


「ためらいなど、ありません」

「本当にそう言い切れるの。なにを根拠に」

「ご存じではないですか。いまのおれを作り上げたのは、ほかでもない、あなた達だ」


 その双眸に負けてはならない。ハバキは、挑むように、ほんの少し微笑んでみせた。


「すばらしい」


 かっと、彼女は目を見開く。

 一瞬、煮えたぎるような、激情のようなものが、そこによぎった。

 魔女のもう一つの側面だと誰かが言う。

 答えはキャビネットの古い写真立てにあるというが、ハバキの関知するところではない。

 討伐すべき『敵』に対する復讐か、それとは、なにか別のものか。

 彼女が、手駒である自分に何を期待しているのかも、関係ない。


「お嬢様」


 声。傍らに影のように控えていた、執事服の男が、マダムにそっと耳打ち。

 それを合図に、彼女は元の怜悧さを取り戻す。

 ハバキも、姿勢をただす。男は黙っていて、感情が読めない。


「ああ。ごめんなさいね。では、あらためて……あなたの向かうべき場所と、符牒を伝える。


 会合はそれで終わり、ハバキは組織の監視する街のうちひとつへと、飛び立ったのだった。

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