第2話 影の交渉

阿須間が目を覚ますと、彼は再び23時54分の静寂に包まれていた。時の流れが凍りついたこの世界では、風も止み、音も消えていた。唯一、彼の心臓の鼓動だけが耳鳴りのように響いていた。


「鎌鼬と手を組む…そんなこと、本当にできるのか?」阿須間は自問した。鎌鼬は、時守師にとっては駆除すべき敵であり、これまでずっと狩り続けてきた存在だ。しかし、阿須間には他に選択肢がなかった。父親に反抗するためには、彼らの力が必要だった。


彼は意を決して、周囲に向かって呼びかけた。「鎌鼬たちよ、出てこい。お前たちと話がしたい。」


一瞬、何も起こらなかったが、やがて冷たい風が足元から巻き上がり、その中から影のような姿が浮かび上がった。鎌鼬たちが現れたのだ。彼らは人間とは異なる形をしており、その姿は見る者によって異なるとされる。阿須間の目の前に現れた鎌鼬たちは、どこか人型に近い形をしていたが、顔は影で覆われ、表情を読み取ることはできなかった。


「我々を呼んだのはお前か、時守師の子よ。」低く、ざらついた声が響いた。


阿須間は緊張を隠せなかったが、覚悟を決めて前に出た。「そうだ。俺は勅使河原阿須間、時守師だ。だが、今は父に反抗するため、お前たちの力を借りたい。」


鎌鼬たちは一瞬、沈黙した。彼らにとって、時守師と手を組むということは前代未聞のことであり、その提案が信じられないものだったのかもしれない。


「何故、我々に協力を求める?」鎌鼬のリーダー格と思われる者が問いかけた。


阿須間は深く息をつき、言葉を選びながら答えた。「父に、そしてこの運命に反抗するためだ。俺は時守師であることに疲れた。誰にも感謝されない仕事を続けることに意味を見いだせなくなった。俺は、父の支配から逃れたいんだ。」


鎌鼬たちは再び沈黙した。阿須間の言葉に何かを感じ取ったのか、やがてリーダーはゆっくりと口を開いた。


「お前の願いを叶えるために、我々が手を貸すことは可能だ。しかし、その代償は大きい。お前は時守師としての力を失い、二度と元の世界には戻れないかもしれない。それでも構わないのか?」


その言葉は、阿須間の心に深く響いた。時守師としての力を失うということは、自分のアイデンティティの一部を捨て去ることを意味していた。しかし、彼は既にその覚悟を決めていた。父の影から逃れ、自分自身の道を切り開くためならば、どんな代償も受け入れるつもりだった。


「構わない。それで、父を倒せるのならば。」


その決意に、鎌鼬たちは再びざわめき立った。彼らの間で不気味な囁きが交わされ、その後、リーダーが阿須間に近づいてきた。


「よかろう。我々はお前に協力し、勅使河原家を壊滅させる手助けをしよう。しかし、その前にお前には一つの試練を与える。」


「試練?」阿須間は眉をひそめた。


「そうだ。お前が本当に我々と手を組む覚悟があるか、そしてお前の決意が本物であるかを試させてもらう。」


阿須間は息を飲んだが、ここで引き下がるわけにはいかないと悟った。「その試練とは、何だ?」


リーダーはゆっくりと後ろに下がり、手をかざした。すると、彼らの周囲の空間が歪み始め、闇が渦巻くように広がっていった。次の瞬間、阿須間は見知らぬ場所に立っていた。


そこは荒廃した街の一角で、建物は崩れ、地面には瓦礫が散乱していた。空はどんよりと曇り、太陽の光さえも差し込まない暗闇に包まれていた。


「ここは…どこだ?」阿須間は戸惑いながらも、周囲を見回した。


リーダーの声が遠くから響いてきた。「ここはかつて、時守師の手によって滅ぼされた街だ。お前の祖先がこの地を破壊し、我々の仲間を封じ込めた。その場所でお前には、自分自身と向き合ってもらう。」


阿須間は驚愕した。時守師の歴史にそんな過去があったとは知らなかった。しかし、それ以上に彼を動揺させたのは、これから向き合う「自分自身」とは何を意味しているのか、ということだった。


「試練とは、何をすればいいんだ?」阿須間は尋ねた。


「お前の心に潜む影、それが試練だ。」リーダーは答えた。「お前が本当に父に反抗し、時守師としての役目を捨て去る覚悟があるのか、その答えをこの地で見つけてもらう。」


その言葉と共に、阿須間の前に黒い影が現れた。それは彼自身の姿をした影だった。顔つきや体つきはまさに自分自身だが、その目は冷たく、無慈悲な光を放っていた。


「これは…俺?」阿須間は驚きの声を上げた。


影の阿須間は静かに微笑んだ。「そうだ、俺はお前だ。だが、お前が捨て去ろうとしているすべての感情、すべての恐れ、そしてすべての後悔の象徴でもある。」


阿須間は後ずさりしたが、影は一歩一歩近づいてきた。「お前は本当に父を倒す覚悟があるのか?時守師としての役目を放棄することが、どれだけの重みを持つのか、分かっているのか?」


影の言葉は、阿須間の心に突き刺さる。彼は父に反抗するために、時守師としての役目を捨てると決意したが、その決断にはまだ迷いが残っていたのだ。


「分かっている…はずだ。でも、どうしても納得できないんだ。」阿須間は叫んだ。「俺はもう、時守師として生きることに疲れたんだ。誰にも認められない、誰にも感謝されない、それなのに世界を守らなければならないなんて…そんなの無理だ。」


影の阿須間は冷たい目で彼を見つめた。「それが、お前の本心か?それともただ、父に対する反抗心から出た言葉なのか?」


阿須間はその問いに答えることができなかった。自分が本当に何を求めているのか、まだはっきりと分かっていなかったからだ。


「お前には、覚悟が足りない。」影の阿須間はついに冷たい声で告げた。「お前が本当に時守師としての役目を捨て、父を倒す覚悟があるならば、その証を示せ。」


その瞬間、影が阿須間に向かって突進してきた。阿須間は反射的に防御の構えを取ったが、影は彼の心に直接攻撃を仕掛けてきた。阿須間は激しい痛みに襲われ、膝をついた。


「俺は…」阿須間は苦しみながらも、必死に立ち上がろうとした。「俺は、父を倒す…それしか、道はないんだ!」


その瞬間、彼の心に何かが芽生えた。自分の中に潜む恐れや迷いを乗り越えるための力が、彼の中から湧き上がってきた。


「そうだ…俺はもう、後戻りはできない。」阿須間は決意を新たにし、影に立ち向かった。「この道を進むしかないんだ!」


影と阿須間は激しくぶつかり合い、闘いは数時間にも及んだ。阿須間は何度も倒れそうになったが、そのたびに立ち上がり、自分自身と向き合い続けた。


最終的に、阿須間は影を打ち倒すことに成功した。影が消え去ると同時に、彼の心には一つの確信が残った。それは、彼が本当に自分の道を選び取ったということだった。


「試練は終わった。」リーダーの声が再び響いた。「お前はよくやった、阿須間。我々はお前の決意を認め、お前に協力しよう。」


阿須間は深く息をつき、膝をついた。「ありがとう…俺は、これで父に立ち向かう力を得たんだな。」


鎌鼬たちはうなずき、再び彼を取り囲んだ。「そうだ、お前は我々と共に戦う資格を得た。だが、その代償は覚悟しておけ。」


「分かっている。」阿須間は力強く答えた。「俺はもう、迷わない。」


そして、阿須間は鎌鼬たちと共に、父親との最終決戦に向けて準備を進めていった。彼の心には、もはや迷いはなかった。父に反抗し、自分自身の道を切り開くために、全力で戦う決意が固まっていた。


影の交渉は終わり、阿須間は次なる戦いに向けて、新たな力を手に入れたのだった。

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